第一話「夏休み直前……なのに、しずくがピンチ!?」
「夏休み、補習なんだってさ」
カード同好会の部室に遅れてやってきたしずく。
開口一番、テンションが下がって然るべき宣告をされてきたのに、何とも思っていないかのように語った。
非公認大会に参加したゴールデンウィークから更に月日が流れ、夏休みを目前とした七月。
生徒の服装はブレザーを脱ぎ捨て、半袖のブラウス姿に。日差しが燦燦と降り注ぎ、外を歩けば汗が滲む。
部室にはクーラーがないため、額に汗を浮かべて熱々紅茶プレイを楽しむヒカリが見られるような季節となったが、しずくは涼しげな表情だった。
ちょうど葉月と対戦していたもえは、しずくの衝撃的な一言に思わず手札をテーブルの上に落としてしまう。
そのカードは今からプレイしようとしていた詰めの一手であり、不意に手から零れ落ちた一枚によって葉月は、
「えぇえぇえぇえぇえぇえぇー!? 負けてるじゃんーっ!」
――と、もえの驚愕ついでに敗北した。
しずくの告白にヒカリは頭を抱えて嘆息、幽子は小声で「……補習決まった人間の、冷静さ……じゃない」と正論を口にしつつ、まずは詳細を問いただすことに。
「あの……しずくさん、補習って赤点でも取らない限り、受けることにならないと思うんですけど、もしかして自主的に参加するんですか?」
「いや、自動的に参加することになったけど?」
しずくは着席するとカバンからミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、無表情で口に含んだ。
「……つまりは、赤点を取った……ってことです、か?」
「そもそも赤点ってよく分からないんだけど、みんなはテストの点数が黒いペンで書かれてるの?」
「いえ、しずくちゃん、そういうことじゃありませんよ……。赤点の意味分からない高校生がいるとは思いませんでした」
「ん? じゃあどういう意味?」
「しずくさん、赤点っていうのは点数が悪いってことです」
「もえー、もう少しソフトな言い方なかったかなー!?」
直球過ぎる物言いに驚く葉月。一方で当の本人であるしずくは探偵が悩むようなポーズをとって思案顔。
「……まぁ、確かにさっき先生からも『お前の成績ヤバいぞ』って言われてさ。テストの点数は実際に低くて、赤点ってやつだろうからまぁ……この場合のヤバいは褒められてないよね」
「当然ですっ! ……しかし、しずくちゃんがそんなに成績を落としてるなんて」
「なんか私からしたら意外でした。普段から抜けてて不思議ちゃんな感じのしずくさんが赤点取ってるなんて……」
「……もえちゃん、そのセリフの……どこに意外性ある、の?」
ジト目でもえを見つめ、指摘する幽子。
「もえと幽子は今年からこの学校に来たから知らないかもだけど、もう一年以上しずくと高校生やってる私達からすれば意外ではないかなー」
「まぁ、そうですね。赤点はビックリしましたが……しずくちゃんの成績が悪いこと自体はそれほど驚くことではないですし」
「さりげなく酷いこと言ってますよね、ヒカリさん」
普段から自分のやっていることを指摘するもえ。
とはいえ、しずく本人は酷いことを言われたとは思っていないようだ。
「まぁ、私が成績悪いのは当然だよ。普段から家では勉強をしないことにしてるし」
「なんか授業だけで満点取れる天才みたいなセリフですけど、しずくさん成績悪いんですよね!?」
「……っていうか、何で……勉強しないんです、か。……もしかしてテストの時、も?」
「早く帰れる日くらいにしか思ってないよ。というか思うんだけど……テストってさ、予め勉強して望んだら本来の実力を測れなくない?」
しずくの冗談など微塵も含んでいない物言いがそうさせるのか、四人は瞬間的に「確かに……」と思いかけ、必死で首を振って我に返る。
「危ないー! もうちょっとで同意する所だったー!」
「凄いですね……つまりしずくちゃん、抜き打ちテスト全肯定じゃないですか」
「……私も、運動会の練習……嫌で同じこと、思ったことはある、けど」
「まぁ、本当の実力を測る必要はないですよね。テストがあると言われて勉強するなら、それはそれで正しいことですし……」
四人から同意を得られないからか、しずくはトレードマークのポーカーフェイスを不満そうなものへと少し歪めて嘆息する。
「じゃあ、みんなはちゃんと勉強してるの?」
しずくの咎めるような言葉。
もえは即答で「ちゃんとやってますよ!」と言おうとする――も、味方だと思っていた他の三人は、バツが悪そうにしずくから視線を逸らす。
葉月は吹けない口笛を吹き、ヒカリは体をもじらせ、幽子は手遊びをし始める。
(……あれ? この人達、しずくさんの成績が低いのいじってたくせに、もしかして……?)
もえは所属する立場を変えることにし、構図は三対二となる。
「あのー、私からも聞きます。みなさん、ちゃんと勉強してますか?」
「……んー? まぁ、それなりにー?」
「葉月さん、家では普段何をしてるんですか?」
「まぁ、コンボ考えたり、カードの効果を読み直したりしてるかなー。ついつい好きなことやっちゃって……あ、でも赤点を取らない程度には勉強してるからね!?」
「何でそんなドヤ顔が出来るんですか。あくまで最低限ですよね? そういえば葉月さん、今年は受験生だとは思いますけど」
「お恥ずかしながら受験生だねー」
「恥じることはないですよ。本当に恥ずかしいのは浪人してからですし」
葉月にとって浪人がそれほど非現実的なものではないのか、もえの言葉で虚ろな目をして石のように硬直する。
どうやら合格発表を前に崩れ落ちる自分を想像したらしい。
「同じ受験生ですけど……ヒカリさんもあんまり勉強してないんですか? 正直、ヒカリさんのイメージって成績学年トップって感じなんですけど」
「私も家でカードを広げて時間を費やしてしまいますね……。相手の動きを自分で想像し、一人でデッキを回したり。最悪の盤面を常に想定してプレイすると、それなりに勉強になるものですよ」
「来年の春、受験番号握りしめて最悪の状況になってなければ、まぁ何やっててもいいと思いますけど……」
「でも、ちゃんと赤点を回避するくらいには勉強してますからねっ!」
やはり何故かヒカリも得意げで胸を張っている。勉強するだけしずくよりマシだが、なら偉いというものでもない。
(っていうか、この人……家で最悪の状況想定しながらカード触ってるんだ。机に向かってカード持ちながらニヤニヤしてるんなら、ちょっと怖いかも……)
などと想像しつつ、しっかりと面白がっているもえ。
「なんか幽子ちゃんは家でずっと絵を描いてるから勉強が疎かってイメージだなぁ」
「……期待を裏切る、意外な理由……とかなくて、逆に申し訳ない」
「いや、そんなの求めてないよ……」
「……実は、甲子園……目指してて」
「いや、今更意外性だしても遅いって! あとエピソードが弱い!」
もえのツッコミでなぜか照れたように後ろ頭を掻く幽子。もえにしっかりとボケを調理されて嬉しいのかも知れない。
「……ちなみにしずくさんは家でどうしてますか?」
「ん? そうだなぁ……カードゲームの対戦動画を見たり、優勝レシピをSNSで検索するとかかな。……あ、でも赤点は取らない程度に勉強してるからね?」
「おちゃらけ受験生二人に乗っかって嘘つかないで下さいよ」
「なんか流れで真似したくなっちゃって。ちなみにもえは勉強してるの?」
「もの凄く勉強するわけじゃないですけど、平均点越えるくらいは普通にやりますよ」
「凄いね。四捨五入したら百点ありそう」
「その理屈だときっとしずくさんは零点なんでしょうね……」
とりあえず、意外なことにカード同好会メンバーの学力がかなり低いことが発覚したわけだが……もえはこの事実に対して、何だか寂しい気持ちになる。
(……みんなカードに夢中で勉強してないんだなぁ。趣味に夢中で、でも勉強はしっかりなんて……あるわけないよね。ちゃんとテストで点取れる私が何だかカードに対して不真面目みたいだなぁ)
もの凄く理不尽なことで疎外感を感じさせられている気がするもえ。
強化合宿以来、ちょっとした場面で自分とカード同好会の面々を比べる癖がついてしまったのだ。
あまりよくないとは思いつつ、ついつい脳裏には過ぎってしまう。
「だけど補習って、考えてみればありがたいよね。予備校行かなくていいんだし」
「しずくちゃん……予備校は勉強が遅れてる子が行くところじゃないですよ」
「でもしずく、地区予選大会の日に補習がぶつかったりしないのー? ……まぁ、どうしても外せない用事があるとか言えば、休めるものなのかもだけどー」
「そういえば夏休み中でしたっけ、しずくさんの地区予選大会って」
「……そうだよ。……確か、応援にはいけるはず、だけど……行くんです、か?」
「考えてなかったなー。カード同好会、夏休みの活動は特に予定されてないしー……しずくの応援ってことにしよっかー?」
葉月は提案しつつ、メンバーの反応を伺う。
夏休みに何か特別な予定が生まれるというだけで、否定的な人間はこの場にいないようで皆が同意してしずくの応援に行くことが決定した。
会場は非公認が開催された街と同じらしく、前回と同じ日程でヒカリのマンションを宿泊場所として前乗りすることも同時に取り決められる。
そして、そのまま流れで皆はしずくに檄を飛ばすことに。
「しずくー。全力で応援するから頑張ってねー」
「私も応援してます! しずくさんならきっと地区予選突破……そして優勝まで!」
「去年は決勝トーナメントまで進んだんです、きっと今年こそはっ!」
「……全国優勝したら、優勝者だけ……もらえるカード、見せて下さい、ね」
四人の背中を押す言葉を受け、淡々とした表情を浮かべるしずくは相も変わらずといった感じで、
「うん、ありがとう。頑張るよ」
――と、事もなさげに返した。




