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練国 清澄と可愛い鬼嫁  作者: 優凛
第五章 わたしらしく、あるために
22/25

(1)心のままに

 ざわめいた。風が、木々が、空気が、一斉にざわめいて、囚われの鬼姫に告げた。


「……」


 空を見上げる。閉じこめられた息苦しい格子の窓から、太陽の上った空を見上げた。

 青い、青い、空。鳥が群れをなして光の中を横切り、一斉に鳴き声を上げた。

 そうして告げるのだ。

鬼の姫よ、名を呼べ。と。


「っ……!」


 おもむろに立ち上がる。今、この部屋には真姫と、扉の前には屈強な鬼の男が二人、見張りとして立っている。

 男達は真姫の動作に気づいて、扉の向こうで警戒をし始めた。


(いる! 来る! 行かなきゃ!)


 頭の中はある意味で真っ白だった。単純にして明快。目的も使命も、たいそれた理由など無い。


「清澄さん……清澄さん清澄さん清澄さん!」


 気配。いや、第六感がそれを感じ取ったのだろうか。もしかすると気のせいなのかもしれない。

 それでも真姫の中で僅かな清澄の存在を感じ、大きな衝動に突き動かされた。

 会いたい。足が動く。

 会いたい。手が動く。

 会いたい。会いたい!

 目も、口も、思考も、何もかも、清澄の為だけに動く。


「どけぇええええ!」


 早朝、まだ眠るものも居ただろう鬼那里の村に轟音が響いた。

 幾人かの鬼頭の家に仕える鬼達が駆けつけると、真姫を閉じ込めていた部屋の扉は無残にも形を無くし、粉塵となって宙を舞っていた。


「ひい様! 何を!」


「お、おい! お前ら、しっかりしろぉ!」


 扉の前に立っていた男達もまた

、無残にもボロボロになって倒れていた。

 突き破られた扉と共に前方の壁へ叩きつけられたらしい。その壁も理不尽な暴力によって破壊されている。


「ひい様……? 真姫様……? これは一体……」


 薄暗い部屋の中に真姫は未だ呆然と立ち尽くしていた。

 いや、違う。


「……」


 荒い息をフッフッと短く吐き出し、やがて大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出す。

 クールダウン。いいや、ただ呼吸を整えただけだ。


 鮮やかな青緑色の目が薄暗がりで眩く輝く。白い角は伸びに伸びきり、鋭く天を指している。

 牙も爪も見る者を恐怖させ、それと同時に魅了もした。

 美しいほど恐ろしく、恐ろしいほど美しい。


「退いて。行かなくちゃ」


「行くって、どこへ……?」


「……」


 笑う。彼の人を思い出し、真姫はうっとりと微笑んだ。

 会話は通じる、だが真姫と意思を疎通することは出来なかった。

 彼女の中はもう愛する者のことでいっぱいで、目の前の家人のことなど目にも入っていない。


「さあ、退いて」


 真姫が一歩を踏み出す度に鬼達は一歩退く。人の血と多く交わり、姿は多少人外であれど鬼としての力は弱い一般人では真姫は止められない。


 ならば、真姫のように純粋な鬼の血を持つものならば?

 まだこの村にもそのような鬼はいる。それなりの地位を持つ者ならば、その血はまだ色濃く受け継がれているのだ。

 例えば鬼島 青九郎がそうだ。彼は村長を支える補佐役の家の生まれである。そういった権力者は優先的に血統の良い女を得ることが出来るのだ。だから純血、またはそれに近い鬼が残る。


「へへ、一度本物の鬼って奴と一戦交えてみたかったのよ」


「おいおい。いくら純粋な鬼の姫さんだからって、相手は女なんだ。手加減してやれよ?」


 青九郎ほどではないが引き締まった若い肉体とぎらついた瞳を持つ鬼が二人、真姫の前に立ちふさがった。

 片方は浅黒い肌に、真姫よりも一回り以上大きい。額より上に象牙色の小さな角が三本並んで生えている。

 もう片方は少し小柄だが、見るからに頭が回りそうな顔をしていた。蟀谷(こめかみ)辺りから黒い角が左右二本生えており、深い青色の瞳はじっくりと真姫の様子を窺っているようだ。


「退いて」


 それは愛らしい少女の声をしていても、聴く者の耳には冷たく、刃のように尖って聞こえた。


「聞けねーな。ほら姫さん、鬼なら力づくで道を開いて見せろよな!」


 まずは三本角の鬼が動いた。その言葉のまま力づくで真姫に体当たりを食らわそうとする。

 真姫は当然避ける。こともせず、足を上げた。

 どす。突っ込んできた男の顔面に素足をめり込ませ、止める。

 白い浴衣の裾がはだけ、小麦色の長く肉付きのいい脚が露になる。


「お……お?」


 見えそうで見えない。三本角の鬼はそこを凝視したまま、鼻血を垂れ流し床へと滑り落ちた。


「弱い」


「ちげぇねえ」


 黒い角の鬼はゲラゲラと笑いながら同意する。

 さて、じゃあ。今度は小さい方の鬼が真姫の道を塞ぐ。ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、ズボンのポケットに入れていた拳を取り出した。


「ほいっと」


 ぱ、っと握った拳から何かが舞い上がる。風に乗り、真姫の目にチリチリとした痛みが襲う。


「い」


 咄嗟に目をつぶる。痛い。


(す、な?!)


 目潰しとは小賢しい。一瞬怯んだ。その一瞬は鬼にとっては永遠に近い。


「おらぁあ!」


 何かが来る。蹴りか、拳か。それとも武器か。

 声のする方向は正面?


「ぐ!」


 空気が微かに左から動いた。左腕を上げ、衝撃を受ける。

 蹴り。サンドバッグが弾けて揺れるほどの衝撃だが、真姫は少しよろめくだけで耐えきった。


「おお?」


 嬉しそうな声を上げる。黒い角の鬼は大勢を整えると、更に拳を真姫に向けて繰り出した。

 真姫はまだ目を開けていない。

 一発、二発、軽いとも言えないジャブを打つ。

 一発、二発、薄く目を開けるも苦痛に歪む視界の中で、それでも真姫は相手の攻撃を手で受け流す。


「さすがだなぁ!」


「ああ……ああ、もう……いやだ」


(お? 負けを認めるか?)


 ブツブツと洩れる呟きは不気味にも弱音であるらしい。

 俯き、開くと痛む目を真姫はイラついた様に擦る。


「おいおい」


「どうして邪魔するの……ああ! こんな目、抉り出そうかしら……」


 苛立ちは時間が経つほどに大きくなって、姫君にかかるストレスは彼女を狂気へと駆り立てていく。

 理性が消える。常識が消える。優しさなどとうの昔に消え失せた。


「あ……うふふ」


 わかる。目が見えないからこそ、わかる。


(清澄さん、いる)


「うあっ?!」


 ぞわり。男の背に得も言われぬ悪寒が走った。

 目の痛みを超えた、苛立ちを遥かに凌ぐ狂気と変わらぬ愛情。


「……え?」


 真姫がいた。ふわりといい匂いがして、白いはだけた浴衣の胸元から見える半球体がそこにある。


「ぐぶ」


 鳩尾から胃へ、胃から食道へ、食道から喉へ、口へ、鼻へ、せり上がってきた酸っぱくて苦い液体が男の穴から飛び散った。


「ごぶぇ、ぶあっ」


 汚物が床を汚し、その上に黒い角の鬼は倒れた。


「ひ……」


「うわ、あ、あ」


 もう誰も真姫の道を邪魔するものはいない。

 やっと、あの人の元へ行ける。

そう思ったのに。


「真姫さま。それほどに青九郎様がお嫌なのですか?」


 次々と邪魔が入る。

 今度は短い黒髪に花の髪飾りをさした真姫とそれほど変わらない少女だった。

 角はない。純粋な鬼ではない村人だ。


「貴女は恵まれ過ぎている。どうして純粋な鬼の、長の娘の、里の姫としての義務をはたそうとしないのですか?」


「義務?」


「それは、持つ者の義務です。貴女は純血種の鬼の子を産み、長の後継ぎをつくる。それが鬼の姫として生まれた貴女の宿命ではないのですか?」


「じゃなきゃ、不公平だって?」


「そ、え? ちが」


 はあ。重く、呆れた溜息は数秒続いた。

 真姫の目が少女を見下すように見下ろす。


「そうやって義務とか伝統とかに縛られるから、貴女も、アイツも、父様も……清澄さんだって、シンドイんじゃない」


「……」


「そんなに血が大事なら、全身から血を抜いていつまでも崇めていればいい。わたしから全部血を抜いて、誰かに入れてしまえば、そう、貴女に入れてしまえばいいんだわ。そうしたら、貴女がわたしの代わりになれる」


「そんなこと……できるわけないでしょ!」


「わたしは、清澄さんが今の清澄さんの血を全部抜いて、新しい血で満たされた清澄さんだって愛してる」


「そんなの」


「清澄さんだって、わたしがわたしの血でなくったって、構わないよって言ってくれる。きっと、絶対、言ってくれるわ」


 きーさんは、きーさんだよ。って、いつもみたいにちょっと困った顔で笑ってくれるんだ。


「そんなの詭弁だわ」


「そう? でもアイツはそうなんでしょう?」


「青九郎様は……」


「純粋な鬼なら誰でもいいのよ。あんなのと一緒になるくらいなら、この里滅ぼしてでも逃げるわよ」


「青九郎様のどこが駄目だと言うのです! あの方はずっと貴女のことを想い続けて来たのですよ! ずっと! 昔から!」


「わたしもずっと昔から想い続けてきたわ」


「あんな、人間、しかも同性で、それに、よわい、せいくろうさま、にも、かてな……いっつ!?」


「殺すわ」


 右手がいつの間にか首にかかっていた。少し力を込めるだけで、中の空気が押し出されてヒュッと息が止まる。


「お前達に清澄さんの何がわかる? ああ、いいの。わからないで。勿体ないから」


 ガクガクと体が揺れた。白目が剥き出し、涎の後に泡が続く。

 手を離せば、人形のように細い肢体は床に伸びた。


「もういいでしょ?」


 一歩、また一歩、真姫が歩みを進める。家人はもう真姫の前に出る気もなく、後ろで背中を見送ることを選んだようだ。

 一歩、また一歩。今度はスピードを上げて。また上げて。小走りで、全力で、廊下をバタバタと音を立てながら駆け抜ける。


『どうぞお引取りを』


 出口に近づくと声がした。父親の冷静な声が誰かと対峙している。


『たとえそれが天翔院である貴女様の命でも……』


(天翔院? あ!)


『悪いけど、ややこしい事は抜きにしよう。今日は鬼も天翔院もなく、真姫の親友として会いに来たのだから』


(実朝さん!)


 父に負けず劣らず冷静で、意志の強い声がする。


『会わせていただけないかしら? そちらに如何なる事情があったとしても、挨拶もなしに帰っていかれたのは失礼に当たるのではなくて?』


(都さま!)


 柔らかく、それでいて有無を言わさぬほど力ある声が言う。


「お願いします。どうか、きーさんに、真姫さんに会わせて下さい」


「あ……あ……」


「せめて、彼女の口から」


(待って! 今行くから!)


「聞かせてください」


 床を踏み抜く勢いで、力強く地を蹴りつけて、真姫は玄関から飛び出した。

 家の前には村中の鬼達と、それに囲まれる三人の少女達。

 都、実朝、そして清澄がいた。


「きーさん。聞かせて? きーさんの本当の気持ち」


 その質問の意味はうまく理解出来ない。それは清澄への気持ちなのか、青九郎への気持ちなのか、村に留まりたいのか、家を出たいのか、どれの事を言っているのかはわからない。


 けれど、真姫の口からは考えもなく言葉が出た。


「きよすみさん! 清澄さんが良い! 清澄さんと一緒にいたい!」


 純粋な、本能的に出た言葉が鬼那里の村中に響き渡る。


「真姫……」


「清澄さん!」


 驚いた表情の父親の隣をすり抜け、一直線に清澄の元へと飛び込んだ。


「はあ? 行かせるかよ!」


 数ある鬼の中でも飛び抜けて屈強な男がいた。青九郎は真姫の前に立ち塞がり、両手を広げ、花嫁を受け止めようとした。


「邪魔をするなぁあああっ!」


 全力で握りしめた拳を青九郎の鼻に叩き込み、そのまま全体重を乗せて突っ込む。


「わたしと清澄さんの道を塞ぐな! わたしの清澄さんの前に立たないで!」


 お前など要らない。欲しいのはただ一人。それを邪魔すると言うのなら――


「そ、うだ。それでこそ、鬼だ。そうだ、そうだ、ふははははは!」


 立ち上がり、垂れる鼻血を一気に吹き出す。

 鬼ならば、鬼らしく。力づくで花嫁を奪う。

 それが何よりも合理的で、理想的なのだと青九郎は言った。


 だから。


「取り戻しに来たのだろう? なあ、練国 清澄さんよ」


「……うん」


「清澄さん?」


 迷いなく、力強く清澄が頷いたのを誰もが驚いて目を見開く。

 真姫も、都も、実朝も、青九郎すら覚悟を決めた清澄に言葉を失った。


「私は鬼じゃないけど、最後まで抗ってみせるよ。無理でも。駄目でも。やりたいんだ、最後まで」


「ふは、はは、いい度胸じゃねーか」


「わ! わたしが! わたしがやるっ」


「お前じゃねーよ。花嫁。賞品は黙ってみていろ。

練国 清澄。いいだろう。お前が勝てたら、後腐れなく二度と俺は真姫の前に現れねぇ。ただし、お前が負けたら、お前も二度と現れるな」


「……きーさん、ごめんね?」


 負けるのは決まっている。この戦いはただ清澄が傷つくだけの無駄な争いで、真姫は結局、青九郎のものになる。


「なんで……」


 じゃあ何で。何で清澄は此処に来たのか。どうして青九郎と戦うのか。


「練国 清澄だから」


 最初から最後まで、そうでありたい。

 理想の自分であるために。

 これから先、後悔しないための自己満足でしかないけれど、それでも闘いたかった。

 己の為に。真姫の為に。


「本当にいいのですか?」


 最後に真姫の父が問う。


「はい」


 白い短刀を携え、清澄は一歩前に出る。


「私は練国 清澄。鬼島 青九郎殿。花嫁を賭けて、いざ勝負!」


「応!」


 青九郎の低く重い声が轟いた。


 最後まで、彼女は逃げる事はしなかった。そう最後の最後まで。


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