14-1 『たいくつさせないでね』
棚に並んだお酒の瓶が、きらきらと灯りを映している。
現代的な白い明るさとは違った、どこか暗さを纏った灯りのぼんやりとした空気の中に、ピアノの旋律が煙のように漂っていた。多分、ジャズとかそういうジャンルの曲だと思う。
未成年が入って良い場所じゃない気がする。わたしはその店のカウンター席、背の高い椅子に一人で座っていた。バーカウンターと呼べば良いのだろうか。
状況がわからないまま、目の前にグラスが置かれる。細い持ち手──ステムと呼ぶんだっけ──の上に円錐が乗っかった形の──カクテルグラス? 中に入っている透明な飲み物は炭酸みたいで、しゅわしゅわと細かな泡が立ち上っている。
飲んで大丈夫なのか、お酒だったらどうしようと心配になって、グラスの中を覗き込む。そこに映る自分の姿が、まるで自分じゃないみたいだった。
赤いクロッシェ、赤いルージュ。ぱっちりとしたアイライン。頬にも少し色が乗っている。自分の姿を見下ろせば、レトロな雰囲気の白いシャツワンピース。足元は赤いハイヒール。
隣の椅子に人が座る。角くんかと思ってほっとして見上げたら、確かに角くんではあったのだけど、いつもとは雰囲気が違っていて、ぽかんと見上げてしまう。
前髪を上げて後ろに撫で付けているから、いつもより表情がよく見えるし、なんだか大人っぽい。白いシャツに、蝶ネクタイ。グレーのベストに、似た色のジャケットを羽織って、白いスラックス。
角くんは、わたしを見下ろして何度か瞬きをした。
カウンターの向こうからグラスが差し出されて、角くんの前に置かれる。角くんはそれに気を取られたように、わたしから視線を外して、それから口元を覆って目を伏せた。
「あの……似合ってる、と思います」
その角くんの声に、わたしも慌てて目を逸らして、自分の前のグラスを見詰めてしまった。
「最初に言っておくけど、俺のゲームじゃないからね」
いつもみたいにルール説明──インストが始まるのかと思ったら、角くんはそんなことを言い出した。
「こないだボドゲ会に行ったときに、うっかり他の人のが混ざっちゃってたんだと思う。小箱だから気付かないまま……バッグに入りっ放しだったみたいで」
「そうなんだ」
角くんがなんで必死になってそんな言い訳のようなことを言っているのかがわからなくて、わたしは首を傾けた。お酒が並ぶお店の雰囲気は確かに大人っぽいなとは思うけど──そういうことだろうか?
「その……このゲームは『レディファースト』っていうゲームで」
角くんは言いにくそうに言葉を切る。
「『レディファースト』?」
「そう。四人まで遊べるようになってはいるんだけど、元は二人用ゲームで」
「二人用」
「プレイヤーはレディ役とジェントル役になって……その」
角くんはちらりとわたしを見て、それからまた頬を赤くして目を伏せた。わたしは黙って角くんの言葉を待つ。
「ジェントル役のプレイヤーは、レディ役のプレイヤーを口説くんだ。レディ役のプレイヤーは、それをあしらう。それで、レディ役を口説き落とせたらジェントル役のプレイヤーの勝ちっていう、二人対戦のゲームで」
「口説き落とす……?」
プレイヤーは二人で、ジェントル役とレディ役になって──そこまで考えて、ふと気付く。
「待って。ひょっとして、わたしって『レディ役のプレイヤー』?」
「多分、そうだと思う」
「じゃあ……角くんは、ひょっとして」
「『ジェントル役のプレイヤー』なんだと思う」
わたしの方を見ないまま、角くんはそう言った。わたしもなんだか角くんの方が見れなくなってしまって、カウンターに視線を落とす。他に見るものがなくて、目の前のグラスをじっと見てしまう。
透明な液体の中で、ぱちぱちと小さな泡が弾けている。
「つまり、その……角くんがわたしを……?」
「あの、だから、ゲームだから。あくまでゲームの設定」
「だって……だけど……え、なんで角くんこのゲーム持ってきたの」
「いや、だから、俺のゲームじゃないから。入りっ放しになってただけで。こんなつもりは全然」
わたしは両手で顔を覆って溜息をついた。同じタイミングで、角くんも溜息。どうしてこんなことになってしまったのかと思う。
「ともかく、インストするよ。ゲームを進めないとだから」
「それは……そうだけど」
「大丈夫、ルールは簡単だから」
「そういう問題じゃない」
角くんの言葉に思わずそう言い返してしまったわたしを許して欲しい。
自分の手番では、グラスのドリンクを『一口飲む』か、相手に台詞を『ささやく』か、そのどちらかしかできない。『一口飲む』場合、手札が一枚増える。『ささやく』のは、手札のカードを一枚出す。
「最初は手札がないから『一口飲む』しかできないよ。それから、手札にできるカードは五枚まで。手札のカードが五枚あったら『ささやく』しかできない」
「それは、わかった」
わたしが頷くと、角くんは言葉を続けた。
「レディ役のプレイヤーは『レディカード』を持っている。『1』から『12』が一枚ずつで全部で十二枚。シャッフルして、大須さんが『一口飲む』場合はここからカードを一枚引く。ジェントル役の方は『ジェントルカード』で、こっちは『2』から『12』の十一枚。俺が『一口飲む』場合はこっちから一枚」
「レディ役の方が、枚数が多いんだね」
「レディ役の『12』のカードは出したら負けだから、実質十一枚だよ」
「出したら負け」
そんなカードがあるのかと、わたしは首を傾けた。角くんが頷く。
「そう、カードは数が大きい方が……その、より距離が近いというか、親密になっているってことを表しているんだ。だから、レディ役のプレイヤーが『12』のカードを出したら、レディを口説き落とせたってことでジェントル役の勝ち。そうなる前にどちらかがカードを出せない状況になったら、ジェントルをうまくあしらったってことでレディ役のプレイヤーの勝ち」
「『12』のカードさえ出さなければ、わたしの勝ち?」
「そう。でも『12』のカードを出さないといけない状況になったら、ちゃんと出さないと駄目だからね」
「それは……大丈夫、だと思う」
出さないといけない状況というのがどういうことなのか、いまいちぴんとこなくて、わたしは曖昧なまま返事をしてしまった。角くんはちょっと考えてから「まあ、その状況になったらわかると思うよ」と言って説明を続けた。
「カードには、次に出せる数の指定がある。最初の一枚は好きに出して良いけど、次からは、直前に出されたカードの指定に従って出さないといけない」
「どういうこと?」
「例えば、そうだな……ジェントルカードの『4』が場に出てたとする。その次にレディカードを出すなら、『3』か『5』以上の数を出すことができる」
「結構たくさん出せるんだね」
「これが、場に出てるのがジェントルカードの『8』だと、次に出せるレディカードは『7』か『9』以上になる」
「数が大きくなると、出せる数が減るってこと?」
わたしの言葉に、角くんはふふっと笑った。
「そう。逆に、俺がジェントルカードの『4』を出して、大須さんが『一口飲む』をしたとする。そのタイミングで俺が『ささやく』場合、俺は『5』以下のカードしか出せない。場に出てるジェントルカードが『8』なら、出せるのは『9』以下のカードになる」
「レディ役とジェントル役で出せるカードが違うってこと?」
「そうだね。レディ役のカードの指定も、そんな感じ。基本的にレディ役は大きい数の方が出しやすくて、ジェントル役は小さい数の方が出しやすい。まあ、どの数が出せるかはカードを見ればわかるようになってるから、全部覚えておく必要はないよ。大体で把握しておけば大丈夫だから」
わたしには、角くんが言う「大体で把握」というのも難しい。ちょっと眉を寄せて考える。
それでも、なんとなく大きい数よりは小さい数を出した方が良いのかな、と思ったりした。大きい数を出してると、きっと『12』に近付いてしまうんじゃないだろうか。
とにかく、『12』さえ出さなければ勝ち。自分の番ではカードを引くか、出すか、どちらかだけ。なんとか遊べるかな、という気がしてきたのだけれど。
角くんは最後に、とんでもないルールを口にした。
「カードには全部、台詞が書かれていて……カードを出すときには、実際にその台詞を言うってことになってる。ただ、まあ、台詞はなしでも良いと思うけどね」
「台詞?」
「うん、カードを見ればわかると思うけど……ルールには『愛の言葉』って書いてある」
角くんはまた、わたしから視線を逸らしてしまった。なんだか本当にこのゲームを遊べるのか、不安になってきた。




