21-1 星苺は夏至の夜に実る
その日、ボドゲ部(仮)の仮の部室の第三資料室で、角くんが大きなカホンバッグから取り出したのは小さな箱だった。
角くんの大きな手だったらすっぽりと包み込んでしまえそうな、そんな大きさの箱。
箱には淡い色合いで、不思議な生き物たちが描かれていた。カエルやキノコみたいな姿、髪の毛が葉っぱになっている姿、動物みたいな顔。
背景は森と藍色の空。その空に絵に描いたような月とたくさんの星が浮かんでいる。
上の方に『トルトラレル』『Tol Trarell』と独特の字体が並んでいて、多分それがこのボードゲームの名前なんだと思う。
見上げると、角くんはいつもみたいに機嫌良さそうな顔で口を開いた。角くんがいつも通りで、わたしは少し安心する。
「これは『トルトラレル』っていうゲーム。妖精になって『星苺』っていう特別な果実を集めるゲームなんだ」
「星苺?」
「そう。その星苺を取ったり取られたり。だから『トルトラレル』」
不思議な雰囲気の可愛らしい絵と『星苺』という言葉の響き。
怖い印象はなかったから、わたしは角くんの「開けても良い?」という言葉に頷いた。
小さな箱を開けて出てきたのは、折りたたまれたルールの説明書。その下からは、カードの束。
「これが星苺だよ」
角くんは青いカードから何枚か抜き出して、長机の上に並べて見せてくれた。
そこには水晶だとか宝石みたいな見た目の、ころんとしたものが描かれていた。青だったり緑だったり、赤だったり黄色だったり、色は様々だ。
どれにもちゃんとヘタが描かれているから、これは石じゃなくて果実らしい。
「星苺は星の魔力が木の実の周りに結晶化したもので、夏至の夜にだけ実るんだよ。これを一番たくさん集めた妖精が、ゲームの勝者で妖精の王様」
「絵本のお話みたい」
「そういう設定のゲームなんだよ。まあ、フレーバーだから、知らなくてもゲームは遊べるんだけど」
「フレーバー?」
首を傾けると、角くんは今度は赤いカードから何枚か抜き出して、机の上に並べた。
「そう。香り付けって意味で、ボドゲに関して言えばゲームには影響しない世界観とかの設定のこと。雰囲気づくりのためのものっていうか。例えばさ、こっちのカードには妖精の絵と数字が書いてあるよね」
角くんはそう言って、広げたカードを指差した。
そのカードには尖った耳で大きなキノコの傘を持った人が描かれていた。これが妖精らしい。緑の服を着て、膝の上で本を広げている。カードの左上には大きく「18」と書かれている。
隣のカードは動物みたいな顔で毛の生えた耳をした妖精が、きちんとしたシャツを着て大きな楽器を弾いていた。左上の数字は「15」だ。
「このゲームは数の大きさを比べるゲームだから、この妖精の絵がなくても、数がわかれば遊べちゃうんだ。だから『妖精が星苺を集める』って設定なんて知らなくても遊べちゃう」
「でも、せっかく綺麗な絵があるのに」
「このゲームにはね。実際に世界観がないゲームっていうのもあるんだよ。数字とか色とかだけ書かれてて、そういう要素だけで遊ぶみたいな。そういうゲームももちろん面白いんだけどね」
わたしはボードゲームの世界に入ってしまうから、わたしにとってボードゲームっていうのは、いつも世界が先にあった。だから、角くんが言うような世界観がないゲームというのがあまりイメージできなかった。
いまいちぴんとこないまま頷けずにいたけど、角くんは気を悪くする様子もなく、ふふっと笑った。
「でも、せっかくフレーバーがあるなら知りたいし、知ってると楽しいと思うんだよね、俺は。だから、このゲームは『妖精になって星苺を集める』ゲームだし、『ゲームに勝ったら妖精の王様』になれるって、そう説明したいんだ」
角くんの言葉を全部理解できたわけじゃないけど、なんだかその言い方は角くんらしい気がした。角くんはいろんなものを面白がって楽しんでしまう人だから。
わたしもちょっと笑って頷いて、それからまた並べられたカードの絵を眺める。
体が木の妖精。カエルやトカゲみたいな妖精。虫みたいな妖精。魚みたいな妖精。いろんな妖精が並んでいる。
そうやって眺めているうちに、耳の奥でくすくすと笑い声が響いた気がした。瞬きをすれば、目の前のカードの中で妖精たちが動き出して、顔を見合わせて何事かを囁き合って忍び笑いを漏らしている。
そして気付けばいつもみたいに、ボードゲームの中に入り込んでしまっていた。
夜の森は暗いけど、木々の隙間から零れ落ちる月と星の光がじゅうぶんすぎるほどに明るくて、周囲を見るのには困らなかった。
森の陰、茂み、あちこちにぼんやりとした小さな光が灯って、揺れて、瞬いている。
それに、とても賑やかだった。耳をすませると、小さなお喋り、ざわめき、笑い声、不思議な音色。
ちゃぷんと、足元の湖で水の跳ねる音がする。魚の顔をした小さな妖精。その湖面を戯れに飛び回る、薄い透き通った翠の翅の、多肢の妖精。
カードの絵に描かれていた妖精たちが、今は実体を持ってそこかしこに姿を見せていた。
いつもみたいに隣を見上げると、そこにいるのは確かに角くんで、でもいつもの角くんとは様子が違う。
顔の横に見える黒い髪から覗く耳が、獣のような毛に覆われている。そして服は上品なシャツ。磨かれてぴかぴかの木の実のボタン。上等な毛皮を思わせるベスト。
角くんは立派な妖精の紳士になっていた。
わたしはと言えば、頭にはふっくらとした帽子。実際には帽子じゃなくて、キノコの傘が帽子みたいに頭に乗っている。服は、アミガサタケのような白いレースを重ねたワンピース。
わたしはどうやらキノコの妖精みたいだった。
「すごい、妖精になっちゃったんだ」
角くんはそんなことを言いながら、面白そうに自分の耳を触っている。
「角くんはなんの妖精なの?」
「なんだろうね、何かの動物っぽいけど」
「耳、触ってみても良い?」
「え、良い……けど」
手を持ち上げて、そっと角くんの耳に触れる。短い毛は柔らかく、指先にくすぐったい。それに触れるとすぐにぴくぴくっと動いて、逃げようとする。
動きの可愛さに、笑ってしまった。
「瑠々ちゃんは、キノコの妖精だね」
「そうみたい。角くんの耳、くすぐったい、可愛い」
逃げる角くんの耳を追いかけて毛を撫でて、くすぐったさに笑い声を漏らしていたら、急に角くんに手を捕まえられてしまった。
「俺も……その、くすぐったいからここまでにして、ください」
「あ、ごめん」
すぐに手を引っ込めようとしたけど、角くんの手にぎゅっと力が込められる。手を下ろすことができないまま、角くんの手の熱を感じていた。
そのまま角くんはわたしをじっと見下ろして、その瞳は野生の動物のように鋭くて、わたしは動けないまま角くんを見上げていた。
「瑠々ちゃんも……」
ようやく口を開いた角くんは、でもそれだけ言ってまた口を閉じて、手の力を抜いた。
慌てて手を引っ込めて、角くんを見上げる。角くんは口元を押さえてそっぽを向くと、「なんでもない」と言った。
その後、小さく息を吐いて振り向いた角くんはいつも通りに機嫌の良さそうな顔で、何を言いかけていたのかは、もうわからない。
「とにかく、インストしようか。ゲーム、遊ばないと」
「そう、だね」
角くんがいつもみたいに微笑むから、わたしもいつもみたいに頷いた。
いつもみたいに、いつも通りに。




