16-6 ブランコ
リュックを下ろして、花束はリュックの中にしまって、それでブランコに座る。一人でブランコに乗るのは落ち着かなくて、近くに立っている角くんを見上げた。
「角くんは乗らないの、ブランコ」
「え、でも……プレイヤーは大須さんで、勝ったのは大須さんだから」
「角くんだってウサギだし、角くんもプレイヤーだと思うし、角くんも乗って良いと思う」
わたしの言葉に、角くんは落ち着きなく視線を彷徨わせていたけど、そのうちに覚悟したみたいな顔でわたしの前に立った。角くんの手がブランコの座面を吊り下げている蔦の編み込みを握る。
「大須さん、立ち乗りはできる?」
「ブランコ久しぶりだから自信はないけど、小さい頃はやってたよ」
「じゃあ、立って」
言われた通りに、座面の上に立ち上がる。角くんの足も座面に乗ってきて、ブランコがひどく揺れる。
すぐ目の前に角くんの体がある。本当にこのままブランコで遊ぶのだろうかと角くんの顔を見上げようとしたけど、それよりも先に角くんが膝を曲げて、ブランコを揺らし始めた。
慌てて足に力を入れる。落ちないように、角くんの動きに合わせて膝を曲げる。
「ちょっと待って。思ったより怖い」
「大須さんが乗って良いって言ったんだからね」
「そうだけど」
髪の毛が広がる。角くんの体が近い。狭いブランコの上で足はぶつかっているし、ちょっとバランスを崩したら角くんの胸に顔をぶつけてしまいそうなくらい。
わたしはこんなに落ち着かない気持ちでいるのに、角くんはなんてことないみたいにブランコの揺れをどんどん大きくしていく。わたしはもう、落ちないように蔦を握り締めるのでいっぱいいっぱいだ。
それでも、見上げたら角くんが楽しそうに笑っていて、だからわたしも笑っていたと思う。
気付いたら、いつもの第三資料室だった。春の風が見慣れた白いカーテンを揺らしている。
長机の上には、森のめぐみのタイル──『タンポポ』や『コスモス』といった花だとか『クローバー』だとかが散らばっていて、それから大きなツリーハウス。大きく突き出た枝にブランコが下がっている。赤いリュックのウサギのコマが、そのブランコに乗って揺れている。
ツリーハウスの赤い屋根を見て『くまホテル』の中を見ないまま終わってしまったことに気付く。森の動物たちの憧れの場所、どんなところだったんだろう。少しだけでも見ておけば良かった、せめて木の上に登っておけば良かった、と少し悔しくなった。
そっと隣を見たら、角くんが同じようにわたしを見ていた。当たり前だけど、その頭にはもうウサギの耳は生えていない。
自分の頭に触ってみる。やっぱり当たり前のように、自分の髪の毛の感触しかそこにはない。ウサギの耳だけじゃない。角くんにもらったシロツメクサの花冠だって、ここにはない。みんなゲームの中のこと。
角くんが目を伏せて、小さく息を吐き出した。
「楽しかった」
そう呟いた角くんは、もう一度わたしを見て目が合ったかと思うと、口元に手を当ててふいと横を向いてしまった。
二人で「ありがとうございました」と頭を下げて、片付けを始める。『どんぐり』トークンは拾い集めて袋の中に。森のめぐみのタイルは季節ごとに。
春のタイルを集めながら、ふと隣の角くんを見る。
「角くんは」
わたしの声に、角くんは『どんぐり』を集めていた手を止めて、わたしの方を見た。わたしはちょっとためらってから、言葉を続ける。
「角くんは、部員を増やしたりしないの?」
びっくりしたような顔で、角くんはわたしの顔をじっと見ていた。その視線が落ち着かなくて、わたしは手元を見て、意味もなくタイルの角を揃えたりした。
「大須さんは、部員が増えた方が良い?」
角くんの言葉に、わたしは首を振る。でも、顔はあげられなかった。
「角くんは、部員を増やしていろんな人とボードゲームを遊びたいとか、あるのかなって。もしそうならわたしは」
「大須さん」
最後まで言わせてもらえなかった。顔を上げたら、角くんは思いがけず不機嫌そうな顔をしていた。角くんはいつも機嫌が良さそうにしているから、こんな表情は珍しい。
「俺がボドゲ部を作ったのは、そもそも大須さんと遊びたかったからだよ」
「でも」
「俺は、大須さんとボドゲ遊ぶの楽しいし、大須さんと遊びたいと思ってる。それとも」
ぐ、と角くんが身を乗り出してくる。真っ直ぐな視線に覗き込まれる。逃げられない、と思ってしまった。
「大須さんは、ボドゲ遊ぶの嫌なまま?」
慌てて首を振った。
「そんなことはないけど」
「じゃあ……じゃあ、俺と遊ぶの、やっぱり嫌だったりする?」
首を振る。首を振って、角くんを見上げる。
「嫌じゃ、ない、けど」
目が合うと、角くんはほっとしたように微笑んだ。
「なら、良かった」
角くんは急に照れたように目を伏せて、椅子に座り直した。それで『どんぐり』トークン集めを再開する。
「何度だって言うけど、俺がボドゲ部を始めたのは大須さんと遊ぶためだよ。大須さんが楽しくないなら、意味がないんだ。だから、大須さんが部員を増やしたいなら増やすけど、そうじゃないなら必要ないと思ってる。便利だから部活ってことにしてるけど、ボドゲ部って形じゃなくたって良いんだし」
「角くんは、ボードゲームを遊びたいんじゃないの?」
集めた『どんぐり』トークンを小さな袋の中に入れてそれを箱にしまうと、角くんはまたわたしの方を見た。
「それはまあ、遊びたいよ。だいたいいつだってボドゲ遊びたい」
わたしは重ねた春のタイルを角くんの前に置く。角くんを見上げる。
「わたしとだと、遊べないゲームがあるよね。それに、体質のことがあるから、わたしはいろんな人と遊ぶのは嫌だって思ってるし。だから、わたしがいなければ、部員を増やして、いろんなゲームを遊んだりとか、できるんじゃないかって」
「だからさ」
角くんは、わたしが重ねた春のタイルを持ち上げて、それを箱の中にしまった。次に片付けるのは夏のタイル。角くんの大きな手が、丁寧な手付きでタイルを拾ってまとめてゆく。
「自分でも割と節操なくボドゲを遊びたい方だって自覚はあるけどね、でも、俺は大須さんと遊びたいんだよ。そのための場所なんだから、ボドゲ部は」
何を返して良いのかわからなくて黙っていた。角くんはわたしの沈黙をどう受け取ったのか、小さく溜息をついて、言葉を続けた。
「でもまあ、大須さんはだいぶボドゲに慣れてきたし……俺がいなくても遊べるだろうし、他の人と遊びたいって言うなら」
「ち、違う」
今度はわたしが身を乗り出す番だった。角くんがわたしを見下ろす。目が合う。合ってしまった。
もう後に引けなくて、わたしは言葉を続けるしかない。
「体質のこと、あんまり知られたくないし。他の人と遊ぶのは怖いし。だいたい、そこまでしてボードゲーム遊びたいとは思ってないし」
角くんは何度か瞬きをしてから、恐る恐るというように声を出した。
「その……俺と遊ぶのは平気なの?」
「だって、角くんがボードゲーム持ってくるから。誘ってくるから」
「いやでも……やっぱり、本当はボドゲ遊ぶの嫌だったりとか、する?」
角くんの質問に、首を傾けて少し考える。角くんには体質のことだってもう知られているし。角くんはわたしが怖い思いをしないように気遣ってくれるし。
それに、ボードゲームは怖いばっかりじゃない。楽しいものだって教えてくれたのは角くんだ。
「あの、角くんとなら……角くんと遊ぶのは、嫌じゃない」
角くんを見上げて、その気持ちを伝える。角くんはそわそわと、落ち着きなく視線を揺らした。その頭の上にウサギの耳があったら、きっとせわしなく動いていただろうな、と思う。なんだかそうやって耳が動く様子が、思い出せるようだった。
「あの、じゃあ……」
視線を揺らしていた角くんが、真っ直ぐにわたしを見る。
「大須さん」
真面目な顔で名前を呼ばれる。わたしはびくりと背筋を伸ばして、じっと、角くんの言葉を待つ。
「これからも俺と……ボドゲ、遊んでくれますか?」
なんて答えようかとうろうろと視線を揺らす。きっと、わたしの頭のウサギの耳も、せわしなく動いてしまっているだろうと想像できた。
そうやって視線をさまよわせながら、自分の気持ちを落ち着かせる。すぐに答えられなかったのは、ただ、口に出すのがちょっと恥ずかしい気がしただけ。
角くんを見上げると、角くんはわたしの言葉を待つように首を傾けた。不安そうな顔。それで、思い切って口を開く。
「角くんとなら……角くんと、遊びたい、です」
それで角くんは、嬉しそうに、ほっとしたように笑った。
窓から入り込んだ春の風が、白いカーテンを大きく揺らす。春の風はぬかるんで、なんだかそわそわと落ち着かない気持ちにさせられる。
そのあと、わたしも角くんも何も言わなくて、どちらからともなく片付けを再開した。箱の中にみんなしまって、蓋をして、その箱もバッグの中にしまって、ボドゲ部(仮)の今年度の活動はおしまい。
帰り道、別れ際、角くんが風が吹き抜けるみたいに「また遊んで」と囁いて、わたしはカーテンが揺れるみたいにそれに頷いた。
だからどうやら、二年生になってもボドゲ部(仮)の活動は続く、らしい。




