188話 ルカの想い
「お前が相手になる?俺を誰だかわかってそう言っているのか?」
長い髪の中から、妖しく光る目を覗かせ、男はそう呟いた。たったそれだけの仕草であったが、その場にいた誰しもが肌でその男のヤバさを感じていた。ナーシェやリンがすっかり、その男の発する雰囲気に臆されそうになっていた中、ただ1人、ルカだけはゆっくりと息を吸い込んだ。
気迫に押されちゃ駄目…… 冷静になれ……冷静になれ…… 大丈夫、私にはイーナ様がついている。
「知ってるよ!白の十字架の1人……でしょ?」
「そうだ、俺は白の十字架、第3使徒アガレス。お前達のトップ、イーナとやらに用があってきた」
「イーナ様に用事?どうせろくでもない用事でしょ?」
「ルカちゃん!」
アガレスを挑発するように言葉を返すルカに、思わずナーシェが声を上げる。あの人はやばい。今まで数多のモンスターや人間と出会ってきたが、存在だけで圧倒されるような人と出会ったのは初めてである。もちろん、イーナや、それに4神と呼ばれる存在。それに使徒の一族達も、皆馬鹿みたいな力を持っていることはわかっていたが、まるっきりベクトルが異なる異常さである。
言ってみれば、モンスターよりもよっぽどモンスターであるような存在。それが目の前に立っている男、アガレスだったのである。
「……なかなか面白い奴だな。度胸が据わっていると見るか…… 大馬鹿ものと見るか……」
「イーナ様に会いたければ、私を倒してからにしなさい!」
ルカが龍神の剣を構える。
大丈夫、私にだって出来る。イーナ様の戦いを一番そばで見てきた。
「火の精霊カグツチよ…… 我に炎の加護を与えたまえ……」
ルカがそう小さく呟くと、持っていた龍神の剣が次第に熱を帯び始め、一気に炎に包まれた。
「ほう、なかなか面白い術を使うようだな」
だが、その光景を見ても、アガレスは動揺する素振りもなく、ただ冷静に言葉を発するだけであった。そして、首を少し曲げ身体をほぐすような素振りをしたのちに、静かにアガレスは口を開いた。
「ならば、お前の力見させてもらおう」
「消えた……!?」
傍らから眺めていたナーシェとリンは、先ほどまで確かに其処にいたはずのアガレスの姿を一瞬で見失った。だが、九尾の力とまではいかないが、妖狐の力を使いこなしつつあるルカにはその動きは見えていた。剣を振りかぶりながら近づいてくるアガレス。その鋭い一撃に、持っていた龍神の剣を合わせる。
直後、剣と剣が交じり合う音が響く。お互いに様子を見合うかのような攻撃の交差。一撃を交えた後に、アガレスとルカ、2人はそれぞれ距離を取った。
――こんなに重いなんて…… それに、妖狐の力があるからまだ対応できるけど…… こんなに負担が来るなんて……
初めてここまで集中したルカにとっては、たったの一撃ではあったが、それでも消耗が激しかった。そしてかたやアガレスは息一つ上がることなく、余裕そうにこちらの様子をうかがっている。
――イーナ様はいつもこんな状況で戦っていたんだ……
だが、これは訓練ではなく、実践である。いくらへばっているからと言って、相手は待ってくれない。ルカが息を立て直す間もなく、再びアガレスがルカに向かって攻撃を繰り出してきた。
「なかなかやるな…… 私の攻撃を見切るとは大したものだ」
アガレスの攻撃は次第に速度を上げていく。息つく間もなく、能力を発動し続けるルカ。呼吸をする暇も無い。少しでも気を抜いたら、そのまま酸欠になって倒れ込んでしまいそうである。だが、それでも攻撃が止むことは無い。受け続けなければ死ぬ。でも受け続けていても死ぬ。
思わず心が折れてしまいそうになるルカ。だが、必死に耐え続けているのは、持っていた龍神の剣が、折れてしまいそうな心を支えてくれていたからであった。
――イーナ様の役に立ちたい。今度こそ私だって後ろじゃなくて、横を歩きたい……
渾身の力を込めて、アガレスの剣に一撃を入れる。そのルカの攻撃に、思わずバランスを崩しそうになったアガレスは体勢を立て直そうと、少し距離を置いた。何とか呼吸を入れる暇が出来た。このまま続けていたら確実に意識が飛んでいた。すでにルカは限界が近かったのだ。
そして、その事実はアガレスも理解していた。
「思っていたよりは楽しめたぞ。だが、もう限界だろう。どうしてそこまでして戦おうとする?何がお前を其処まで突き動かす?」
もう完全に息が上がっていたルカ。先ほどまで鮮明に見えていたはずの視界は、息を入れたことで一気にぼやけて見えていた。心なしかアガレスの声も遠く感じる。
――それでも、こんな状況でも戦い続けなきゃいけない理由が私にはある。
「……いつも…… イーナ様に助けられて…… ばっかりだから……」
限界が近づいてもなお、アガレスに立ち向かおうとするルカの姿を、ナーシェは目に涙を浮かべながら眺めていることしか出来なかった。本当は私だって戦いたい。だけど、私が入ったところで何の役にも立たない。ルカちゃんが命を賭けて戦っているというのに、私は戦うことが出来ない。そんな悔しさにナーシェの心は支配されていた。
このままじゃ…… このままじゃ…… ルカちゃんが死んでしまう……
「イーナちゃん!ミズチさん!助けて!」
ナーシェも、もう縋るしかなかった。目の前にいる圧倒的な存在に、もはや残された術はない。心の奥底ではその事実を受け入れていたのだ。
「そろそろ楽にしてやろう…… お前は良くやった……」
そう言いながら、すでに満身創痍であるルカへと一気に近づくアガレス。ルカはもうすでに覚悟を決めていた。私では敵うことがないと。近づいてくるアガレスを前に、もう龍神の剣を構える力も残されていなかったのだ。
――イーナ様、ごめんね…… ルカお役に立てなかったね……
前の前に迫るアガレス。そして先ほどまでぼやけていたルカの視界で、アガレスの剣だけがくっきりと見えていた。ああこのまま斬られて私は死ぬんだ。そう確信したルカはそのまま目を閉じた。
――最後に、イーナ様に…… もう一度会いたかったなあ……
突如、金属音が鳴り響いた。目を瞑っていたルカは、見えてこそいなかったが、確かに懐かしい香り、そして気配で何が起こったのかを理解していた。
――神様…… ありがとう…… ルカの願い、聞き入れてくれたんだね……
「2回も剣を受け止められるとは……」
ナーシェもリンもその姿をくっきりと捉えていた。ルカに斬りかかろうとしていたアガレスの剣を受け止めていたのは、他の誰でもない。ルカも、ナーシェも望んでいた、そして信じていたその人物であったのだ。




