108話 死と隣り合った瞬間
「いつの間にあんな……」
私は思わず、成長したルカの姿に驚いたのだ。こんなに魔法を使いこなせるようになっているなんて、想像だにしていなかった。
「ルカちゃんありがとう!」
態勢を立て直したナーシェは再び気合いを入れた。
――術式は複雑なほどに力を増す。いわば魔力を引き出すための手順だ。水にたゆたうイメージを増幅させるんだ。自らが水と同化するように……
ナーシェの周りに浮かんでいた水がさらに量を増した。
「水の術式……水竜の加護」
ナーシェの言葉と共に、ナーシェの背後から一気にケルベロスに向かって、水が襲いかかった。水はまるで龍のような形を作りながら、凄まじい勢いで、ケルベロスを巻き込んだ。
「こんなん、反則じゃないの……?」
正直、魔法武具を私は舐めていたのかもしれない。そして、今一番驚いているのはナーシェなのだろう。ナーシェは自分でも信じられないといった様子で、その光景を呆然と眺めていた。
「効いてるみたいだよ!ナーシェ!」
ケルベロスの頭の内、赤い頭には特に効いているようだ。やはり、炎属性には水魔法が効くのだろう。
「ナーシェの奴、やるじゃないか!」
シータも、驚いた顔で、だが、娘の活躍を見守る父のような優しい表情を浮かべながら口を開いた。
「今度はルカの番だよ!」
ルカはダメージを負ったケルベロスに対して、さらに火炎の弾を飛ばした。キャン、キャンと悲鳴を上げながら、ケルベロスは苦しそうにしている。いけそうである。
「あなたには悪いですけど、これで終わらせてもらいます!」
ナーシェはさらに術式を唱えた。
「水の術式……!時雨!」
ナーシェの周りに無数に水が浮かんだとおもったら、一気にケルベロスに向かって、水の粒が見えないスピードで飛んでいった。爆発するような音と共に、周囲が一気に煙に包まれた。
「ナーシェやったね!」
ルカがナーシェに笑顔を向けながら、近寄っていった。確かに手応えはあったのだ。私も、確かにケルベロスを倒したと思ってしまったのだ。
だが、次の瞬間、煙の中から血を流しながらケルベロスはナーシェの方向へと飛びかかっていった。
「水の術式……」
だが、魔法武具はナーシェの言葉に反応しない。その間にも、ケルベロスは一気にナーシェに向かって近づいてきていた。
「まさか……エネルギー切れ……」
「ナーシェ危ない!」
ルカもなんとか態勢を立て直そうとしたが、間に合いそうもない。やばい。
「いやああああああ!」
「風の精霊ルドラよ……我に大地を守る風の力与えたまえ……」
小さな呟きと共に、私の横を突風が駆け抜けた。そして、次の瞬間、ナーシェの髪が揺れた。
呆然とするナーシェの目の前には大きな鎌を握った吸血鬼が1人立っていた。少し遅れて、血を吹き出しながら、ケルベロスが力なく倒れ込んだ音が静かに聞こえた。ケルベロスの血しぶきを美しく浴びた吸血鬼は、ナーシェの方を振り向いた。
「危なかったなナーシェ。油断するなよ」
呆然と立ち尽くしていたナーシェは次第に事態を飲み込んだ。そして、激しい動悸と共に、目から涙があふれ出した。
「あれ…… あれ……なんで……涙が」
確かに、あの瞬間、ナーシェは死と隣り合わせにいた。初めての感覚であった。
「大丈夫だ。お前の魔法はすごかったぞ」
ルートは、力なく地面へとへたり込んだナーシェに、表情を変えることなく言葉をかけた。そのいつもと変わらない少しぶっきらぼうな口調が今はとても安心する響きだったのだ。
「ナーシェ!大丈夫?」
私達はルートに遅れて、ナーシェの元へと駆け寄った。ナーシェはすっかりショックを受けてしまっているようで、放心したような様子であった。無理もない。確かに、私もあの時、死の匂いを感じてしまったのだから。その張本人であったナーシェにとっては、そんな言葉で表せるようなものではなかったのだろう。
「ルート君……ありがとう……私あんなのはじめてで……」
「気にするな、少しずつ修行していけば良いさ」
………………………………………
「それにしても!あんなにすぐにエネルギー切れになるなんて思ってませんでしたよ!説明が足りませんね!全く!」
しばらく立つと、ナーシェもすっかり立ち直ったようで、いつものように天真爛漫なナーシェへと戻ったのだ。
「でも、すごかったよ、ナーシェの魔法!あれだけすごかったらエネルギー切れになるのも無理はないよ!」
魔法武具がどんなメカニズムで魔法を発動しているのかはわからないが、あれだけの魔法を使えるのだとしたら、それこそ、銃よりも遙かに強力な武器になる事は間違いない。とんでもない発明品である。
「イーナちゃん、イーナちゃんはすごいんですね……私、あのとき確かに死を感じました。そしたら恐怖に支配されて、頭が真っ白になって……いつもイーナちゃんばっかり無理をしてと思ってましたけど……いざ自分がなったら、思いの外動けなくて……」
「みんなのために必死だったから、あんまり考えたことなかったなあ……」
そう言うと、ナーシェはクスッと笑い出し、私の方に向けて元気よく言った。
「見ててください!イーナちゃん!ルート君!今度は私がみんなを守りますから!」




