track02. 冬人は焔を見出す-Winter Man Found the Flame-(4)
そして放課後。
康二郎がスタジオの扉を開けると、中にはあの日のように、夏野と春原がいた。
「おつかれさまです」
夏野が笑顔で声をかけてくるが、春原はあの日と同じように不愛想にこちらを睨んでいる。
文句の一つでも言ってやろうとしたところで、「ほら、春原」と夏野に促され春原が小さく会釈してきた。
康二郎は仕方なく「おう」と答え、荷物を置く。椅子にどっかりと座って肘を付き、康二郎は笑んだ。
「もうちょっと練習するか?」
「いや、もう大丈夫です」
夏野が春原に目配せをする。
春原がギターを構え、夏野がマイクを握った瞬間――空気がぴんと張った気がした。
「――いきます」
ギター音が鳴り響き、夏野が口を開いた瞬間――康二郎は、瞳を見開く。
曲は、Mr.Loudのものではなく、別の――Blacklizardというハードロックバンドのものだった。
20年程前に全米で流行したバンドで、たまたまこの曲は有名曲なので、康二郎も以前ドラムの課題で叩いたことがあった。
しかし、康二郎が驚いたのは、その選曲ではない。
――目の前の声と音は、康二郎の想像とは全く異なっていた。
線が細い身体から放たれる夏野の声は、圧倒的な声量と深い安定感、そして何より――艶があった。
康二郎もそんなに多くのボーカルを見てきたわけではないが、同年代でこんな歌声の持ち主に出逢ったことはない。
あの日倒れた姿からは想像できない程、目の前の夏野は存在感を持って、そして焔を瞳に灯して歌っていた。
また、春原のギターもそれに全く劣らない。
この前イントロだけ聴いた限り、技術の高さは感じていたが、ギターソロに差し掛かるとやけに情感の籠った弾き方をする。
そのギターは、確かに夏野の歌に応えるかのように鳴いていた。
春原の表情は険しいままだが、その身体からは躍動する感情が迸っている。
――何だ、こいつら。
気付けば前のめりになって、康二郎は目の前のセッションを聴いていた。
身体の奥深くに眠っていた熱が揺らめくのを感じ、康二郎は笑みを抑えることができない。
あの日、カズサのドラムを初めて聴いた、あの瞬間以来――目の前の音楽に魂を揺さぶられる感覚は、初めてだった。
最後に夏野の伸びのあるシャウトと春原のギターサウンドが絡み合い、そしてそれがフェードアウトした果てに、静寂が戻る。
康二郎は純粋な拍手でその静けさを割った。
目の前の夏野と春原から発せられていた空気がふっと和らぐ。
「いいじゃん、お前ら。貸してやるよ、俺の練習シフト」
「本当ですか!?」
ぱぁっと夏野の表情が明るくなり、春原もほっとしたように息を吐いた。
「――だが、条件がある」
「……条件?」
二人の表情が曇る。
康二郎は揚々と立ち上がり――宣言した。
「卒業まで暇だから、俺もお前らのバンドに入れろ」
「「はぁ!?」」
夏野と春原の声がハモる。
「何だ、文句あんのか?」
「いや、そんなことは――」
「いえ、夏野さん。俺は反対です」
ギターを置いた春原が前に出る。
「練習時間を使わせてもらえるのはありがたいけど、俺達はあんたのドラム聴いたことないし。レベルもわからない人にいきなり組めって言われても困る」
「春原、失礼だろ」
夏野が春原を諫めるが、春原の態度は変わらない。
あいかわらず生意気な物言いをする。
普段の康二郎であれば、胸倉を掴んでもおかしくなかった。
しかし、今の康二郎は、機嫌が良かった。
「まぁそれもそうだな。いいぜ、特別に聴かせてやるよ」
二人の間を通り抜け、奥のドラムセットに座る。春原、そして夏野の順にスティックで指し――康二郎は、腹から込み上げる笑みをそのまま顔に浮かべた。
「――びびんなよ?」
両手でシンバルを鳴らす。それがスタートだった。
そのまま康二郎は感情の赴くままにドラムを叩き続ける。
我ながら凄まじい勢いだと思ったが、もう止められない。
夏野と春原のセッションに触れたことで、康二郎は確かに昂っていた。
自分の持てる熱全てをぶつけたくて仕方がなかった。
二人の視線が突き刺さっているのがわかる。
見なくても、感じる。
きっと二人とも、呆気に取られているに違いない。
嵐のようなドラミングの最中で、康二郎はただ笑っていた。
――そうだ、燻るような夏野のあの瞳の色、俺はあの色になんつうか――惹かれたんだ。
さぁ、その瞳で俺を――見ろ、見ろ、見ろ!!
ラストに力いっぱい鳴らしたシンバルを手で押さえ、康二郎は演奏を止めた。
シンバルの微かな残響が消えゆくスタジオの中で、初めて康二郎は二人の観客を見た。
想像通り、ぽかんと間抜けな顔をしている春原と、そして――きらきらとした瞳でこちらを見つめる夏野。
康二郎は立ち上がって腕を組み、高らかに声を上げた。
「――俺は冬島康二郎だ。短ぇ間だがよろしくな」
***
その日はそのまま、有名な洋楽バンドの曲を幾つかセッションして、下校時刻を迎えた。
二人で練習したレパートリーには限りがあるはずだが、夏野も春原も一度曲を聴かせると、それなりの形で再現する。
完全に知らない曲ではないであろうし、また夏野が持参した譜面を春原が少し眺めることもあったが、その飲み込みの早さも康二郎は気に入った。
「あとは、ベーシストかな。ひとまず4ピースいれば最低限いろんな曲できるし」
スタジオを片付けながら夏野が言う。
「俺は夏野さんと二人でも良かったんですが。エレアコ使えば、ボーカルとギターだけでも全然おかしくないですし」
春原がギターをケースにしまいながらぶつぶつと呟いている。諦めの悪い奴だ。
「新入生に誰かベースいねぇの? 2年以上は皆バンド組んでるだろ」
「他の新入生知らないんで」
そうとだけ答えて春原がギターケースを担ぐ。
「使えねぇ奴だな」
ぼそっと康二郎が呟くと、春原がギロリとこちらを睨んできた。
「ま、あとで考えよう」
夏野が笑顔で春原の背中を軽く叩くと、春原は小さい声で「はい」と答える。
春原は随分と夏野に従順なようだ。
しかし――。
「誰か見付けねぇと、来月の学内公演ベースなしだな」
「「え?」」
二人が康二郎の方を振り返る。
そのリアクションに、康二郎は「あ?」と首を傾げ――そして、「あぁ」と思い当たった。
夏野は鬼崎に無理矢理連れられてきただけだ。
きっとろくに説明されていないのだろう。
「その年新しく入ったバンドは、6月にお披露目公演するんだよ。まぁ高校からバンド始める奴も多いから、ベースいなくても見劣りはしねぇが――」
「いや、折角だし、入れましょう。探します」
夏野が引き取り、「な?」と春原を見る。
春原は再度小さな声で「はい」と答えた。
そのまま二人はスタジオの鍵を職員室に返しに行くと言う。
初めてマトモに接した後輩達と、康二郎はスタジオの前で別れた。
そのまま帰ろうと鞄からヘッドホンを出そうとし――教室の机の中に置き忘れたことに気付く。
康二郎は仕方なく教室に向かった。
折角良い気分になったのだ。今日セッションしたものや、今後演奏したい曲を聴きながら帰りたかった。
そして、教室のドアを開けて、康二郎はすぐに後悔した。
教室の中には、目障りな金髪の同級生――鬼崎が居た。
鬼崎と視線が合う。
康二郎は特に話すこともせず、自席に向かった。
ヘッドホンを机の中から取り出し、そのまま教室を出て行こうとした瞬間――康二郎の中に、小さな悪戯心が芽生えた。
振り返ると、鬼崎は既にこちらを見ていない。
できる限り感情の色を抑えながら、康二郎は声を上げた。
「おい、お前のお目当ての春原だけどよ」
鬼崎は黙ったまま、康二郎に視線を戻した。
「――俺、あいつらのバンドに入ることにしたわ」
そう言って康二郎は笑った。
目の前の鬼崎の表情はぴくりともしなかったが――少しして、笑みに変わる。
「へぇ、珍しいね。どういう風の吹き回し?」
「丁度退屈してたんだよ。二人ともまぁまぁレベル高ぇし――ま、飛ぶ鳥を落とす勢いの天才高校生ミュージシャン様には関係ねぇだろうけど」
鬼崎の顔から笑みが消えた。
「お前は春原しか見てないんだろうが、夏野も十分歌えるし。もしかしてお前がやってるユニット? そっちよりもいいかもな」
「――ふぅん、そう」
興味なさそうに鬼崎は康二郎から視線を外す。
あくまで康二郎のことは相手にしていない――そんな態度に見えるが、微かに鬼崎から苛立ちの感情が見て取れた。
――あぁ、今日は全く、いい一日だ。
教室のドアを開けて出て行こうとした瞬間、背後から声が響いた。
「6月公演、楽しみだね」
そして、翌週の練習日。
「冬島さん、ベース、連れてきました」
康二郎の目の前には――長いストレートヘアの、綺麗な顔をした女子高生が立っていた。
何も言えないでいる康二郎に、彼女はぺこりとお辞儀する。
シャンプーなのか、それともその身体から発せられているのか――甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
「こんにちは、高梨亜季です」
顔を上げた彼女の瞳は、その髪の色と同じく、黒かった。
吸い込まれそうな感覚に、康二郎はそのまま黙るしかなかった。
たとえ神に背こうとも
男は選びし道を往く
旅路の果てに手にしたものは
確かに燻る鮮やかな熱
track02. 冬人は焔を見出す-Winter Man Found the Flame-




