track02. 冬人は焔を見出す-Winter Man Found the Flame-(3)
翌日の昼休み、康二郎はヘッドホンで音楽を聴きながら自席でパンを齧っていた。
昨日久々に演奏したMr.Loudは懐かしく、唯一持っていたオリジナルアルバムを聴き直しているところだ。
丁度昨日の演奏曲に差しかかった時――目の前を、鬼崎が通る。
普段は話しかけたりなど決してしないが、何故か魔が差してしまった。
「おい」
鬼崎が振り返る。
「あれ、君、いたの」
その言い方にまた少し苛立ちを覚えつつ、康二郎はヘッドホンを外して立ち上がった。
「昨日俺の練習時間に訳のわかんねー下級生突っ込んだだろ。渡すならお前のシフトにしろよ。そもそも学校のスタジオをお前が使う必要性もねぇだろ」
そう――鬼崎もまた、康二郎と同じく、この高校でバンドを組んでいるわけではない。
結局鬼崎のお眼鏡にかなう学生はいなかったのか、学内公演でも一人で自作の打ち込み音楽に合わせてキーボードを弾いているだけだ。
本業のKing & Queenというユニットがあるのに、何故鬼崎が軽音楽部に在籍しているのか康二郎には理解できなかった。
というか、目障りなので辞めてほしいくらいだ。
「下級生?」
鬼崎は康二郎の嫌味を気にする素振りもなく、首を傾げていたが、ふと思い当たったように答えた。
「――あぁ、春原クンね」
「何であいつらを呼んだ?」
ふんと鬼崎が鼻を鳴らす。
「彼のギター聴いた? 高校生にしてはかなり弾けるからさ、僕のユニットたまに手伝ってもらおうと思って」
「もう一人の奴は?」
「もう一人?」
鬼崎は再度首を傾げた後に、「あぁ」と興味がなさそうに口を開いた。
「彼ね。単に春原クンが彼とバンド組みたいって言ったから連れてきただけだよ。何かあった?」
つまり、鬼崎のお目当てはギターの方だったということか。
しかし、康二郎は何故か夏野のことが頭から離れなかった。
「別に、何でもねぇよ。とにかく俺の練習の邪魔はするな」
はいはい、と鬼崎が去っていく。
その後ろ姿を見送りながらも、康二郎の脳裏には、夏野の表情がよみがえっていた。
青褪めた顔の中で、あの眼光だけは鋭さを持って燻っていた。
それが康二郎には忘れられなかった。
康二郎は再度ヘッドホンを着けた。
再生すると、ギターのイントロに続いてボーカルが歌い出す。
昨日改めて聴くまで、あまり歌詞の内容を深く考えたことはなかったが、曲の中の彼は何度もこう叫んでいた。
――Bite the bullet, bite the bullet.
「……何だ、それ」
康二郎は机に突っ伏して、目を閉じる。
瞼の裏に、また夏野の眼差しが浮かんだ。
――あいつは一体、どんな声で歌うのだろう。
***
それから1ヶ月程経っただろうか。
練習用のスティックがボロボロになってきたので、学校帰りに楽器屋に立ち寄ったところ、康二郎は店内で彼のボーカリストと出くわした。
「「あ」」
思わず上げた声が揃い、夏野が気まずそうな表情をする。
そんな顔をされて無視できない程度には、康二郎も虚を突かれていた。
どう話しかけようかと思った矢先、夏野がこちらに頭を下げる。
「この前はすみませんでした」
康二郎は少し拍子抜けした。
身長が190センチ近くある康二郎から見ると、夏野はだいぶ小さく見える。
顔を上げ、こちらを見上げるその瞳には、あの日の燻るような色はなかった。
「――別に。まぁ、悪ぃのは鬼崎の野郎だからな」
「……そう言われれば、そうですね。ははっ」
夏野が屈託なく笑う。
そんな返しをするとは思わなかった。
1ヶ月前とはまるで印象が異なるその笑顔に、康二郎はまた少し興味を惹かれた。
もう少し会話しても良いか、という気分にはなる程度に。
「ここにはよく来んのか」
「久々に来ました。昔――バンドやってた時は、友達とたまに来てましたけど」
「まぁ、ボーカルだとそんなに用事ねぇよな」
夏野が頷く。
「そうなんですけど……ちょっと、リハビリ的なのもあって」
「リハビリ?」
夏野は視線を外して、言いにくそうに言った。
「……人前で歌うの久し振りなので。バンドやってた時の行動をなぞってみたら、勘も戻るかも知れないと思って」
よくわからないが、色々事情があるらしい。
先日の1件の背景が少し垣間見えた気がした。
まぁ、康二郎には関係のないことだが。
「あのクソ生意気なギタリストは?」
「今日は俺一人です」
そう答えた後に、夏野が少し表情を曇らせる。
「この前は春原が失礼な態度取ってすみません。悪いやつじゃないんですけど」
「……まぁ、ギターは上手かったな。俺のドラム程じゃないが」
「――あ、ドラマーなんですか?」
夏野が興味を示す。
「まぁな」
「どんなメンバー編成なんですか?」
「あー、そもそも俺、バンド組んだことねぇわ。プロになりたいだけだし」
「プロ? すごいっすね。ドラムが好きなんですか?」
「いや、単にドラム上手かったらモテたから。プロになったら、もっとモテると思って」
正直に答えると、夏野が目を丸くする。
「それだけ?」
「ふざけんな、超重要じゃねぇか。テレビにもよく映るだろ、ボーカルの後ろだし」
「言われてみれば――まぁ、そうかも」
康二郎は自分でも驚く程饒舌になっていた。
同級生でもこんなことを話す相手はいなかった。
不思議と夏野と話すのは、嫌じゃない。
「じゃあお前は何で歌うんだよ」
「うーん……そう言われると、確かに」
考え込む仕草をしてみせる夏野。そしてにやっと笑った。
「モテたい気持ちはあります」
くるくる変わる表情と人懐こい話し方――元々はこういう気質の奴で、それがあの時は曇っていただけなのではないか。康二郎はそう感じていた。
「――まぁ、リハビリか何か知らねぇけど、とりあえず練習すれば? そしたら余計なこと考える暇もなくなるだろ」
康二郎の言葉に、夏野の表情が引き締まる。
彼は不敵な笑みを湛えて頷いた。
「……それもそうですね」
その日は一旦、そこで別れた。
店を出た康二郎は、そのままドラム教室に向かう。
今日は週に1度の練習日だ。
待合室のソファーに座り、買ったばかりのスティックをもてあそんでいると、スタジオのドアが開いて中から小学生が飛び出してきた。
康二郎と目が合うと、彼は少しびくりと固まった後、「せんせーさよーならー!」と足早に外に出ていく。
あの小学生と逢うのは何度目かだが、なかなか慣れないようだ。
「はい、さようなら」
奥から化粧っ気のない女性が顔を出した。
彼女は康二郎を見て口を尖らせる。
「康二郎くん、まだあの子と仲良くなれないの?」
「……カズサ先生、余計なお世話っす」
康二郎の返しに、カズサはニッと笑った。
カズサは育児休職していた音楽教師が復帰したタイミングで、康二郎の通っていた小学校を辞めた。
本業であったドラム教室の講師に戻ると聞いた康二郎は、以来このドラム教室に通っている。
康二郎はスタジオに入り、準備を始めた。
椅子の高さを調整し終わり康二郎が顔を上げると、カズサは先程の笑顔のままこちらを見ていた。
「――何すか?」
「……康二郎くん、遂に彼女できたの? 何かいい顔してる」
長い付き合いだ。何か感じるものがあったのかも知れない。
できれば彼女であってほしかったが――そうそう悪くもない出逢いだ。
そんなことを考えた自分に、康二郎は小さく笑った。
「――さぁ、どうっすかね」
そう答えた康二郎の脳裏には、楽器店を出る際に一瞥した夏野の姿がよみがえっていた。
店内で譜面を見ていたその真剣な眼差しには、確かにあの日感じた熱があり――康二郎は近い内に夏野がスタジオを再訪することを確信した。
そして、再会の日は、思ったよりも早かった。
「おはようございます」
楽器店で逢った翌日、登校途中に背後から声を掛けられた。
振り返るとそこには夏野が立っている。
「おう、よく逢うな」
夏野は康二郎の言葉に「そうですね」とはにかみ、隣に並んで歩き出した。
「今日、練習の日ですよね。急ですけど、もう一回セッション聴いてもらえませんか」
――きたか。
少しむずがゆいような、そしてそれでいて小さな歓びを感じながら――康二郎はそれを感じさせないように、鼻を鳴らす。
「何だ、もうリハビリ済んだのか」
「わかんないですけど、先輩の言う通りだなと」
横目で夏野を見ると、夏野はこちらを真剣な面持ちで見つめていた。
「とりあえず、練習したいなと思って」
その瞳に、焔を確認して、康二郎はニヤリと笑う。
「――わかった、放課後な」
これだけ俺を期待させたんだ。半端なもの見せるんじゃねぇぞ。




