track02. 冬人は焔を見出す-Winter Man Found the Flame-(2)
「あ、すいません」
マイクを持っていた下級生が頭を下げる。
丈の長いシャツからは細い足が伸びていた。康二郎の体格と比較すると大抵の男子高校生は華奢に見えるが、目の前の彼は中でも小柄な方だろう。
焦げ茶色で少し長めの髪に、目は大きく、印象的な顔立ちをしていた。
一方、奥でギターを提げている明るい茶髪の下級生は憮然とした表情のままだ。
「夏野さん、謝らなくて大丈夫ですよ」
そして、その鋭い目付きで、康二郎の方を睨み付けた。
「1年の春原ですけど。何ですか? 俺達、鬼崎さんに呼ばれて来たんですけど」
「あ? 鬼崎だと?」
春原と名乗った下級生の悪いとも思っていない態度と、口から飛び出した鬼崎という名前――この二つが康二郎の導火線を炙るのは、造作もないことだった。
康二郎は舌打ちをして、春原を睨み返す。
――あの野郎、俺のシフトを勝手に下級生に渡しやがった。
「鬼崎が何言ったか知らねぇがこの時間は俺のシフトなんだよ。わかったらさっさと出ていけ」
しかし、春原は怯まない。
「そんなこと言われても困るんで。今日は俺達が使います」
「おい、春原……」
夏野と呼ばれた下級生がとりなそうとするが、春原は譲る気配がない。
康二郎は頭に血が上るのを感じたが――その一方で、目の前の彼らに、少し気を惹かれてもいた。
今春原は「鬼崎に呼ばれた」と言った。
何故鬼崎は彼らをスタジオに呼んだのか?
鬼崎は自分の気に入らないものについてははっきりとNGを出すはずだ。
逆に言えば、わざわざ呼んだということは――鬼崎は少なからず彼らを評価したということだ。
今の状況は全く面白くないが、康二郎は己の好奇心に従うことにした。
「――わかった。じゃあ、一つ条件がある」
「条件?」
「お前ら、何でもいいから1曲やってみろ。それが良かったら、今日の練習時間は譲ってやるよ。そんくらいできるだろ?」
康二郎は夏野と春原を見下ろしながら、鼻を鳴らす。
「――それもできねぇんだったら、おうちで練習して出直してくるんだな」
明らかにカチンとした様子の春原がギターのネックを握り締めた。
「望むところですよ。丁度今からやろうと思ってたんで」
「おい、春原……」
「夏野さん、今の曲やりましょう」
夏野は何かを言いたそうにしていたが――渋々頷いた。
春原が1年生ということは、彼が敬語で話しているこっちの夏野という奴は2年生か?
しかし、康二郎は夏野の顔を見た覚えがなかった。
まぁまともに軽音楽部の集まりにも顔を出していないので、仮にいたとしても康二郎が認識していないだけかも知れない。
マイクを持っているからボーカルなんだろう。
康二郎が夏野について思いを巡らせている間に、春原がギターを構えた。
佇まいや手捌きから見て、間違いなく経験者だろう。
その春原の視線の先には浮かない表情で夏野が立っているが、何かを決意したようにゆっくり頷いた。
「1,2,3,4」
口でカウントを終えた春原が弾き出した瞬間――康二郎は納得した。
曲は数年前に流行ったアメリカのロックバンド、Mr.Loudのものだ。
ギターの速弾きがフィーチャーされがちなバンドだったが、ドラムも力強さと変則的なテクニックが独特で、当時は康二郎も何曲か練習していた。
今春原が弾いている曲は、ギターの手数も多く初心者ならまず選ばない代物で、それを春原は全く気負うことなく完璧に弾きこなしていた。
生意気な野郎だが、ギターのテクニックは合格点ってとこか。
しかし、イントロが終盤に差し掛かった時――急に正確だった音が止まった。
「あ?」
目の前の春原は目線を夏野の方に向けながら硬直している。
そのまま、春原は口を開いた。
「……夏野さん?」
横に視線を移すと――夏野の顔から血の気が引いている。
まずい、と思った時には夏野の身体のバランスが崩れていた。
「おい!?」
慌てて倒れる夏野を抱き止める。
体格の関係もあり、少しひ弱そうだとは思ったが、まさかいきなり倒れるとは思わなかった。
随分軽く感じる身体を床に座らせて、康二郎は安堵の息を吐いた。
夏野は小さく震えていた。
「どうした、お前――大丈夫か?」
「……すいません、大丈夫です」
ぼそりと夏野が答える。本人もかなり動揺しているようだ。
春原も夏野に視線を合わせるように屈み込む。
表情はあまり変わらないが、先程までの威勢は鳴りを潜めており、春原も狼狽えているように見えた。
「夏野さん、すみません――俺が、勝手に」
春原の言葉に、夏野が力なく首を横に振る。口が少し動いたが、言葉にならなかった。
一体今何が起こっているのか、康二郎にも全く理解ができない。
そもそもこいつらは一体何なんだ?
全く背景の見えない二人組に内心戸惑っていたが、ふと冷静になってみると、自分がこいつらに付き合う義理も道理もない。
はーっと深く息を吐いて、康二郎は腰を上げ、すっかりおとなしくなった二人を見下ろす。
「ま、人前で歌うのが恥ずかしいようじゃ、まだまだだな。さっさと出ていけ、練習の邪魔だ」
「……何だと?」
春原がこちらを睨み付け、立ち上がろうとしたところを――夏野が手で制した。
「ごめんな、春原。今日は帰ろう」
夏野がゆっくりと立ち上がる。
少しふらついてはいたが、こちらを捉えたその眼差しに――康二郎は一瞬、息を呑んだ。
その瞳には、まるで焔のように、熱が灯っている。
「お邪魔しました」
そして、二人は連れ立って出ていき、後には康二郎だけが残された。
――何だったんだ、あれは。
謎の訪問者に思いを馳せようとしたところで、わからないことを考えても仕方がないことに気付き、康二郎は考えるのを止めた。
スタジオが使える時間はあと七十五分。貴重な練習時間を無駄にしたくはなかった。
ドラムセットのセッティングをしながら、康二郎はふと先程春原が弾いた曲を思い返す。
まんまと乗せられたようで癪だが、久々に叩いてみるか。
康二郎は頭の中で曲を思い出しながら、椅子に座り、スティックを構えた。




