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【完結】夏よ季節の音を聴け -トラウマ持ちのボーカリストはもう一度立ち上がる-  作者: 未来屋 環


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track01. 夏鳥は銃弾を噛む-Summer Bird Bites the Bullet-(4)

「夏野さん、ですよね」


 やや控えめな声に、夏野は(いささ)か毒気を抜かれる。


「……ごめん、どこかで逢った?」

「1-Bの春原(はるはら)です。一緒にバンドやってくれるんですね」

「いや、誰もやるとは言ってないけど。君、鬼崎さん(あの人)のファンじゃないの?」

「いえ、俺はあなたのファンです」


 春原と名乗った青年は、きっぱりと断言した。


「……いや、ファンって、なんで――」

「大丈夫」


 春原は夏野の疑問に答えずに続ける。


「絶対にあなたは俺の隣で歌うことになります。だって、俺はその為に来たんだから」


 その眼差しがあまりにもまっすぐで、夏野は返す言葉を見付けられなかった。

 その(かん)にも春原がケースからギターを出す。深い青色のエレキギターだった。

 春原は軽くギターを(はじ)きながら話し始めた。


「折角だから何か歌いませんか? そう――」


 そして、彼はちらとギターから夏野に視線を移す。


「『知っている曲なら何でも弾けるよ』」


 その言葉には、聞き覚えがあった。

 その記憶に思い当たり、夏野はまじまじと春原を見つめ直した。


「――まさか、昨日の……!?」


 あの黒いニット帽の下に、こんな明るい茶髪が隠されているとは思わなかった。


「気付いてくれた? 俺、あそこでボーカルやってくれそうな人を探してたんです。それで、あなたを見付けて思ったんだ――このひとしかいないって。しかも同じ学校なんて、運命じゃない?」


 春原の語り口調は淡々としていたが、その端々に高揚の色が感じられる。

 しまった。調子に乗るんじゃなかった。

 夏野がそう後悔しても後の祭りだった。


「俺は歌うつもりないよ。今日だって、鬼崎さん(あのひと)にむりやり連れて来られただけだし」

「そんなこと言わずに、やりましょうよ。昨日だって、夏野さんすごく楽しそうだったし。何やります? 折角だから、昨日中途半端で終わっちゃったやつ――」

「――『Bite the Bullet』?」


 春原が(うなず)く。

 確かに夏野の中で、昨日最後まであの曲をやりきれなかったのは心残りだった。それもあって、昨晩から何度も何度もリピートしていたのだ。


「あの曲好きなの?」

「好きですよ。メロディーもいいし、ギターの手数も多くて弾いてて楽しいし。でも――」

「でも?」


 サビのメロディーラインを爪弾(つまび)きながら、春原が答える。


「一番好きなのは、歌詞かな」

「俺も」


 思わず口から(こぼ)れた声に、春原が少し口角を上げた。


「――だったら、わかるでしょ?」


 『やるしかない』


 春原が立ち上がり、スタジオ内のアンプと自分のギターをシールドケーブルで繋ぐ。

 アンプの電源を入れると同時に室内に音が充満し、夏野は全身が粟立(あわだ)つように感じた。

 春原がギターを軽く鳴らしながら音量調整をしている間、夏野の心臓は拍動の速度を上げていく。

 つられて呼吸も速くなり、夏野は胸を強く押さえた。肩で息をしながら、夏野は立ち上がる。


 ギターを()げた春原がこちらを振り返り、異変に気付いてその目を見開いた。


「――どうしたんですか」

「……大丈夫、何でもない」


 夏野は必死で息を落ち着かせようと試みる。

 我ながら情けない。まだあの時の記憶にこんなにも支配されていたなんて。


「大丈夫って、そんな」


 ゆっくりと呼吸をすることを心がけながら、夏野は春原を見る。

 春原は、表情はあまり変わらないものの、目に見えて狼狽(ろうばい)していた。昨日今日の振舞いで図太い男だと思っていたが、意外と繊細なやつなのかも知れない。

 まぁ、変わり者には違いない。

 こんな俺のファンで、そして――俺の隣でギターを弾く為に、ここにいるだなんて。


 そう考えている内に、少し気分が軽くなって、夏野は小さく笑った。


「……夏野さん?」

「わかったよ」


 平静を取り戻し、夏野は春原に告げる。


「――弾いてくれ、ギター」


 ――もうこんなチャンスはきっと、来ない。


 夏野の言葉に、春原は無言のまま――そのギターで応えた。

 何度も何度も、夏野が繰り返し聴いてきた、そのメロディーで。

 夏野は目を閉じてその旋律を追った。

 暗闇の中に、少しだけ波音が立つ。

 久々の感覚に、夏野は微笑んだ。


 ――あぁ、久し振りだな。


 息を吸い、イントロの末に第一声を出した時、それはとても自然に喉から放たれていった。

 昨日の悪戦苦闘は何だったのか、思った以上に楽に声が出て、夏野は内心驚き――そして、一人納得する。


 心地良いのだ。春原のギターが。

 この音は、俺に好きに歌っていいのだと伝えてくれている。

 夏野は幾年振りかに歌声を響かせた。

 自分の中の全てを解き放つように。

 果ては世界を切り裂くように。



 ――曲が、終わった。

 夏野は目を開く。

 その瞳に映った彼は、呆然としたようにこちらを見ていた。

 一瞬ひやりと不安が背中を走るが――それは、彼の表情でかき消える。


「――やっぱり、あなたは本物だ」


 夏野は初めて、春原の笑顔を見た気がした。

 夏野が春原に声をかけようとしたその時――背後のドアが開く音がした。


「あ? 何だ、先客か?」


 低い声が鼓膜を震わせる。

 二人が振り返ると、そこには――背が高くがっしりとした体躯(たいく)の男が立っていた。

 肩まで伸びた黒髪を鬱陶しそうにかき上げ、彼は夏野と春原を睨み付ける。


「見ねぇ顔だな――誰だ、お前ら」



 ――銃弾を(おそ)れたその鳥は

 歌うことを忘れてしまった

 それでも、春は訪れる

 ただ、彼の(さえず)りを待ちながら



track01. 夏鳥は銃弾を噛む-Summer Bird Bites the Bullet-

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