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【完結】夏よ季節の音を聴け -トラウマ持ちのボーカリストはもう一度立ち上がる-  作者: 未来屋 環


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track06. サマーデイズ・ラプソディー-Summer Days Rhapsody-(4)

 ――そして、夏野は見慣れないスタジオの端に座らされていた。春原は鬼崎と共にブースの中で何か会話をしている。何を話しているんだろうと思いながらも、部外者の夏野はただそれを見ていることしかできない。

 すると、スタジオの扉が開いて、眼鏡をかけたスーツの若い男性が入ってくる。彼は夏野にペットボトルのお茶を差し出してきた。

「喉渇いたでしょ。はい、これ」

「あ、ありがとうございます」

 礼を言って夏野が受け取ると、男性はにこやかに続ける。

「いやー、まさか達哉くんが友達を連れてくるとはね。嬉しいよ。あの性格だから学校で孤立してるんじゃないかと心配してたんだ」

「――越智さん、彼は友達じゃなくて後輩。ていうか僕のことさりげなくバカにしてない?」

 いつの間にかブースから出てきていた鬼崎が毒づくと、「嫌だなぁ、冗談冗談」と越智は明るく笑ってみせた。

 そんな彼に鬼崎は溜め息を吐くが、その表情は学内で見るものとは違って見える。学校からここまで夏野達を車で送ってくれたこの越智という男は、鬼崎のマネージャーらしい。夏野の目には鬼崎はいつものように高飛車に映るが、それでも越智との関係性は悪くないようだ。新しい鬼崎の一面を見た気がしていると、ふと鬼崎が「何?」と夏野を振り返る。慌てて夏野が首を左右に振ると、鬼崎は即座に夏野への興味を失い、マイクの前に向き直った。


「春原クン、聞こえる?」


 マイクを通じてブースにも声が走ったのか、ギターを提げた春原がこちらを振り向く。彼はヘッドホンをしており、目の前の譜面台には楽譜が並べられていた。春原の表情は固い。鬼崎とどのような話があったのかはわからないが、いつも演奏していた学校のスタジオや公園とは違う――ここはプロの使うスタジオだ。きっと緊張しているのだろう。そんな春原を見守ることしかできない自分を、夏野は歯痒く思った。

「これから曲を流すから一回聴いてみて」

 春原が頷く。そして、スタジオ内に音楽が響き渡った。夏野は初めて聴く曲だ。キーボードが何層かに重なって流れるその曲は、たとえ街中で流れていたとしても違和感がまるでない。まともにKing & Queenの曲を聴いたことはないが、このクオリティの作曲を自分と同世代の鬼崎がこなしていると思うと、夏野は不思議な感覚に陥るのだった。曲が終わったところで、鬼崎が再度口を開く。

「――そしたら、次は楽譜通りに弾いてみて」

 再度音楽が鳴り始め、春原がギターを弾き始めた。隣に座っていた越智が「へぇ」と感心する。春原は先程の曲にギターの音色で彩りを加えていった。まるで、完全に別の(もの)に生まれ変わったようだ。表情は緊張して少し強張ったままだが、演奏は全くそれを感じさせず、滑らかだった。


「……すごい」


 思わず声が洩れる。そんな夏野に、越智が「確かにすごいね」と相槌を打った。しかし、夏野と越智の驚きは、決して同じ種類のものではない。越智は単純に春原のギター演奏技術の高さを称賛していた。しかし、夏野は別の衝撃を受けていた。

 一点目は、鬼崎の作曲能力だ。先日の六月公演や鬼崎のスタイルを考えれば、彼の音楽はJ-POPであり少なくともロック主体ではないだろう。それなのに、レトロなロック音楽ばかりを聴いてきた夏野が純粋に「格好良い」と思えるような、そんな曲が今スタジオに流れている。その陰にどれだけの楽曲センスと――そして、努力があるのか。夏野は瞬間的にそれを感じ取っていた。

 そして二点目は、春原の存在だった。ギターの演奏難度だけを考えれば、そこまで難しいものではない。いつもの春原の腕前であれば当然弾けるだろう。しかし、春原が緊張と戦いながら、目の前で新しい曲に生命を吹き込んでいる姿は、夏野の心の奥底にある何かを強く揺さぶった。

 夏野は胸の疼きを抑えるように、小さく息を吐く。目の前の二人が圧倒的に大きな存在に感じられて、夏野は知らず知らずの内に――


「――そんなに良い?」


 隣の越智に話しかけられ、夏野は「え?」と振り返った。彼は変わらぬ笑顔でこちらを見ている。夏野は「あぁ、はい」と答えて、鬼崎と春原の方に視線を戻した。

「はい、おつかれさま。春原クン、さすがだね。どう?」

 曲が終わり、鬼崎が春原に話しかける。春原は少し考えた後に、口を開いた。

「……すごく弾きやすかったです。ロックですけど、キャッチーで聴きやすいと思います」

「ありがとう。ちなみに、この曲カップリングなんだよね。だからもうちょっと冒険してロック色強めにしたいんだけど、どうすれば良いと思う?」

 春原は黙ってギターを軽く爪弾く。そして、顔を上げて鬼崎を見た。いつの間にか緊張の色は薄れ、眼差しが鋭さを持っている。

「もう一回、間奏の前から流してもらえますか?」

 鬼崎が春原の指示通りに曲を流した。それに合わせて春原はギターを弾く。そのソロは、先程とは全く違った旋律を刻んだ。音数が多く、初回と曲の印象ががらりと変わる。

「もう一回」

 今度はサビと同じようなメロディーをなぞりつつ、後半で音を歪めてみせた。春原が色々と試すのを、鬼崎はじっと真剣に聴き入っている。そして五回弾き終わったところで春原が手を止め、鬼崎ではなく――夏野に視線を向けた。


「夏野さん、どれが良いですか?」

「――え、俺?」


 思わず夏野が声を上げると、鬼崎がじろりとこちらを()め付ける。隣の越智からも視線を感じた。部外者の自分が口を挟むのは、いかがなものか。しかし、春原がふざけて夏野に話を振るような性格でないことは、夏野が一番よく知っている。こちらをじっと見つめる春原の眼差しが不安な色を抱えているように見えて、思わず夏野は口を開いた。

「――俺は、二つ目が良いと思ったけど……」

「けど?」と鬼崎が言葉を継ぐ。夏野は心の中で一息ついて、続けた。

「もしもっとハードにしたいんだったら、曲全体のテンポをもう少し遅くして、ギターのバッキングを増やしたら良いと思います。それから、三つ目で春原がサビを追うようなソロ弾いていましたけど、あれをラスサビとかに持ってきて、歌とギターが重なるように弾いたら格好良いんじゃないかな。俺が思ったのはそれくらいです」

 そこまで言って、ブースの中の春原に視線を戻したところで――夏野は目を見開く。

 緊張で固まっていたはずの春原の表情が、嬉しそうに綻んでいた。既視感のあるその笑顔を、夏野は記憶の中から探し出す。それは、二人で初めてスタジオでセッションした時の表情そのものだった。

 あの時、春原はこう言った。

『――やっぱり、あなたは本物だ』と。


「ふぅん――ま、夏野クンの言うことも一理あるかもね。でも――」

「――King & Queenだと、やりすぎかな」


 背後からいきなり女性の声が響く。

 驚いた夏野が振り返ると、そこにはKing & Queenのボーカル(ワン)小鈴(シャオリン)が立っていた。六月公演の時とは異なり、黒いキャップに眼鏡、Tシャツと随分とラフな格好だ。デニムのホットパンツからすらりと伸びる白い足が眩しくて、夏野は思わず目を逸らす。それを知ってか知らずか、小鈴は夏野にぐいと顔を近付けてきた。

「夏野くん、また逢えたね」

 香水をつけているのか花のような香りがふわりと舞う。近くで見る小鈴は目がぱっちりとしていて、とてつもなく可愛かった。そんな状況で「あ、どうも」としか返せない自分に、夏野は密かに落胆する。普段一緒に居る亜季だって夏野は十分綺麗だと思っているが、さすがに芸能人はレベルが違った。

 そんな夏野に悪戯っぽく笑いかけた後、小鈴は鬼崎の方に歩いていく。

「何、会社に断られたのに、引っ張ってきたの?」

「レコーディングはダメだって言われただけだよ。今回録音したやつを聴かせて、良ければそのまま使おうと思ってる」

「ふーん。まぁプロデューサーももう一時間くらいで来るし、挨拶だけでもしていったら?」

「そのつもり」

 うすぼんやりとしか見えなかった状況が、何となくわかってきた。鬼崎は春原にKing & Queenの新曲を弾かせようとしたが、会社からNGが出た為、プロデューサーに聴かせる為の音源を録った上で、挨拶もさせようとしていたのだ。鬼崎が春原を買っていることを夏野は勿論知っていたが、まさかここまでとは。驚くと同時に、それだけ春原が評価されていることを、夏野は嬉しく思った。

 しかし、それを止めたのは――他でもない春原の一言だった。


「いえ、鬼崎さん。俺はあくまで作曲のお手伝いに来ただけなので、今日は帰ります。レコーディングはちゃんとしたプロに弾いてもらって下さい」 


 春原の声がスタジオに響く。鬼崎と小鈴はブースの中の春原を見た。

「そうなの? 私途中からしか聴いてないけど、お世辞抜きにすごく良かったよ。達哉がゴリ押ししたらいけそうじゃない?」

「君、プロめざしてるんでしょ。上手くいけば名前が売れるチャンスだと思うけど」

 二人の背後で越智が「……ま、プロデューサーにちょっと紹介するくらいなら」と困ったような笑みを浮かべている。

 そうだ。夏野だってそう思う。もしかしたら春原のギターがCDに収録されるかも知れないのだ。そうでなくてもプロデューサーとの接点ができることは、プロになりたい春原にとってはプラスしかないはずだ。

 しかし、春原は頑なに首を横に振り――静かに言った。


「いえ――俺は、夏野さんの隣で弾きたいので」



 ***



 夏野と春原は駅までの道を歩いていた。越智が家まで送ると言ってくれたが、逆に気を遣うので、丁重にお断りした。スタジオにはプロデューサーやスタッフ達が集まってきているのだろうか。直前まで自分達もそこに居たはずだが、夏野は夢を見ていたような心持ちだった。

 春原は一言も発さず、夏野の後ろを付いてくる。あの発言の後、少し機嫌を悪くした鬼崎だったが、少なくともソロ部分は春原が弾いたものを活かすつもりだと言っていた。春原のソロが無駄にならず、夏野は少しほっとした。

「――なぁ、春原」

 後ろを歩く春原に声をかける。夏野が振り返ると、春原は少し離れた位置で立ち止まった。

「何で鬼崎さんの誘い、断ったの? プロになりたいって言ってたじゃん」

 春原は黙っている。こちらを見つめ返す眼差しは、まるで悪戯を責められた子どものようだった。本当に不思議なやつだ。夏野はふっと小さく笑う。春原がそんな夏野を見て、口を開いた。

「夏野さんにちゃんと言ってなかったんで」

 そして、真剣な眼差しで続ける。


「俺は、単にプロになりたいんじゃなくて――夏野さんと一緒に音楽をやっていきたいんです」


 そうか。夕方言おうとしていたのは、このことか。

 夏野は純粋に嬉しかった。自分を音楽の世界に連れ戻してくれた春原が、そう思ってくれていることが。しかし、ふと小さな不安が顔を出す。

 ――何故、春原(おまえ)は俺が良いんだろう。

 音楽の趣味は合っている。相性も良いと思う。しかし、プロになろうと努力する春原が何故夏野(じぶん)を選ぶのか――それだけの自信と確信を夏野は自分に持ち合わせていなかった。

『――ヘタクソ』

 六月公演の成功で忘れかけていた佑の声が、頭の中でリフレインする。夏野はぐっと口唇を噛んだ。

 もう、俺はあの時の俺じゃない。深く息を吸い、吐く。そして――心を落ち着けて、目の前に立つ春原を見た。

 春原はまっすぐにこちらを見つめている。その眼差しに、揺らぎはない。その奥にあるのは(まさ)しく自分に対する絶対的な信頼感だ。夏野は心の中から不安が少しずつ消えていくのを感じた。そして同時に思い出す。純粋に音楽を楽しんでいた頃の熱がじわりとその身を灼く感触も。

「――ありがとう」

 夏野は決意した。

 もう迷うのはやめた。どうなるかわからない。でも、諦めたくない。もう二度と自分を見失うのは、嫌だった。


「いけるところまでいこう――俺も春原(おまえ)の隣で歌いたい」



 スタジオには続々とスタッフが集まっている。鬼崎は楽屋で先程録った春原の音源を聴いていた。

 文句のない出来だ。きっとこのままこのメロディーを使えるだろう。それ故に、勿体ないと思う。この世界は実力だけでは生きていけない。運がなければどんな優れた者も日の目を見ることはない。だから、巡ってくるチャンスを絶対に逃してはならないのだ。

 鬼崎には理解ができなかった。春原が何故夏野に固執するのかーーいや、理解はできる。確かに夏野には圧倒的な才能がある。歌だけかと思ったが、先程の曲に対するコメントを踏まえると作曲センスもあるだろう。

 それでも、鬼崎は不思議だった。「誰かと一緒に音楽をやりたい」そんな理由で目の前のチャンスをつかまないことが。

 コンコンとノック音がして、越智が入ってきた。

「おつかれさま。コーヒー持ってきたけど、飲む?」

「うん、そこ置いといて」

 越智はテーブルにコーヒーを置き、そのまま鬼崎の横に座る。いつもならすぐに出て行くのに。鬼崎は怪訝そうに越智を見た。

「――何か用?」

「いや、残念だったなぁと思って。達哉くん、あの子のこと買ってたもんね」

 笑顔で越智が言う。鬼崎は越智の真意が図れず、小さな苛立ちを感じた。そんな雰囲気を感じ取ったのか、越智が鬼崎の肩を叩く。

「まぁ、でもきっと彼らは同じ道を選ぶと思うよ。早いか遅いかの話で」

「――どういう意味?」

「そのままの意味だよ」


 越智は、鬼崎と春原を見る夏野の表情を思い返していた。二人のやり取りを見る夏野の眼差しは、まるで焔が灯ったかのように熱を帯び、そして、その口元は――笑っていた。

 あの演奏を聴いてあんな表情ができるなんて、彼もよっぽどだ。


 鬼崎は越智の顔を見て、「そう」とだけ答え、コーヒーに手を伸ばす。

 そしてふと思い出したように口を開いた。


「あの話、進めておいて――今度は本気でやるから」



track06. サマーデイズ・ラプソディー-Summer Days Rhapsody-

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― 新着の感想 ―
[一言] 康二郎が良いキャラ過ぎるw モテようとして、なかなかモテないけど、底抜けにいい人なのが分かるので好感が持てますね。 まさに縁の下の力持ち的なキャラクターだなぁと思いました。 春原が夏野と組…
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