track05. そして彼は『女王』になった-Thus He Became the "Queen"-(3)
あれから、あっという間の二年半だった。
最終選考の課題曲はそのまま両A面のデビューシングルとなり、新人アーティストとしては十分過ぎるくらい売れた。その三ヶ月後にはCMタイアップの付いた二枚目のシングルを発売し、満を持して同年中にファーストアルバムをリリースした。敢えてジャンルを狭めずバラエティに富んだ曲を収録したそのアルバムは、若い世代を中心にスマッシュヒットし、じわじわと『King & Queen』の名は世間に浸透していった。
その後更に二枚のシングルと一枚のアルバムをリリースしているが、いずれも初登場チャート一位を獲得している。TV出演は極力控え、単独ライブも自分達の持ち曲が十分に溜まるまではやらない方針で事務所と握っている為、少なくとも高校在学中は楽曲制作にじっくりと取り組むことができる。今の環境は、達哉にとっては想定通り――いや、想定よりも上手くいっていた。
レコーディングは休憩に入り、ドリンクを手に持った小鈴がブースから出てきた。達哉は軽く手を挙げて挨拶する。
「あれ、来てたんだ」
そのまま二人は部屋を出て廊下を歩いた。
「今回の曲はどう?」
「どうもこうも、達哉ってもしかしてドS? あの高音パート初めて聴いた時、何事かと思った」
小鈴が大袈裟にげんなりとした顔を作ってみせる。
「ドSじゃないよ、あの二ヶ所だけでしょ。本当は二番とラスサビにも入れようかと思ったんだけど、やめておいた」
「それはお優しいことで」
小鈴は歩く速度を速め、廊下の端にある楽屋に入っていった。机の上に載っている荷物を小鈴が整理している間に、続いて入室した達哉がドアを後ろ手に閉める。小鈴は奥の椅子に腰掛け、向かい合う席に座るよう達哉に促した。達哉が席に着く様を、小鈴はドリンクを飲みながら眺めている。一通り小鈴が飲み終わったタイミングを見計らって、達哉は口を開いた。
「先週の土曜日は来てくれてありがとう」
「どういたしまして。まさか歌うことになるとは思わなかったけど」
そう言いながらも、小鈴は満更でもない顔をしている。それはそうだ。達哉だって、全く想定していなかった。あの時、LAST BULLETSの演奏を聴くまでは。
しかし、達哉が確認したかったのは、別のことだった。
「――で、どう? 春原クンのギターは。まずは次のカップリング曲で実験的に入れてみたいんだけど」
そう、あの日達哉は春原のギターを聴かせる為、小鈴をわざわざ高校まで呼び付けたのだ。小鈴は達哉の提案を最初は怪訝そうに聞いていたが、何か思うところがあったのか、変装までして六月公演に訪れた。「実はさ」小鈴が切り出す。
「達哉には言ってなかったけど、私あのギターの子とボーカルの子、観たことあるんだよね。その時は顔を隠してストリートやってたからわからなかったんだけど、確実にあの二人だった」
それは初耳だ。軽音楽部に勧誘しに行った時のリアクションから、夏野はあまり音楽活動に積極的ではないと達哉は踏んでいた。春原から情報を聞いた時も半信半疑だったが、まだストリートミュージシャンの真似事を続けていたとは思わなかった。内心驚きを感じながらも全く表情を変えない達哉に、小鈴も淡々と続ける。
「ギターの子は確かにすごいね。あの年であれだけ弾ける人、初めて見た。達哉がやりやすいならいいんじゃない」
まぁそうだろう。達哉は他人に厳しい方だと自覚している。これまでも軽音楽部で様々な演奏を見てきたが、諸手を挙げて合格だと思った者は居なかった。しかし、今年仮入部で訪れた春原がギターを弾いた瞬間、達哉は確信した。このギターは『使える』と。
「なら良かったよ。ロック要素を入れるなら、やっぱりギターソロは欠かせないと思うんだよね」
ふーん、と小鈴がドリンクを机に置いた。
「でもさ、プロデューサー文句言ってこない? 前にレコーディングで弾いてもらったプロの人と仲良いんでしょ。そっちの人使いたがる気がする」
「会社通して説明してもらうようにするよ。プロの人呼んだら、その人が居る時間内でまとめなきゃならない。残念ながら僕まだギター使う曲に慣れてないから、できるだけクオリティ上げる為にも時間かけたいんだよね。身近に居れば作曲中に弾いてもらえるから色々試せそうだし」
「随分評価してるんだね」と言ってから、あ、と小鈴が思い出したように声を洩らす。
「あの子は呼ばないの? ボーカルの子――夏野くん、だっけ?」
思いがけない言葉だった。小鈴は不敵な笑みを浮かべて、こちらを見つめている。
「……呼ぶ理由がないでしょ。King & Queenには君がいる」
達哉は努めて冷静に言った。
「まぁね。でも単純に逢いたいんだけどなー」
小鈴が立ち上がる。
「時間だ。そろそろ戻らなきゃ」
そのまま小鈴は楽屋を出て行き、達哉は一人残された。静けさを取り戻した部屋で、達哉は六月公演の最中に夏野と向き合ったひと時を思い出す。
「――まぁ、まだまだだね」
聴衆の前でマイクを外し、肉声で伝えた言葉は彼にしか届かなかったろう。それを聞いても夏野は特に表情を変えなかった。達哉は続ける。
「技術が高いのは認めるけど、全員がガチンコ演奏で力の抜きどころがない。ハードロックが好きなオーディエンスにはハマるかも知れないけれど、一般人にはおなかいっぱいだ。但し――」
そこで言葉を止めた。夏野が怪訝そうに目を細める。
「――以前、君に言ったね。『君自体に興味を持っていないけれど、君に入部してもらわなければ困る』と」
そう、夏野はあくまで、春原を手に入れる為の駒だった。
しかし、LAST BULLETSの演奏を聞いた今は違う。
達哉は夏野の瞳を睨むように捉えながら、口元を笑みの形に歪めた。
「訂正するよ。『君にも興味が出てきた』」
***
翌日の夜、達哉は事務所に呼び出された。
到着すると、ロビーで越智が『ごめん』のポーズをしながら駆け寄ってくる。仕事とはいえ毎度毎度年下に頭を下げるなんて、達哉は生まれ変わってもマネージャーにはなりたくないと思う。
「達哉くん、急に悪いね。雑誌のインタビューが入ってきちゃって」
エレベーター内で越智から仕事内容の説明を受ける。今回の雑誌はKing & Queenではなく、作曲家鬼崎達哉個人にフォーカスしたものだという。どうやら社長が直々に話をまとめてきたらしく、急なスケジューリングとなったようだった。脳裏に社長の顔がちらついたが、理由を考えても詮なきことだ。
「――仕事だから仕方ないでしょ」
控室では、既にスタイリストが待機していた。メイクと着替えを早々に終えて、越智と会議室に向かう。中でコーヒーを飲んでいた女性のインタビュアーに「お待たせしてすみません」と一言かけてから、その日の仕事が始まった。
白いシャツに身を包んだ達哉は、カメラマンに言われるがままにポーズを取る。
「腕を組んで物憂げに俯いてください」
「カメラのこちら側を睨んでください」
「キーボードを軽く弾いてみてください」
――まるで客寄せパンダじゃないか。心の中の達哉が悪態を吐く。
しかし、現実の達哉は文句一つ言わず、淡々と指示をこなしていった。今考えるべきは、早く終わらせて家に帰ることだ。やるべきことは沢山ある。
撮影は順調に進み、インタビューが始まった。
「King & Queenの快進撃はすごいですね。セカンドアルバム『One more music』は初登場チャート一位でしたが、次のシングルも一位狙いですか?」
「そうですね。デビューしてから今まで、多くの方々にKing & Queenの作品を聴いて頂けてとても驚いています。新しいシングルも今レコーディング中ですので、是非楽しみにしていて下さい」
次も一位を獲るなんて当然だ、というような野心はおくびにも出さず、達哉は控え目な笑みで受け答えをする。相手が求めるような回答をしながら、退屈な時間は過ぎていった。
その既定通りのやり取りが揺らいだのは、インタビューが後半に差し掛かった時だった。
「鬼崎さんは若くしてKing & Queenの作詞・作曲を全て行っていますよね。子どもの頃から音楽は好きだったんですか?」
「はい。作曲を始めたのは小学生の頃ですね。小さい頃からピアノが好きで――」
「そう、こちらでも調べてみて驚いたんですが、鬼崎家は音楽のエリート一家だったんですね!」
「――え?」
達哉の笑みが引き攣った。その様子に気付くことなく、インタビュアーが興奮した様子で続ける。
「お父様がフルート奏者、お母様がピアノの先生をやっていらして、お兄様に至っては音大のバイオリニスト! 生粋の音楽一家ですよね。ピアノはお母様に習ったんですか?」
想定していなかった言葉を浴びせられながら、達哉は必死で頭を回転させる。家族の話はこれまで一切していない。何故わざわざ彼らは家族のことまで調べてきたのか。
そして、今回のインタビューは社長が取ってきた案件だということを思い出した。彼のことだ、楽曲だけではなくプライベートの話も出した方が世間の食い付きが良いと考えたのだろう。
――達哉の都合など、考えもせずに。
「天才高校生ミュージシャン誕生の裏には、ご両親の英才教育があったんですね」
『――ま、飛ぶ鳥を落とす勢いの天才高校生ミュージシャン様には関係ねぇだろうけど』
いつしか冬島に言われた言葉がよみがえる。何故、こんな時に限って。達哉は眩暈に襲われながら、それでも反論を試みようと口を開いた。
「――いえ、僕は天才なんかじゃ……」
「そんな天才の鬼崎さんが、クラシックを離れてJ-POPに傾倒するようになったのは――」
――ガシャン!!!
達哉の背後で大きな音が響き、インタビュアーが黙る。室内が静まり返った。
「あー、すみません。グラス割っちゃいました」
達哉が振り返ると、そこにはいつものように困った顔で笑う越智が立っている。彼の前にはガラスの破片が飛び散っていた。
「片付けお願い」と他のスタッフに指示を出しながら、越智は達哉に近付き、肩に優しく手を置く。その指の力強さは、達哉の動揺を少し落ち着かせてくれた。
「インタビューの邪魔をしてすみませんでした。どうぞ続けて下さい、但し――」
達哉の前に座るインタビュアーの顔色が悪いのは、達哉の気のせいだろうか。
「――折角の機会ですし、是非『メンバー本人』のことを掘り下げて頂けるとありがたいんですが、いかがですか?」
「――はい、着いたよ」
はっと達哉は覚醒した。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。運転席の越智が、笑みを浮かべながらこちらを見ていた。
「今日は本当におつかれさま。ゆっくり休んでね」
達哉は鞄を手に取り、車を降りる。そのままマンションに入ろうとして、思い直して運転席の窓をノックした。達哉の姿を確認した越智が慌てて窓を開ける。
「どうしたの、忘れ物?」
「――いや、その」
不思議そうな顔でこちらを見る越智に、達哉は小さく呟いた。
「――今日はありがとう。助かった」
越智は驚いたように目を見開く。
「これはびっくり、明日は雪かな」
「はぁ?」
不機嫌そうな表情を作る達哉を見て、越智は優しく笑った。
「冗談だよ。僕、敏腕マネージャーですから」
越智の車が去っていくのを見届けて、マンションに入る。ポストを確認するが、何も入っていない。エレベーターで最上階まで行き、部屋の鍵を開けた。
――室内は真っ暗だ。その暗闇は、ここの住人が達哉しか居ないことを物語っていた。
暗がりの中に、過去の記憶が映画のように映し出される。
両親の夢は、家族で演奏会を開くことだった。兄は幼い頃からバイオリンを習い、めきめきと頭角を現していった。母は幼い達哉に必死でピアノを教え込んだ。
――達哉、何でこんなものも弾けないの? 上の学年の子達に負けては駄目よ。
――達哉、何そのCDは。それはあなたが聴く必要のないものよ。返していらっしゃい。
――達哉、練習もせずに何をやっているの。作曲? それよりやることがあるでしょう。
両親が望んだのは、達哉がピアニストとしてクラシックの世界で大成すること――それ以外の何物でもない。だから、達哉が違う音楽の道を歩むことは『逃げ』と捉えられ、罵倒された。並み居る大人達を押し退けて、必死の思いで掴み取ったコンテストの優勝ですら、彼らにとって価値のあるものではなかった。
それでも、達哉は音楽を愛していた。たとえ今は両親に認められるものではなくても、達哉にとって彼の音楽はいつも傍らに在った。そして、いつかはそれが理解してもらえる日が来ると信じていた。
そんな思いを打ち砕いたのは、あの日、保護者としてアーティスト契約に同席した際に、母が小さく洩らした言葉だった。
「何故こうなってしまったの――お兄ちゃんは、『天才』だったのに」
『天才』ではない達哉の居場所は、あの家にはない。達哉は中学卒業と同時に、事務所が用意したこのマンションに移り住んだ。
荷物を置き、シャワーを浴びて、頭の中の雑念を追い払う。ドライヤーをかけていても食欲が全く姿を見せないので、達哉は夕食を摂ることを諦め、早々にベッドに潜り込んだ。今日やるはずだった作業は明日に持ち越しだ。少しでも気力と体力を回復させようと、力なく目を瞑る。
すると、生まれた暗闇の中に、今度は夏野の顔が浮かび上がった。
小鈴と比べたら、実力はまだまだ未熟だ。しかし、一度聴いたら忘れられないインパクトを彼は持っている。理論的に説明できないが――あの歌声は、確かに達哉の心を疼かせた。
そんな存在を、きっと人は『天才』と呼ぶのだろう。
「――面白い」
気付けば、達哉は笑っていた。こんな身近に、こんな相手が居たなんて。
音楽に貴賤はない。天才が必ずしも正義とは限らない。もし音楽に正義があるとするならば――限りなく多くの人々に受け容れられるもの、それこそが正義であるはずだ。
客寄せパンダ、大いに結構。いくらでもやってやる。
――King & Queenが正義である為に。
達哉は満足した気持ちで、眠りに落ちていった。
その男は他者の理解を求めず
ただ、理想だけを追い求めた
その圧倒的な誇りと気品が
彼を彼たらしめると言わんばかりに
track05. そして彼は『女王』になった-Thus He Became the "Queen"-




