track05. そして彼は『女王』になった-Thus He Became the "Queen"-(2)
それは中学卒業を控えた、冬の日のことだった。
まだまだ寒いが、立春を過ぎて少しずつ季節は春に向かっている。達哉は重たいコートを身に纏い、行き慣れない道を歩いていた。事務所に行くのは、二度目だ。
一度目は年の明ける前だった。レコード会社主催のコンテストで優勝した後、正式にアーティスト契約を締結する為、母親と共に訪れたのが最初だった。その足で達哉が所属することとなるレーベルと、その親会社となるレコード会社の社長にも挨拶に行った。
学生服で訪問した達哉を見て、社長は少し驚いた顔で「本当に中学生なんだな」と言いながら、手を差し出してきた。茶色く染まった髪は綺麗に整えられていて、笑みが零れた時に見えた歯は白く輝いている。一般的な企業の『社長』のイメージと全く異なる相手に少し戸惑いながらも、その動揺が悟られないよう、達哉は目の前の手を強く握った。
「君、キーボーディストなのに、力強いね」
キーボードを弾くことと握力の相関関係はよくわからなかったが、社長は愉快そうに笑い――そして、力強く握り返してきた。
「この度はアーティスト契約成立おめでとう。だが、ここがゴールじゃない――これから始まるんだ。君には期待しているよ」
そのまま彼は、達哉の耳元にそっと顔を近付け、小さく呟く。
「――頼むから、売れてくれよ」
達哉は無言で頷いた。重圧は感じなかった。当然達哉もそのつもりだったからだ。
当時のことを思い返しながら、二度目の訪問となる事務所に到着する。中に入ると、マネージャーの越智が立っていた。駐車場に向かう道中で越智が達哉に予定を説明してくる。
「今日は達哉くんとユニットを組む予定の女性ボーカリストの最終選考です。候補者は五名に絞られていて、それぞれ達哉くんが作った曲に合わせて今日歌ってもらって、確定させる感じかな」
車の後部座席に乗り込むと、運転席の越智が書類を渡してきた。候補者のプロフィールのようだ。
「事前に説明した通り、最終的に達哉くんが誰とユニットを組むかは会社側で決めさせてもらうけど、意見はどんどん言ってもらって構わないからね」
「勿論、言われなくても言うつもりです。でなければ、来た意味がない」
プロフィールに目を通しながら返すと、越智は一瞬間を空けた後に、笑い声を上げた。
「そう来なくっちゃ。でも達哉くんって肝が据わってるよね。今日の最終選考だって、元々君は同席する予定じゃなかったのに、社長に直談判しちゃうんだから」
「――自分が選んでいない相手に、自分の歌を歌われるのは怖いので」
「正直だね」
十分も走ると、レーベルの入ったビルに辿り着く。廊下を並んで歩きながら、越智が達哉に訊いてきた。
「ちなみに、今日何でわざわざ事務所まで来てくれたの? 別に学校まで車で迎えに行ってあげたのに」
「無駄に目立ちたくないだけです。あんまりそういう学校じゃないので。進学先の高校は自由な雰囲気らしいので、今後はお願いするかも知れません」
「あ、推薦合格決まったんだっけ。おめでとう。今日終わったらお祝い兼ねてごはん食べに行こうか。親御さんに連絡しておいた方が良い?」
越智がにこにことこちらを見る。達哉は静かに答えた。
「ありがとうございます。でも――親には連絡要りません」
越智はその回答に、笑顔のまま頷き、「良いお店予約しておくよ」とだけ言った。
部屋に入ると、奥の方で候補者達がスタッフに説明を受けていた。達哉は越智の傍らで彼女達を眺める。候補者達は皆アイドルやモデルだと越智から聞いた。しかし、なかなか本業の方で上手く行っていないようで、その中でも一定の歌唱力があるメンバーを連れてきたということだった。車内で見たプロフィール写真と比べると、実物の方が全体的に幼く見える。候補者は皆達哉より年上だが、一番上でも二十二歳で、世間一般的には大学生の年齢だ。メイクと技術で加工した写真はいずれも大人びていたが、動くとその端々にあどけなさが出た。
しかし、その中で一人だけ、達哉の目を惹く存在が居た。
達哉は手元のプロフィールを読み返す。彼女は候補者の中では最年少の二十歳だ。ファッション雑誌のモデルをしている日中ハーフの女性で、顔の作り自体はどちらかというと童顔だったが、実物は艶のある雰囲気を醸し出していて、年上の候補者達より人生経験を重ねているように見えた。ここに集っているメンバーのビジュアルは皆文句のないレベルだったが、その中でも彼女は達哉のイメージするコンセプトにぴったりとはまっていた。
そして、その後の歌唱チェックで、その期待は確信に変わった。
候補者達は達哉の作った二曲をそれぞれ歌った。一曲目は低音から高音まで満遍なく要求されるアップテンポなナンバー、二曲目は逆にそこまで音の動きのないしっとりとしたバラードだ。歌唱力のあるメンバーを集めたというだけあり、皆それなりに歌える。
しかし、『彼女』の歌は達哉にとって正に期待したその通りのものだった。他のメンバーは、ビブラートを長く効かせたり、合間合間で原曲にないアレンジを入れたり、感情を強く込めて歌い上げたりと、必死に自分の『色』を出そうとしていた。『彼女』には一切それがない。ただただ、正確に制作者である達哉の求める音を再現していた。
勿論それだけではない。『彼女』の歌声は、声色自体は透き通っているもののそこに芯の強さがあり、特に飾り立てずともそれだけで勝負できる力も持っていた。それは確かに一つの優秀な武器だ。
しかし、達哉はその武器を評価しつつも、或る意味で自己を殺し、徹底して楽曲の舞台装置であろうとするそのスタンスに強く惹かれた。
――『彼女』とだったら、この世界で戦える。
コントロールルームに楽曲のイントロが流れ始め、達哉は現実に呼び戻された。視線の先では、小鈴が歌い出しに備えてテンポを取っていた。
八小節後に達哉が事前に入れていたコーラスが始まる。それに続いて小鈴が高音を響かせた。機械のように正確なキーで音が伸びる。タイミングも達哉の構想通りだ。
その後Aメロに入り、特徴的な音配置が続く。今回のコンセプトは『とにかく聴衆の耳に刺さる曲』、だ。いきなり高音を唐突に差し込むなど、自分でもやり過ぎたかなと思うようなメロディーを、小鈴は難なく歌いこなしていく。その後、Aメロに比べればおとなしいが、決して平坦ではないBメロとサビを過ぎ、二番に入ると転調して更にキーが高くなったが、小鈴は抜群の安定感で歌い続け、そのまま曲は終わった。
「OK! さすが小鈴ちゃん、良いねー」
プロデューサーがマイク越しに話しかけると、小鈴はほっとした表情になった。周囲のスタッフが拍手をする中で、達哉も小さく拍手をする。やはり小鈴は自分のパートナーとして適任だ。決して楽ではない歌を、期日までにきっちりと仕上げてくる。天性の才能も勿論ゼロではないだろうが、その努力に裏打ちされた再現性の高さはKing & Queenにとって重要な要素の一つだ。最終選考の際に、小鈴の歌を聴いておいて良かった。達哉は心底そう思った。
あの日、最終候補として残った五名の内、会社側が推したのは小鈴ではなかった。愛くるしいビジュアルでありながら、歌唱力を併せ持ったアイドルを、会社側は達哉のパートナーとして選ぼうとした。
しかし、達哉は彼女の歌では自分の楽曲を活かすことはできないと拒否し、代わりに小鈴を推薦した。そのアイドルは確かに歌が上手かったが、達哉にとってその歌は押し付けがましい以外の何物でもなく、とても一緒に組んでやっていけるとは思えなかった。色々と他の事情もあるのだろう。周囲の大人達は達哉を説得しようとしてきたが、最終的にはたまたまその日別部屋で会議をしていたレコード会社の社長の一存で、達哉の意見が採用された。
「やるのは鬼崎くんだからな。彼が納得いく相手の方がいいだろう。あっちの事務所には俺から一言言っておくよ」
そう言って社長はちらりと達哉を見る。その目は笑っていたが、その奥には圧倒的な威圧感が在った。それに気付かぬ振りをして、達哉は顔に笑みを貼り付け、「ありがとうございます」と頭を下げた。
――これで、結果を出せなければ終わりだ。
いや、僕の楽曲と『彼女』の歌は、絶対に世間に受け容れられる。
ユニットを組むことが決まった後、達哉は小鈴と事務所で初めて会話をした。「何か飲み物持ってくるね」という越智に対して、小鈴が人気カフェの期間限定のドリンクをリクエストした為、越智は暫く席を外し、二人だけで話す機会ができた。「わざと?」と問うと、小鈴はそれに答えず、眉毛を少し上げてみせた。
「ありがとう。あなたが私のことを選んでくれたんだよね。ちゃんとお礼が言いたくて」
「別に、僕だけの意見で決まったわけじゃないんで」
「まぁ、そうだろうね。まだ中学生だし」
「四月から高校生」
そう言い返すと、小鈴は愉快そうに笑った。
「あなたの曲はとても綺麗だね。歌うのは難しかったけど、とても気に入った。きっと売れると思うよ」
「そうでなきゃ困る。あの社長に借りも作っちゃったし、売れなきゃ僕達終わりだよ」
「ふぅん、そう」
「だから、王さんにも本気でやってもらいたい」
「小鈴でいいよ。それに本気でやるなんて、当たり前じゃん。こっちも生活かかってるんだから。それに、売れたい理由だってある」
「売れたい理由?」
小鈴はテーブルに置かれたペットボトルのお茶を一口飲み、達哉を見据える。表情は笑顔のままだが、その目には真剣な色が宿っていた。
「――有名になって、逢いたいひとがいるんだ」




