track04. 王が来たりて-King's Coming-(1)
あの日少女が決断したのは
過去の自分との訣別だった
track04.
我ながら不思議に思う。
この世界には音楽が溢れている。美しい旋律も、考え抜かれた楽曲も、それこそもっと上手な歌声だって、これまで幾らでも聴いてきた。
――でも、何故だろう。
あの時偶然聴いたあの声が、いつまでも頭から離れない。
そう、知らず知らずの内に――私は今日も、あの『ニワトリ』を探している。
***
その日の昼下がり、山口小鈴は或る高校の廊下を歩いていた。
といっても、自分が通っている高校ではない。そもそも小鈴は既に高校を卒業している身だ。本来ここにいるべき存在ではない。
校内ですれ違う学生達は皆私服である。派手派手しい格好をしている生徒が多い訳ではないが、それでも統一感がないので、部外者の自分に気付くこともない。一応目立たないように、ネイビーと白を基調とした『制服らしい』おとなしめの格好に眼鏡をかけてマスクをしてきたが、全くの取り越し苦労だったようだ。
土曜午前の授業が終わり、週末を迎える解放感からか、皆明るい表情をしている。小鈴は彼らを少し羨ましく思った。自分の高校は地味な制服で、メイクも禁止されていた。振り返ってみても特に思い出らしい思い出もなく、無味乾燥な学生生活だった。
その反動ゆえか、週末には思い付く限りのおしゃれをして、都心の街に出かけて行った。何をする訳でもない。ただ人混みの中で、一人歩き回るだけだ。普段の地味で色のない自分とは異なり、様々な人々が行き交うカラフルな街に溶け込んでいられる時間が好きだった。週末の小鈴のビジュアルはそこそこ人の目を惹き付けるようで声をかけられることも多く、気付けば小鈴は雑誌等にも載るようになっていた。
周囲の家庭と比べて多くはないお小遣いや昼食代を切り詰め、家に大半を入れなければいけないバイト代の残りで服とメイク道具を買う――そんな娘のことを、母はきっと理解できなかったのだろう。仕事なのかそれとも恋人にでも会いに行っているのか、母はほとんど家におらず、たまに顔を合わせても大した会話をした覚えはない。母と小鈴の関係性はずっと淡白だった。少なくとも――父が出て行ってしまった日以降は。
父が出て行った理由を今も小鈴は知らない。小学生の頃、家に帰るといつも仕事でいないはずの父が珍しくリビングにいて、小鈴の頭を撫でてから部屋を出ていき――それ以来、二度と逢っていない。
その後帰ってきた母は、ただ「暫く学校を休みなさい」とだけ言った。幼心に理由を聞いてはいけない気がして、小鈴は母に言われるがままにその幾日かを過ごし――次に学校に行く許可が下りた時には、『山口小鈴』になっていた。周囲のクラスメートもそれに触れてはいけないと思ったのか、特にその後の学校生活で嫌な思いをした記憶はない。ただ、あまり多くの時間を共に過ごしてはいなかったが、父のことは決して嫌いではなかったから、少し寂しかった。
高校を卒業して家を出る日の朝も、母は小鈴に何も言うことはなかった。あれから四年程経つが、小鈴は一度も母の住む家に帰っていない。仕事がなかなか上手く行かず、食べるのに苦労した時期もあったが、不思議とそれでも帰りたいと思ったことは一度もなかった。あそこに自分の居場所がないことに、とうに気付いていたのかも知れない。
「――はぁ……」
階段を昇りながら、小鈴は小さく溜め息を吐いた。久し振りに学校という空間にいるせいか、昔のことばかり思い出してしまう。校内案内図によると、目的の教室は五階にあるはずだ。意識的に過去の記憶を切り離すように、小鈴は階段を昇ることに専念した。少しずつ学生の数がまばらになっていき、五階に到着する頃にはほとんど廊下に学生の姿はなかった。端の教室に目を向けると、『視聴覚室』と書いてある。
中からざわめきが聴こえたので、小鈴はそっとドアを開ける。中を覗いてみると、室内には小鈴が思ったより多くの学生達がいた。ぱっと見た限り百人分程度のキャパシティはあるだろうか――所々空席を挟みながらも全体的に座席は埋まっており、教室の後ろと両脇には数名の立ち見客もいる。教室の前方には楽器が並べられており、その近辺の席には、楽器を持つ数組の学生達がまとまって座っていた。無事目当ての場所に辿り着けたようだ。小鈴は目立たないように、最後列の一番端の空席に座った。学生達は小鈴の存在に気付くことなく、近くの席の友人達と楽しそうに時を過ごしている。
――そんな教室の様子が変わったのは、その数分後だった。
再度ドアが開き、見るからに生真面目そうな眼鏡をかけたスーツの男性が入ってくる。彼が前方の空席に座ると、お喋りに興じていた学生達が少し声のトーンを落とした。それを合図にするように、最後列に座っていた女子が立ち上がって彼の方に歩いていき、二言三言交わす。会話を終えた彼女はそのまま教室の最前方に向かい、マイクを掴んでこちらを振り返った。
「みなさん大変お待たせいたしました! 顧問の坂本先生もいらしたので、六月公演を始めます。私は軽音楽部の部長を仰せつかっております三年C組の三条と申します。本日はよろしくお願いいたします」
随分仰々しい喋り方をする高校生だと小鈴は思った。しかし、観客の学生達には受けが良いようで、掛け声や拍手が一斉に湧く。それに気を良くしたように、三条はにやりと笑ってみせた。
「さて、本日は我が軽音楽部に今年入部した新人達のお披露目公演です。よって、我が部が誇る高校生ミュージシャン、King & Queenのリーダー鬼崎達哉の演奏はございませんが――そこは文化祭までのお楽しみということで。もしくはCD買って家で聴いて下さい」
三条の場慣れしたMCに、会場から笑いが起こる。
「とはいえ、手前味噌で恐縮ですが、今年の軽音の新人は粒揃い。貴重な土曜日の放課後にいらして頂いた観客の皆さんを決して、決して、退屈させませんので、短い時間ではございますが、是非最後まで楽しんでいって下さい。本日はお越し頂き、誠にありがとうございました!」
三条が頭を下げると、再度教室を拍手が包んだ。そんな中、前方に座っていた学生達の一団が立ち上がり、楽器のスタンバイを始める。
一組目は男子四人組のバンドのようだ。ドラムを除く三人は弦楽器を持っている。後ろの席なので細かいところまではよく見えないが、ギターを持った一人が残りのメンバーに指示を出しているようだ。音出しが始まると、ライブ特有の空気感が室内を満たす。小鈴はマスクの中で、口唇をぺろりと舐めた。自分が舞台に立つわけでもないのに、この瞬間はいつでも緊張が走る。
セッティングが終わったのか、四人のメンバーは前を向いて楽器を構えた。先程のギターを持った黒髪の少年がマイクの前でカウントを終えると、一斉にメンバーが各々の楽器を思い思いに鳴らし始める。何事かと会場の空気がざわつきそうになったところで、楽器陣が手を止めた。その残響の中で、黒髪の少年がマイクを握り、口を開く。
「一組目、『鈍色idiots』です――お願いします」




