容易く蝕まれて行く心 -Dino-Ⅲ【醜悪】②
「酷いな……」
目の前にあるのは、一部分を抉り取られたかのような丘。
その一番先には小さな墓石が二つあり、控えめな白い花が手向けられている。
計算したかのように綺麗に抉られた部分は、最早芸術と言って過言ではない。
魔物の襲撃があったにも関わらず、よくも無事であったものだと感心する一方で、応戦したレナードやレオンが、小さな墓石を庇って戦うことなど造作もないことを思い出して納得する。
ディーノが来たいと思っても来る事が出来なかったこの場所を護ってくれた事も、セシリヤが大切にしていたものを護ってくれた事も、とにかく彼らには感謝以外の言葉が浮かばない。
戦闘があったせいで決して足場は良いとは言えなかったが、ようやくこの場所に辿り着けた事実を噛み締めながら丘に上り、持っていた花をその墓石へ手向けた。
ガラにも無い花束を買ってここへ来たのには、理由がある。
この墓石の下で眠っているのは、セシリヤの弟だ。
そして、ディーノが護ることのできなかった騎士学院の後輩でもある。
彼の死に責任を感じていたディーノはセシリヤに謝罪した後、せめて花だけでも手向けさせてもらおうと思っていたのだが、彼女は頑なにそれを拒否し続け、一切その話を口にする事はなかった。
自力で墓を探すにも手がかりがなく半ば諦めかけていたのだが、先日、セシリヤが魔物に襲撃された事を知り、彼女を助けたと言うレナードにこの場所を聞き出したのだ。
本来ならば、セシリヤの身を案じ、即座に面会を申し入れたい所ではあったのだが、マルグレットの監視が思ったよりも厳しく、それが叶うことはなかった。
「護ってやれなくて、すまなかった……」
未だに彼の顔すらも思い出せないままだが、心からの謝罪を口にして、けれど許してくれなくても良いと小さく呟く。
当然返って来る言葉は無く、生者が一方的に好き勝手なことを述べるだけの墓参りだと思うと、余計に罪深く感じてしまう。
頭を振って顔を上げると、その先にロガール城が見えた。
あの城下で必死に弟と二人で生きて来ただろうセシリヤの姿を思うと、たった一人の人間すら護ることができなかった罪悪感が胸を締め付ける。
騎士学院を首席で卒業したなどと鳴り物入りで入団し、今や副団長と言う地位についていながら、こうも無力である自分に改めて苛立ちを覚えた。
「ディーノ先輩?」
不意にかけられた声に振り向くと、ディーノと同じ様に驚いた顔をしているアンジェロが立っていた。
ここに何をしに来たのかは聞かずとも、彼の抱えている花を見れば明白だ。
アンジェロも、ここへ墓参りに来たのだろう。
しかし、当時は箝口令を敷かれていた上に、彼の存在は無かったことにされていたはずで、何故アンジェロがここを知り得たのだろうか。
「「どうして……、」」
どうやら考えていた事は同じだったようで、同時に二人の口から出た言葉は綺麗に重なり、空気に溶けて消えた。
気まずさにほんの少しの間を空けて、ディーノは「どうしてここに?」と問いかける。
アンジェロは問いかけにすぐには答えず、ゆっくり墓石に歩み寄ると、持っていた花をディーノの手向けた花から少し間を空けて置き、目を瞑って祈りを捧げた後に、その重たい口を開いた。
「レナード団長に聞きました。ここには、僕の友人が眠っていますから」
そう言ったアンジェロの横顔は、どこか淋しそうな、けれど、穏やかな表情だった。
おそらく察するに、友人の中でも、アンジェロとこの丘で眠る彼は最も親しい関係にあったのだろう。
アンジェロの親友。
セシリヤの最愛の弟。
あの時、護ることが出来なかったせいで、二人は大切な人を失った。
改めてその罪深さをつきつけられた気がして、ディーノは胸の痛みにただ顔を歪める事しか出来なかった。
「先輩こそ、どうしてここに?」
アンジェロの問いかけに、ディーノは口籠る。
実際、彼とディーノは面識があった訳でもない。
(あったのかも知れないが、大勢の後輩を引き連れていたのだから、覚えていなくても当然なのかも知れない)
けれど、騎士学院の後輩を護りきれなかった事を悔いていて、こうしてここに足を運んだなどと、どうして言えようか。
アンジェロは口にこそしなくても、親友を見殺しにしたも同然の自分に、一線を引いてしまうのではないだろうか。
何度か口を開きかけた所で、アンジェロはディーノの表情を見て、小さな笑いを洩らした。
「先輩、顔、顔!」
そんなにおかしな表情をしていたのだろうかと、開いたままの口を押さえると、アンジェロは「らしくないですね」と付け加える。
「悪かったな」
らしくないと言う言葉に対してと、彼の親友を護ってやれなかったと言う意味を含ませて呟き、卑怯な自分を軽蔑しながら、いたたまれずロガール城を眺めた。
「僕は、嬉しかったんですよ」
「……嬉しかった?」
聞こえて来た信じられない言葉に、ディーノは視線をアンジェロへ戻し、何が嬉しいのだとアンジェロの正気を疑い、まじまじとその顔を眺めて見る。
相変わらず墓石の前に佇んでいるアンジェロは、愛しそうに指先で墓石をなぞり、そして寂しそうに笑った。
「皆、彼の事を忘れてしまったのかと、思っていたから」
それは一体どう言う意味なのかと首を傾げたが、すぐに理解できた。
ディーノが演習で亡くなったのは、引率を共にしていた同期達だけだと聞かされたのと同じで、アンジェロやその同級生達にも同じ様になんらかの形で、その存在を、事実を、隠されたのだろう。
騎士学院に、騎士団に、そして、セシリヤ・ウォートリーに。
恐らくあの時、逃げる事を指示され、それに従って助かった者達への配慮だ。
逃げ出してしまった事を恥と思い、果敢に魔物に立ち向かって死んで行った者に対して、誤った劣等感を抱かない様に。
己の力量を知った上で戦線を退くことは、恥ではない。
最も適した判断である事を、ディーノは知っている。
無意味に血を流し、無駄な悲しみを増やす必要など無いのだから。
上官であるジョエルも、いつかそう話していた事を覚えている。
「どんな形であっても、存在を覚えていてくれる人がいるのは、彼にとっても嬉しい事なんじゃないかって、思ってますから」
それが、罪悪感と言う形であってもだろうか?
風に攫われて行く花びらを見つめながら、ディーノはただ黙っている事しか出来なかった。




