この感情は決して彼女に抱いてはいけないものだ -Dino-Ⅵ【渇望】⑧
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仕立て屋を出た頃にはすっかり陽が傾いていた。
夕食をどうするかセシリヤと話していたが、どうやらプリシラの体力が限界に来たようだ。
ディーノがうとうとしながら歩くプリシラを背負うと彼女はすぐに眠ってしまい、二人はこのまま真っ直ぐ城へ帰る事にした。
(プリシラが食べたいと言っていたクレープもお預けになったが、こればっかりは仕方ないだろう)
背後からは規則正しい寝息が聞こえて来て、昼間全力で興味のあるものに向かっていた活発な姿とは違うなと、その差に笑ってしまった。
「今日は一日、本当に楽しそうにはしゃいでいましたから。ディーノ副団長のお陰ですね」
「俺は何も……」
むしろプリシラに気を遣わせてしまたのではないかと言えば、セシリヤは「そうかもしれません」と肯定し、眠っているプリシラの頭をそっと撫でた。
「プリシラちゃんは、他人の感情に敏感な子なので……」
そう呟いたセシリヤの言葉に、ディーノは内心狼狽する。
もしもセシリヤの言葉が本当であるのなら、プリシラはディーノがセシリヤにどんな感情を持っているのかを感じ取っていた事になる。
思い返せばプリシラは所々、どこか含みのある笑顔を見せていた。
もしかすると、それを解っていてセシリヤとの仲を取り持とうと色々動いていたのではないだろうか。
カフェでの偶然から始まり仕立て屋に至るまでの間、プリシラには全てお見通しだったのではないかと思うと恥ずかしいを通り越して最早"恥"だ。
(もし人間が恥ずかしさで死ねるのなら、即死していただろう)
今更ながらに気が付いて赤面していれば、いつの間にかこちらの様子を見ていたセシリヤと視線が合って慌てて逸らした。
クスクスと笑う彼女の声が、羞恥心に更に輪をかける。
「でも……、私もプリシラちゃんのお陰で楽しんでいましたから、お相子です」
「……え?」
セシリヤの言葉に反応して振り返れば、笑っている彼女の顔も同じように赤く染まっていた。
……やっぱり、この人が好きだ。
いつも見えない左側に立ってさり気なくサポートしてくれる気遣いも、凛とした強さも、時折見せる少女のような表情も。
風に揺れる髪も、僅かに濡れた瞳もくちびるも、彼女のひとつひとつを愛しく思うのだ。
勇者が魔王討伐の遠征に行っているこの大事な時に、こんな感情に振り回されている場合では無い事は理解している。
けれど、沸き上がる感情に最早歯止めなど効かなかった。
他愛もない会話も、時々訪れる無言の時間さえも愛しいと思える程に。
プリシラを魔術団に無事送り届けた後、その流れのままセシリヤを部屋まで送る事になった。
すっかり陽も落ちたこの時間の兵舎は、時折騎士とすれ違う程度で静まり返っている。
これと言って会話はなかったが、別段気まずさを感じる事もない。
ただ、もう少しでセシリヤの部屋に着いてしまうと言う事実が心に影を落としていた。
「ディーノ副団長。……今日は、ありがとうございました」
不意にセシリヤから礼を言われたディーノは、彼女の部屋の前に着いたことに気が付き足を止める。
「ほぼ一日、私たちにつき合わせる事になってしまって、申し訳ありません」
「元々仕立て屋に行くだけしか予定はなかったので、問題ありません。それに、いつも非番の時は時間を持て余しているので、逆に新鮮で楽しかったです」
「そう言っていただけるなら、良かったです」
何の変哲もない別れ際の会話だったが、今はそれが特別のように感じてこの場から背を向けて去るのが惜しいとさえ思えてしまう。
けれど、場を繋げられるような話題を持ち合わせている訳でもないディーノには、これ以上この場に留まる理由がない。
このまま別れの挨拶を交わし、何事もなかったように背を向ければそこでセシリヤと共有する時間はおしまいだ。
二人の間に微妙な沈黙が流れる中、先に別れの挨拶を切り出したのはセシリヤの方で、背を向けた彼女の姿に思わず手を延ばしたディーノは、その細い肩に触れ、今思いつく限りの言葉を紡ぐ。
「セシリヤさん……。良ければまた、一緒にこうして出掛けませんか?」
思いついたのがたったこれだけの言葉かと心の中で自分に失望するが、振り返ってディーノの顔を見上げるセシリヤの反応は思いの外悪くなさそうだ。
しかし、
「……では、プリシラちゃんにも聞いておきますね」
ディーノの真意がセシリヤに伝わる事もなく、誤解を招いてしまう結果になった。
別にプリシラがいて悪いわけではないのだが、今の言葉はセシリヤだけに紡いだ言葉であり、彼女の意思を聞き出す為の言葉だ。
「違います。プリシラちゃんの意思では無くて、セシリヤさんの意思を聞かせて下さい」




