そう遠くない未来の話だ -Silberto-【黎明】①
豪華絢爛な社交の場から抜け出し、こっそりと足を踏み入れた曾祖父の部屋は随分と薄暗い。
陽の光さえ身体に障ると言う理由で引かれたままのカーテンから視線を外し、薄い天蓋が覆うベットへ近づいた。
「お曾祖父様、お久しぶりです」
「……シルベルトか」
掠れた声で名前を呼ぶ曾祖父が天蓋の向こうで身体を起こそうとしているのが目に入り、慌てて薄い幕を手で払いのけてその背に腕を添える。
もう随分と長く患っている病のせいか、触れた背中は肉が落ち骨ばっており、顔を見れば頬も以前会った時よりもこけて痛々しい。
窪んだ眼に輝きはなく、かつてストラノ王国に存在する大貴族のひとつとして名を馳せていた頃の面影はそこになかった。
「あまり身体の調子は良くないようですね」
「……もう、長くはないだろうな……。今ではこの部屋を訪ねてくれるのも、身内ではシルベルト……、お前くらいなものだ」
他は医師とごく少数の使用人だけが食事や身の回りの世話をする為にやって来るだけだと寂し気に語る曾祖父に、少しだけ同情してしまう。
貴族であったばかりに、身内は皆曾祖父の身体の心配をするどころか相続の話で持ち切りだ。
曾祖父が弱って行くに連れて、それが醜い争いへ変わって行くのかと思うとシルベルト自身も気が気ではなかった。
(面倒な相続争いになど巻き込まれたくないのだ)
「ロガールは、良いところか?」
「ええ……。この家にいるよりは、断然居心地が良いです」
「……そうか」
小さく笑った曾祖父が咳込み慌てて背をさすれば、彼は大丈夫だと手でシルベルトを制する。
それから深い溜息を吐くと徐に正面を指差し、つられるようにシルベルトが視線を移せば、そこには一枚の美しい風景画が飾られていた。
何処の風景かと聞けば亡国ストラノの領地のひとつで、何とそこの元・領主は曾祖父の親友だったと言う。
ストラノが滅亡した後、曾祖父は持ちうる限りの財力を使ってその領を買い上げ、他の誰にも秘密で今の今まで管理していたそうだ。
(流石に現在は信頼のおける代理人が管理しているようだが)
取り潰されて荒地となっていた為に土地はそう高くなく、けれど、元は美しかったあの地を取り戻そうと掛けた手間や金はそれ以上だったようだ。
その甲斐あって今はもう荒地とは程遠い美しい地へ戻り、多くの人々が移り住んで、この家の収益にもなっていると言う。
この領地は所謂、曾祖父の隠し財産だ。
何故そんな大事な話をと不思議そうな顔をするシルベルトに、曾祖父は更に続ける。
「……お前に、遺言と思って聞いて欲しいことがある。他の誰にも聞かせた事のない話だ。勿論、お前と私だけの秘密にして欲しい」
懇願するように呟く曾祖父に頷く事も返事をする事も出来ず戸惑うシルベルトだったが(ここで下手に返事をすれば相続争いの火種になりかねない)、曾祖父は特に気にした素振りも見せずに笑みを浮かべると、静かに語り出した。
「あの絵の領地はウォートリー領と言って、ストラノ王と腹違いの弟が領主だった。名は、テオバルド・ウォートリー。私とは友人……いや、親友だった」
曾祖父の口から飛び出した名はどこかで聞いた覚えがあるなと、一瞬考えを巡らせそうになったが、話をしている最中にそれは失礼だと思い直したシルベルトはただ頷いて続きを促した。
どうやら曾祖父とテオバルドは、王族・貴族の集う夜会で出会ったようで、気の合う友人から親友へと付き合いが長く続いていたそうだ。
「ある時、テオバルドから好いた女が出来たと聞かされた。ちょうど周囲も結婚をし始める年頃でな。どんな相手なのかと私も興味深々だった。後からテオバルドの想い人が魔術師であると知り、物好きな奴だと半分は見下しながら冷やかしでこっそり見に行ったのだ。どれほど陰鬱な醜女なのかと、魔術師に対する酷い偏見を持って」
だが、曾祖父予想は大きく外れた。
こっそりとテオバルドの後をつけた先で見た彼女は、曾祖父が抱いていた魔術師のイメージを覆す程に美しかった。
陽の光を受け輝きを放つ髪、白く美しい肌、慈愛に満ちた澄んだ瞳。
どんな言葉を以てしても形容しがたい美しさは、まるで女神のようだったと、曾祖父は当時を思い出しているのか目を瞑って微笑みながら語っていた。
「二人を目にしたその日、彼女に淡い恋心を抱いてしまったことに気づいたが、親友の恋路を邪魔するほど落ちぶれてはいないと言うプライドだけで何とか平静を保ち、それから間もなく二人が婚約したことを聞いた後、抱いていた恋心は心の奥底の箱にしまい鍵を掛け、二人が幸せになることだけを願った」
……この先、何があっても自分だけは二人の幸せを祈り続けようと、笑顔で祝福する裏で流れる涙を隠して。
「けれど、そう上手くは行かなかった」
その言葉を境に、曾祖父の表情は怒りとも悲しみともとれないものへと変貌し、シルベルトはその変わり様に驚き僅かに後ずさる。
「数年後、ストラノ王が即位すると弟のテオバルドは領地を与えられた。そこで彼は彼女を正式に妻として迎え、共に領を管理し、領民からの信頼も得て全てが順調であるかのように思えた。だがいつしか、その領地で獣人を集めて反乱を起こそうとしているのではないかと言う噂が流れ始めたのだ」
ストラノでは当時、獣人を重点的に迫害していたと言うのはよく聞く話だった。
(何なら記録として書庫にも残されているが、胸糞が悪くて到底読めたものではない)
ずっと昔に興味本位で読んだ内容を思い出したシルベルトは、思わず眉を顰めてしまう。
「噂の真偽は定かではなかったが、その噂が流れ始めたとほぼ同じ時期にテオバルドが謀反を起こしたとして処刑された。当然領地も取り潰され、一族は皆断頭台のつゆとなって消えた。勿論、その妻もその血縁者も例外ではない……」
……私はストラノの狂った規律に縛られ、テオバルドを擁護することも、肯定することも出来なかった。
そう続ける曾祖父の瞳には涙が浮かんでいる。
当時のやりきれない思いを再び思い起こしてしまったのだろう。
何と声をかけて良いのかわからず、ただ黙って話に耳を傾ける事しか出来ない事を、シルベルトは悔いた。
「それから数年経ち、ストラノ王国が滅亡した後、テオバルドの領地であった土地を買い上げた。彼らが管理していたあの頃の美しい土地に戻す事だけが自分に出来る贖罪だと……、そう自分に言い聞かせて。ただの自己満足である事はわかっていたが、何もせずにただ生きる事が心苦しかった」
……あの噂を、聞くまでは……。
そこまで話した所で曾祖父の身体には負担が大きかったのか咳が止まらなくなり、とうとう激しく吐血した事で屋敷全体の雰囲気が緊迫する。
駆け付けた使用人や医師が見守る中、曾祖父は危篤状態となり、シルベルトが屋敷に滞在している間も意識を取り戻すことは無く、彼に会って話の続きを直接聞く事は叶わなかった。
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