賽は、投げられたのだ -Ángel-【胎動】②
王の言葉が途切れ、静寂が二人を取り巻いた。
重苦しい空気の漂う中、アンヘルは戸惑いながらも口を開く。
「セシリヤは……、その事実を知っているのですか?」
「告げてはいない。だが薄々、何かを感じ取っているやも知れぬ」
王の口から語られた事実に、やっとの思いで返した言葉はたったそれだけで、王からの返答を貰った後は何をどう伝えて良いのか分からずに黙っている事しか出来なかった。
今まで飽きるほどに聞かされ広まっていた英雄譚を全否定するその事実は、あまりにも衝撃的だった。
軽々しく王の口から聞き出してはいけない物であったと、自らの浅はかさを恨んだ。
その事実を、王は一体今までどんな気持ちで隠し続けていたのか……。
「私は、この世界に存在してはいけない、異物なのだ」
その言葉を最後に深い溜息を吐いた王は、再び魔法円を描く作業へと戻り、アンヘルはただその小さくなった背中を見つめた。
どんな言葉をかけるのが正解なのか考えても答えは出ず、けれどただ黙っていると言う選択が王の目にどう映るのかは、想像に難くない。
だが、今はどんな言葉さえも薄っぺらく思えてならないのだ。
仮に今ここで王を信じると伝えた所で、彼の心の上辺には届いても、奥深くまでは届かないだろう。
こんな重い事実を突きつけられたにもかかわらず、二つ返事で信じるなどと言う馬鹿はいない。
今はとにかく、時間が必要なのだ。
王にも、アンヘル自身にも。
黙ったまま一礼すると、重たい空気の漂う部屋を出る。
扉が閉まるのを確認すると、アンヘルもまた王同様に深い溜息を吐き出し、片手で顔を覆った。
王がこの世界に召喚された時、ただの一人も王のことを"勇者"と呼ばなかったこと。
王自身が"勇者"と名乗り始めたこと。
魔王の正体が、王と同じ異界の人間であること。
セシリヤを蝕んでいる呪いは、その魔王がかけたものに間違いないこと。
魔王とセシリヤは、以前は共に生活をしていたこと。
何かのきっかけで、魔王と言う存在になってしまったこと。
そして、セシリヤも魔王も、今の今まで救えずにいること。
何よりも王は、セシリヤを気にかけていた。
魔王は、魔王となる前までの数年をセシリヤと共に過ごしていたのだ。
それなりに信頼関係があっただろう彼らに、何が起こったのか。
さすがの王もそればかりは分からないと、首を横に振っていた。
今すぐにでもセシリヤに問い詰めて事実を知りたいところだが、恐らく彼女に問いただす事だけは王も許してはくれないだろう。
もどかしさに唇を噛んで足を踏み出した。
……セシリヤ・ウォートリー。
アンヘルの脳裏に、その姿が過る。
あの牢獄の中で出会った時から、平気な顔をして嘘を吐くところが嫌いだった。
鋭い爪で掻き切られた腕の傷は決して浅いものではなかったのに、かすり傷だと笑い、襲い掛かって意識を失った自分を介抱し、母親が恋しいと泣いている時はそっと寄り添って眠り、翌朝には寝ぼけていたなどとぬかす彼女が、大嫌いだった。
人並み以上に気を遣い、いつも何かを我慢している姿を見ていると、牢獄で死んで行った母を思い出して気が狂いそうになるからだ。
そんな彼女が、またいくつもの嘘を重ね、王も、彼女自身さえも苦しめているのだから、腹立たしいことこの上なかった。
どうして何も相談をしてくれなかったのか。
問いただしても、彼女はきっとはぐらかすだろう。
あの笑顔で全てを覆い隠して、また平気な顔で嘘を重ねるのだ。
もっと早くに相談してくれれば、少しは力になれたかもしれない………、そう考えると同時に、それが傲慢である事に気づいて頭を振った。
相談出来るのなら、とっくにしていただろう。
それが出来ないのはやはり、セシリヤにも何か伏せて置きたい事情があったのかも知れない。
そこまでして何を独りで抱える必要があるのか。
「……いや、違うな」
嘘を吐くことを、相談しなかった事を、今更責めたい訳ではないのだ。
……信頼されていないような気がして、悔しかっただけだ。
非力だった子供の頃とは違って、王にもセシリヤにも近付けたと思っていたのに、それはただの独り善がりだと言われたようで、悔しかったのだ。
事実を聞いたその日から、必死に感情を押し殺し、王の前では今まで通りに振る舞う事を心掛けた。
王は戸惑いつつも、それでも何も言わず、変わらず傍で仕える事を許してくれている。
ただ、未だに答えを出さない事に不安を抱いているだろう事は窺えた。
今でも、王へ立てた忠誠は変わっていない。
これから先も、この命が尽きるまでは絶対に変わらないと言いきれる。
それ程までに、王に恩義を感じていたからだ。
王へ答えを出せないまま、様々な出来事が立て続けに起こる日々が続いた。
中には結界を破壊され、セシリヤが負傷すると言う事もあったが、既に彼女は日常任務に復帰し通常通りに過ごしていると聞いている。
王もひどく安心されたのか、食も戻りつつあるようだった。
いつものようにつつがなく一日を終え、寝所で王が眠りにつくのを見届ける為、ベッドから少し離れた椅子へ腰かける。
今夜は随分と王の寝つきも良さそうだと安堵し、静寂に満ちた部屋の中でゆらゆらと揺れる蝋燭の火を、ただじっと眺めていた。




