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嘘つき世界のサンタクロースと鴉の木  作者: 麻婆
第一章 ロストサンタクロース
19/51

優しい収奪者 ① /外ヶ浜銀次郎

 嶽優衣子は吐き捨てる。


「クズめ」


 それが火に油を注ぐ行為だと理解してなお、抑えることができなかった。


「あ? サンタちゃんがなんか言ってるぞ」

「あんたのことじゃん?」

「いやいや、あんたのことだって」


 茶髪と黒髪。女生徒ふたりが、優衣子の革靴を弄びながら、言い合いを始めた。それを、傍で笑いの種にしている男子生徒が二人。読書部の生徒たちである。


「どうして、正直者は馬鹿を見ると言われるんだと思う? どうして、真面目だと損をすると言われるんだと思う?」

「なに言ってんの? ぼそぼそ聞き取り辛えんだけど。ちゃんと、喋れよ!」


 黒髪の女生徒が、革靴を勢いよく優衣子に投げつけた。当たりはしなかったが、飛びのいた優衣子は下駄箱に衝突してしまう。揺れた下駄箱から砂埃が落ち、優衣子の頭に積もった。


「さすがサンタちゃん。雪積もってんじゃねえか」


 ピアスをつけた男子生徒が、指をさして笑い、他の三人も弾けたように笑い出した。


 見てみぬふりを決め込んだ他の生徒は、広い玄関の端から、逃げるように立ち去っていく。誰も関わりたくないのだ。


 読書部は、不真面目の巣窟だった。

 部活に所属しているという体裁が欲しければ、入部して損はない。それゆえ、読書部は多数の幽霊部員をかかえている。要領が良く、すこし不真面目な人たちに好まれた。

 そんな人たちのなかでも、怠惰や不真面目を格好良いとさえ誤認する類の人間がいた。そんな彼らが集う部室。彼らが好き放題にしているそこへ、知らずとはいえ乗り込んで説教をぶった優衣子。そうなれば、得てしてこの有様である。


「かーわいそー! 誰か洗ってあげてー」

 茶髪の女生徒が、これみよがしに大声を上げた。


「怠惰で不真面目なだけなら、まだいいんだ。普通だ。でも、真面目な人たちの邪魔をするなんて、ふざけてる。辞書で“屑”を調べてみろ。お前らのことが載ってる。語頭と語尾に、“わたしは屑です”と付けて喋れ。そして一生、顔を伏せて生きろ。でも、できれば辞書の角に頭をぶつけて、この世から退場してください」


 優衣子は見た目にそぐわぬ低音で、口を極めた罵詈雑言を浴びせる。その場の誰よりも小さな優衣子が、裸足のままピアスの男子生徒に詰め寄って行った。


「さっきの子に謝れ」

「なにそれ」

 自分の胸倉をつかむ優衣子を見下ろし、ピアスの男子生徒はニヤついていた。

「どうして、ちゃんと部活やろうって言った人を、突き飛ばすんだよ。邪魔するなよ」

「うざいからだよ。……お前もな!」


 ピアスの男子生徒は、優衣子の襟首をつかみ、引きずるようにして玄関を出る。

「おい。水、持ってきてくれよ」

 そう言って、ピアスの男子生徒は優衣子を噴水前に転がした。

「ははっ。まじで。ちょっと待ってて」

 ツーブロック頭の男子生徒が、笑いながら水場へと向かう。


「いったあ……」

 よろよろと立ち上がろうとする優衣子。

「寝とけよ。頭、洗ってやるから」

「いって……!」

 起き上がろうとした優衣子が、ピアスの男子生徒に蹴りつけられ、またコンクリートに横たわった。


「はいはい。綺麗にしようなー」

 ツーブロック頭の男子生徒が、バケツを手にして現れた。玄関先にある水場から、てんてんと水の跡が続いている。

「やめろ」

「やめるわけねえだろ。なのに、やめろって、馬鹿かよ」

 バケツが引っくり返る。顔面に水が流れ落ち、ごぼごぼと咳き込む優衣子。


「うわ! ちょっと! こっちにも飛んできたんだけど!」

「洗えって言ったろ、お前」


 茶髪の女生徒が憤り、バケツを持った男子生徒を小突いた。


「お前らみたいなのがいるからだ」

「あ? なに?」

「真面目で正直なやつが馬鹿を見たり損をするのは、そうじゃないやつらがいるからだ。真面目で正直に生きられないんだったら、ばつの悪そうな顔して隅っこで生きてろ! 真面目で正直な人たちを拝んで生きろ! 真っ当な人たちのおかげで生きていられるんだぞ、お前らは! だから邪魔をするな、クズ!」

「おいおいおい。なあ、こいつまだ汚ねえぞ。水、もっと持って来い。たっぷりの水で洗ってあげような。おい、まだ起きるなよ」

 逃げようとする優衣子。薄ら笑いのピアス男子は、彼女の手を踏みつける。逃げられないよう、強く踏まれた優衣子の手。彼女は苦悶の声を上げた。


「ははっ! 半泣きじゃねえか。真面目で正直? 違うね。馬鹿なんだよ。馬鹿だから、馬鹿を見るんだろ。馬鹿だから損するんだろうが。そんなこともわからねえで吼えてんのか? 馬鹿だなあ、おい」

「そーだよ。なんなのこいつ。馬鹿は隅っこで生きてろ。ばーか!」


 手を踏まれ、びしょ濡れの優衣子。それでも彼女は罵倒をやめない。


「たとえば、お前らがいつか結婚して子供をもうけて、その子に善悪を説いたとする。わたしはそこに現れて、お前らの悪行を語り聞かせてやるからな。そんなのは嫌だろ。嫌ならやめろ。やめたほうがいい。その子がかわいそうだ。だからやめて」

「なんだなんだ、やめて欲しいか。だったら、もっと助けを求めて泣けよ。ほら、誰だっけ? あのいつも一緒にいるやつら。ノッポと普通のやつ。あいつらに助けてもらえよ。ほら」

「そんなやつら知らない。関係ない」

「ねえ。こいつ、どっちの男と出来てんの?」

「どっちもだろ」

「きもちわりー!」

「しね! しねええ!」


 巽と不魚住を槍玉に挙げられ、一転、大声で暴れ始めた優衣子。しかし、たいした抵抗もできないまま、手足を押さえつけられ、延々と水をかけられた。それは、教師が気付いて駆けつけるまで終わることはなかった。


 外ヶ浜園美が木になって、一週間が過ぎたころだった。




 ◆




 桜の花が芽吹き始め、桃色の風が髪をさらう。いよいよ春めきだした境内で、外ヶ浜巽と不魚住奨はお茶を飲んでいた。


「うちのばあちゃん、献体の許可してたらしいな」

「うん。死者の木の一部を、各地の鳥居の製作とか修繕に利用させてもらうことになると思う」

「そうか。たしか、鳥居は埋葬林を守るための役割もあるんだったよな?」

「そうだね」

「墓守様みたいなもんじゃん」

「ふふ。うん、そうだね」


 巽はすこしの誇らしさを感じ、やわらかく笑った。つられて、不魚住も笑った。

 埋葬林の手前、三之鳥居を眺めながら、二人は暖かいお茶をすすっている。


「それにしても、優衣子のやつ、遅いな」


 やがて、巽がぼそりと呟いた。


「まあ、たしかに」

「読書部の連中が謝りたいって言ってたらしいけど、それだけならすんなり終わるはずだろ」

「うーん、そうだね。もしかしたら、そのまま読書部に入り直したりしてるとか。案外、仲良くやってるかも」

「えぇ……。それ、想像できるか? 優衣子だぞ?」

「うーん。たしかに想像が難しい。読書部の人たち、怖い人たちじゃなければいいんだけどなあ……」

「もしかして、やばいか? やっぱり一緒に行ったほうがよかったか?」

「そうだね。優衣子に要らないって押し切られたけど、いまからでも行ったほうがいいかも」


 だよな、と巽が頷いたときだった。開け放たれた縁側にいた彼らへ、電話のベルが緊張感を届けた。


「不魚住。あの電話って、たしか……」

「連盟からの連絡だね。ごめん、巽。仕事だ」

「わかった。俺は学校に行ってみる。お前も無理しないで頑張れよ」

「うん。ありがとう」


 不魚住の緊張した横顔を見て、巽の背中は嫌な予感に冷やされた。喉元を通ったお茶の熱さも、それを拭い去ってはくれない。空にした湯飲みを置いて、彼は立ち上がる。


「ばあちゃん、じいちゃん、頼む……」


 なにがどうというわけではない。理由のない、得体の知れない恐怖にも似た予感が、巽に絡まって離れてくれなかった。彼の祈りを聞き届けたのか否か、埋葬林が身じろぎをするようにざわめいた。




 ◆




 銀次郎の薄明の視界が、埋葬林への侵入者を捉えた。


「男女の若者が五人。たぶん、四人で一人を追いかけてる」


 トランシーバーは、緑の粒子を薄くなびかせている。銀次郎が跨った苔色のバギーも、緑の尾を振るようにゆっくりと旋回していた。

 立ち乗り状態の銀次郎は、右手でアクセルを軽く開けた状態を保ち、左手のトランシーバーを双眼鏡に持ち替えた。


『警察への連絡は完了です。どうですか?』


 銀次郎の左手首に、ストラップでぶら下がったトランシーバー。雑音と共に、馴鹿の声が届いた。


「ちくしょう。なにかの罰か、これは……」

『銀次郎、聞こえてますか?』


 首からさげた双眼鏡を手放し、トランシーバーを引っ掴んだ銀次郎。親指でマイクスイッチを押し込んだが、言葉が出ない。息を吸い込んだまま、言いよどむ。ざらついたノイズだけをのせて、社務所へ向かって緑の光が尾を引いた。


『銀次郎? 大丈夫ですか?』

「すまん。大丈夫だ。……あー、いや、正直、大丈夫ではないな。ひとり、()()()()()()()()()


 追っ手側の男女四人は、すでに迷い始めていた。乗り入れたスクーター二台を放置して、ふらふらと全員同じ方向へ歩き出した。だが、追われていた少女は、迷うことなく埋葬林の中心部へと向かっていた。

 銀次郎は、粒子の流れから推測した追っ手四人の現出場所を馴鹿に伝えた。


『了解しました。それで……。銀次郎、いけますか?』


 問われるまでもなく、背中のマークスマンライフルの使いどころであった。

 しかし、銀次郎の顔は苦痛に歪む。


「まだ子供だぞ。高校生だ」

『……それでも、です。子供も大人も関係ないんです。すみません』


 馴鹿は、一瞬の間を空けながらも、責務を果たせと通告した。氷のように冷たく緊張した声だった。


「わかった」

『ありがとうございます……』


 見間違えであって欲しい。ただそれのみを願い、銀次郎は八葦一号の鼻先を下げた。


 緑閃光(グリーンフラッシュ)にでも潜っているかのように、銀次郎の頬をかすめて、緑の光が流れていく。明らかに角度をつけすぎていた。彼の急いた心に操られ、バギーは鋭角に埋葬林へと突き刺さる。


『銀次郎!? すごい音がしましたけど、大丈夫ですか!?』

「すまん。ちょっと慌てた。大丈夫だ。ここから先は、こっちからの連絡を待て」

『了解しました。無茶しないで下さい』


 埋葬林の上空は、青く晴れ渡っていた。真夏の空である。太陽光線が途中で変換でもされているのか、本来は春であるはずの日差しが、じりじりと焦げ付くようだった。

 湿った空気を大きく吸い込んで、銀次郎は倒れた体を起こした。左手に痛みを感じた銀次郎は、グローブが破れて出血しているのを見てとり、吸ったばかりの息を吐き出した。


「なにをしてるんだか……。お前にも、ちょっと怪我させてしまったな。連盟に修理してもらおうな」


 ニタニタと笑いながら自分をどやす二森が想像されて、彼の溜息はさらに深まった。死者の木と衝突し、フロントライトの片方が割れてしまっていた。そんなバギーを申し訳なさそうに見やる銀次郎。


「すまんな、八葦一号」


 そして、銀次郎は衝突した死者の木に触れる。


「眠ってたところ、申し訳ない」


 死者の木に謝罪した銀次郎は、横転したバギーを起こし、移動を開始した。


 埋葬林を走り出したとたん、銀次郎のバギーへ道をゆずるように、心なしか死者の木がうごめいている。真夏の空気を裂き、ぬるい泥水を跳ね上げながら、銀次郎は徐々に少女へと近付いていく。

 ときおり、アーチ状に重なった木の枝をバギーがくぐり抜ける。間を流れる雨水を跳ね上げ、バギーは銀次郎を乗せたまま姿を消す。そして、数百メートル先、別のアーチからバギーが現出する。


 銀次郎は、その心持ちとは裏腹に、ショートカットを行いながら確実に少女へと接近していった。


 そして、目の前の粒子が色濃くなったような気がして、銀次郎はバギーを停止させた。彼はあたりを見回す。まるで巨大な緑の蛇が、その体をゆっくりと動かすように、濃い粒子が北西方向へと流れている。


「川岸か……」


 呟き、銀次郎がマークスマンライフルのスコープを覗くと、いよいよ死者の木は明確に枝を動かし、射線を通した。


 スコープに押し付けた銀次郎の顔から血の気が引いていく。呼吸は浅く、体が小刻みに震えだす。


 いったん、銀次郎はスコープから顔を離し、震えを吐き捨てるように大きく深呼吸をした。左手の出血は緩やかだが、いまだ止まってはいない。汗をぬぐった彼の頬を赤く染める。


「……落ち着け。不転化個体は人間ではない。不転化個体(カラス)は、人間ではないんだ。あの子は、人間じゃない」


 二森の言葉を思い出し、呪文のように呟く銀次郎。


 あの少女は人間ではない。そして、己もまた人間ではない。ならば、人間の定規は叩き折れ。これは、そういう行為だ。銀次郎は自分に言い聞かせる。

 スコープの向こうで、逃げおおせたと確信したのか、少女は川岸に座り込んで息を整えていた。禁足地である中心部へは到達していない。しかし、御神体の領域を示す巨大な鳥居は、もうすぐだった。


 銀次郎は、少女が移動をやめたことを確認して、トランシーバーのマイクスイッチを押し込む。


「馴鹿。脅して立ち去ってもらうというのは、やはりダメなのか? 彼女、止まったぞ」


 ややあって、社務所のある南東から緑の閃光が届いた。


『ダメです。必殺が古来よりの掟であり、現在の法律です。迷わない者は、スレイベルに対しても、そうとうの耐性を持ちます。ちょっとした出来事ならまだしも、ここまでの大事では、きっと忘れることは無理でしょう』


 平静を装った涙声が、馴鹿も勘付いていることを物語っていた。それを粒子の音声変換が拙いせいにして、銀次郎は聞かなかったことにした。馴鹿とて、あの少女と同じ子供である。その責任感、胆力に、銀次郎は瞠目するほかない。


『銀次郎……。可能であれば頭を。連盟のことは気にせず、苦しくないように……お願いします』


 もはや、馴鹿の声は震えを隠すこともできなくなっていた。


 腹を括ろう。欠陥品とはいえ、己も墓守である。子供のあんな決意を前に、ただ怯んでいるだけではいられない。それは大人のすることではない。銀次郎はそう決意し、奥歯をかみ締めた。


「わかった。しばらく待て」


 短く伝え、銀次郎はトランシーバーを放り投げる。八葦一号のシートを台座にして、スコープを覗きこんだ。

 スコープのなかの少女は、濡れた長い黒髪をうっとうしそうに結んでいた。よく見れば、まるで川に落ちたかのように全身が濡れている。

 今日が真夏でよかった。風邪をひかなくてすむかも知れない。などと、銀次郎は詮無いことを考えて、苦しくなった。


「……あぁ、待て。やめてくれ。頼む。いまは要らない」


 少女の口元は、ぼそぼそと何事かを呟いている。緑の粒子が輝いて、少女の口の動きが、銀次郎の鼓膜を震わす音とリンクした。


 ――待ってくれよ。いやだ。死にたくねえよ――


 一瞬、銀次郎は初めて射殺した赤いライダースジャケットの男を思い出した。


「やめてくれ……、頼む」


 銀次郎の懇願も虚しく、発光した緑の粒子は少女の声を届ける。


「ごめんねー、不魚住奨。迷惑かけてるよね。思わず逃げ込んじゃった……。ここ、どの辺なのかなあ。社務所がどっちかわかんないや。なんで、わたしは迷い出ないのか……。ごめん。ごめんなさい。墓守様、ごめんなさい。ごめんなさい……!」


「人間ではない。人間ではない。あれは、人間ではない……」

 銀次郎は呪文を唱え続ける。しかし、それは彼の手の震えを治めてはくれなかった。


「巽。不魚住将。父さん、母さん。墓守様。……ああ、こわい。こわいよ……! ここどこ? どうなっちゃうの?」


「……っ。くそおおぉお!」


 スコープのなかで、少女は銃声にいくばくか遅れ、跳ねるように倒れこんだ。


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