第七十九話◇森岡海
お、おう……。兄と一條先輩のことばかり考えていたけど、何?
月島宙は、私のことが好き? 愛してるですって?
私は真っ赤になって、体を硬直させていた。
「ちょっと海くん。俺の気持ちに気付いてないなんて、なんて鈍感で天然さんなんだよ。まぁ、そこが可愛いところでもあるけど、さ」
は? コイツ、またもや私をディスって来たぞ? 前にも古風とか言ってきたし。
「あのさー、鈍感さんとか天然ちゃんとか言わないほうがいいよ? その鈍感さんに助けられて尊敬してるとか言ってるわけでしょ? その天然ちゃんにキスしてるワケなんだからさぁ。あーたは鈍感で天然とキスするのがいいわけ?」
「いやぁ、そーゆーことじゃないでしょ。日々常に発見してるだけだよ。森岡海の可愛いところを」
「ごまかされないからね。このキスエロ魔人」
む? ちょっと待てよー?
コイツは心に決めた人がいるから、私との婚約は嘘だと思ってた、けどさ。
あれは、本告? 婚約したい気持ちは本当? ひょっとして、私、将来は日本有数の大金持ちの嫁になるのでは……。
「ちょっと海くん!?」
私は気絶してしまった。月島宙の腕に倒れ込んで──。
目を覚ますと、自室のベッドの上だった。月島くんは、私を送ってくれたらしい。
むー。両思いだったことは良かったけど、まさか大金持ちの婚約者になってることが現実だったとは。アイツ、どのくらいの金持ちなんだ? 結納金をポンと10億出してきたものね。あわわわわ。今更ながら、あわわわわ。
しかし、アヤツが私を好きだったなんて、一体どこから何だ?
お父様の前でも政略なんてイヤ、海くんと結婚したいとか抜かしてたぞ?
そもそもアイツは、私に家に来るな、近付くな、余計なことするなとか言ってたクセに。
アカン。何がウソでホントか分からんぞ? これ、夢か? 夢の中なのか? 一回寝て、起きてみよう。
次の日、目覚めるといつもの日常がやって来た。兄は新しいマンガ読むか、とか言って机の上に置いていったし。
この兄に一條先輩が恋してる? 頭に寝癖付いてるけど……。
そんで大金持ちの月島宙は私に恋してる──。
いやいや、全部夢だったんだ。壮大な夢。一部、二部、三部くらいに分かれてた夢だったんだー。はー良かった。そんなワケないもんね。
制服に着替えて、朝食を食べに行くと、母は私をギロリと睨んだ。一体なに?
「月島くんが車で迎えに来たわよ! 連絡してあるって言ってたけど。昨日倒れたから心配なんですって。あなた、月島くんにどれだけ迷惑かければ気が済むの?」
ガーン!!
夢じゃなかった。トークアプリを見ると、確かに朝車で迎えに行くよ。ハートの絵文字。
月島宙は、私のことが好きで好きでしょうがないんだ。くくく、落ち着いてブレックファストを楽しむことも出来ない。私は急いでパンをかじった。
外に出ると、後ろに運転手さんを侍らせた月島宙が満面の笑みで突っ立っていた。
「やぁ海くんおはよう。今日の体調は大丈夫かい?」
「えと、あの、その、だ、大丈夫で……」
「昨日は心配だったよ。そちらの家に連絡したらぐっすり寝ていると聞いたので安心はしたけど、さ。もう、海くん。キミの体はキミだけのものじゃないんだから気をつけてよ」
「あの、その、それは、どうも……」
ちょっと! なにパニクってる? 私!
こんなん、ただの月島宙じゃないか! 足なり頭なりを踏んづけて、この意地悪野郎の体に教え込まねば……。
ぬぬ。月島宙め! 私のアワアワを見て、クック、クックと笑ってやがる。腹立つわねー。
「なんでそんなにキョドってるの? 朝から海くん、どうしたの?」
「ど、どうもしてないです、いや、どうも、してないわ。いちいちうるさいなー。ソラのクセに」
私は車に乗らずに一人学校へと歩みを進めると、すぐさまヤツは隣に並んできた。振り返ると、月島宙専用車は走り去っている。くう。この王子様め、運転手さんに命じて帰らせたんだ。
そんで二人で仲良く登校の絵。回りのみなさんは、大金持ちのお坊っちゃまとその婚約者が通ると微笑ましく思ってやがる。それに挨拶をしている、将来の夫。ぐぬ、ぬ、ぬ。
「あのっさぁ……」
「どうした、海くん」
「ちょっと聞いてみたい。どうして私なの?」
「どうしてって……。好きだし、愛してるし、一生そばにいたいから」
なぜコイツは自信をもって言えるんだ? あたしゃー将来TSUKISHIMA自動車の社長の嫁になるんだよな? それってどえらいことじゃねーの? 社員数とか工場がどれくらいあるか全く見当が付かない。想像できない規模の会社の後継者なんだろ?
やっぱり、ちゃんとしたどこぞの社長令嬢のほうがいいのでは? 私とは、一時の青春の思い出って感じで。
「で、でもさ。お互い若いし、大金持ちの嫁なんて、私には無理だよ。婚約なんて考え直したほうが……」
「何言ってるの? 大金持ちがいやなら、俺はTSUKISHIMAの後継者から抜けるだけだよ。普通に働いて海くんと仲良く暮らすだけ」
「ば、バカ! そんなのダメに決まってるでしょう? 従業員さんたちかわいそうだよ」
「だったら、結婚してよ。海くんはTSUKISHIMAの経営なんて考えなくていいからさ」
かー! やっぱりコイツ、出会ったときの性格のまま。短絡的で一方的。そんでグイグイ来やがる。なんで私コイツに惚れたんだ? そもそもコイツも。
「い、いつから?」
「なにが?」
「だからぁ、いつから、そのー、愛しちゃったワケ? 私、のこと……」
それに月島宙は吹き出す。悪かったなー。恋愛沙汰の話なんて恥ずかしくてなかなか出来ないんだよ!
「そりゃ最初からに決まってんじゃん。希望もないアパートに帰ったとき、彩花と遊んでいる美しいキミに一目惚れしてたんだよ」
「ウソ! あの時のソラ、怖かったもん! 詰め寄ってきて『とあー! 帰れ!』って怒鳴ってたもん」
「だって、あの時は誰も信じられなかったもの。彩花を守らなくちゃって気持ちが優先したんだ。でも本当は嬉しかった。俺たちに一筋の光が射してきたんじゃってないかって思ったんだ。だから、今更ながらに謝るよ。あの時、心ならずも怒鳴ってゴメン。そして、俺たちを助けてくれてありがとうございました」
月島宙は、足を止めてペコリと頭を下げる。みんなが見ている前で。恥ずかしい。
「んんんん、止めてよね。恥ずかしい。私がソラに頭下げさせてるみたいじゃん」
「別に海くんに頭下げることなんか恥ずかしくないよ。これからもたくさん頭を下げると思うよ。結婚してくれてありがとう、俺の子を産んでくれてありがとうってさ──」
「やだ、もう……」
「へへ」
おおっと! 照れてしばらく時間が止まってしまったぞ。くうう、月島宙。憎らしいけど、好きになっちまったもんは仕方ない。そもそもコイツの、兄のように妹を守る姿に惚れてしまったんだよなー。まあ、平気で裏切るなんて真似はしないだろう。もししたら、その時はどこまでも追い掛けて殴りつけてやるだけだが。
私が考えていると、月島宙はまたもやクック、クックと笑いだした。何がおかしいんでー!
「何よ。笑わないでよね」
「いやいや、海くんにキスすると、いつも硬直して手足がピーンてなってるなぁと思ったらおかしくて、おかしくて。クックク」
「止めてよね。そうやって、人がいるのにキスとかスケベ丸出しだよ」
「キスでスケベって……。やっぱり海くんは古風だね。結婚までは、みたいな感じ?」
「なによ! キスなんて、夫婦がすることでしょう? 婚約者になったからって、そう言うこと平然と、止めてくれる?」
「いやぁ、俺としては海くんともっと先に進みたいけど?」
く、こいつ……それ以上って──。まさか! キス以上ってあれか? 腰を抱いて、その後に、太ももを触ったりするとかしたいと考えているのでは!?
「ヘンタイ」
「いやー、それほどでも~」
「誉めてない。アンタのことだから平気でキス以上に及びそうだし。結婚するまではダメですからね!」
「い、いやでも、二人がいいねってなったら結婚まで待たなくても良くない?」
フン。やはりそうだ。コイツは私の太ももにベタベタする気満々。人様の太ももをスルスルと抱えて──。
『ウィンウィン、ウィンウィン、フフ、ウィンウィン』
とかギターに見立てるつもりだ! くく、このスケベめ! これは将来までちゃんと太ももを守らねば!
◇
と、思っていた時期もありましたが、高二の夏に、月島家のお父様の許しを得て正式婚約した数日後、雰囲気に飲まれて『それ以上』のことに踏み込まれてしまうことに私はまだ気付いてなかった。
さらに、月島の会社の総資産は百兆で、月島個人でも二兆五千億の資産があることに──、私はまだ気付いてなかったのである。
◇
そして後日談。
私が一人、帰宅の途についていると。
「あら、森岡くんの妹さん。偶然ね」
やっぱり。一條先輩だ。この人、全然偶然なんかじゃないんだ。私が一人になったところを見計らって、兄の情報を得ようとしているんだわ。
どうして兄なんかを? そりゃあ、私と同じくらい見る目があるとは思うけどね。
「ふふ、一條先輩」
「え? 何かしら?」
「お強いんですね。空手か何かをやってらっしゃるんですか?」
そうよ。兄を助けるために屈強な誘拐犯四人を一人で相手にしたんですもんね。
すると先輩から、ギュインと手が伸びて私の口を塞いだ。そのお顔は大変恥ずかしそう。
「や、や、や、止めてよ。そんなこと森岡くんに知られたら生きていけない!」
「どうしてです? 言ってはいませんけど……」
「だって、強い女なんて幻滅されるでしょう?」
「でも助かりましたよ。兄は眠り薬を嗅がされてうっすらとした記憶しかありませんでしたけど、白い女神が助けてくれたって」
「あの、そのう……。どういうワケか体が勝手に動くの。言わないでよ?」
「言いませんよ。私は知らないふりして、そっと見守ってますから」
その時だった。
「おーす。海、ただいまぁ。今日は月島くんと一緒じゃないのかぁー?」
兄だ。一本向こうの電信柱辺りから手を振っている。一條先輩は、兄の声に反応して、ドキィ! と肩を震わせていた。兄とはまだ距離がある。私はこっそりと先輩に呟いた。
「どうです。兄と話して行っては?」
「わ、私が? あの大天使と? あのー、そのー、あああああ、おおおおお。か、帰るわね」
一條先輩は、まるで風のように駆け出して行ってしまった。兄は一足違いでそこにご到着。
「ん? 誰と話してたの?」
「ああ、一條先輩」
「え? 一條さんと?」
ん? 兄の顔が赤くなってる。これはイッシッシ。もしかすると、もしかするのでは?
「そうだよ。ちょっとした世間話をね」
「へ、へー。あの才女で美人、麗人、佳人な一條さんが、どんな世間話?」
オイオイ。興味津々かよ。言葉がたどたどしいぞ?
「まー、そこは、女子の内緒な話だよね」
「な、内緒な話? か、彼氏とかいるのかなー?」
「んー、いないよ。どうしたの? まさか憧れちゃったりしてるとか?」
「ま、まさか。あれは虹のような人だよ。見ていると幸せな気分になれるけど、追い掛けても決して到達できず、やがて消えてしまうものだよ」
「へー、詩人。好きなら告白してみたら?」
「バカだな、お前。100パー無理だろ」
「そうかなー? お兄ィも捨てたもんじゃないと思うけど」
「くっ、悪魔の囁きか。俺なんかに一條さんが気をかけるわけないだろ? 気休めはよしてくれ!」
兄は恥ずかしそうに家の中に入っていった。
アホぅ。背中を押してやっているというのに。全く。こんな純情な二人が恋に発展するのかなー?
ま、気長に観察してましょ。気長に、ね。
これで森岡海編は終了です。月島宙は、海にずっとゾッコンです。海も強がってるだけの相思相愛。末永く幸せになって欲しいものです。
さて次回から、本編に移ります。空は数々の妨害を経ながらも、瑠菜と愛を築いて行くことが出きるのか?
お楽しみに!




