第六十話◇森岡海
私はあっけにとられていた。村田くんからの一方的な言葉だった。なぜここまで言われなくてはならないのか? 自分の親切心を無下にされ逆に反発の心が彼に抵抗の言葉をぶつけようとしたが、彼はぬるりと私の横を通り過ぎてさやちゃんへとビニール袋を渡していた。
「余ったおにぎり貰ってきた。二人で食べよう」
彼はスーパーかどこかで働いているのだろう。そこの袋だ。長身を生かして年齢を偽っているのだ。だが、こんなこと長く続くわけない。私は村田くんの背中へと問いかけた。
「どうして学校にこないの? お母さんはどこに行ったのよ」
すると彼は私を押して、キッチン側へと連れて来た。おそらく、さやちゃんへ聞かせたくないのだろう。
「チッ。この幸せな偽善者め。両親揃って、仲良く暮らしてるくせによ。余計なこと言うなよ。どうせ行政に頼れとか言うんだろ? 確かに母さんは男とどこかに逃げちまった。もう半年帰って来てない。だがな、そんなこと市役所に言ってみろ。すぐに俺たちは保護という名目で施設に入れられる。それは同じ場所かな? それとも別々? 里親が見つかって同時に引き取られると思うか? もしそうなったとして、他人と仲良く暮らせるのかよ? 俺は嫌だな。だったら、彩花と二人で暮らすんだ。俺たちのことに首突っ込むな! 彩花は俺が育てるんだ!」
私は圧倒的されていた。彼の気迫に。気付いたらアパートの外に出されていた。ただ、胸の中にモヤモヤが残る。そのまま家へと帰り、ソファーに座ってどうにもならない頭を抱えた。
「どうした? 何かあったか?」
それは兄だった。この人は私が困っていると、こうして話しかけてくれる。昔から──。妹思いのよい兄なのだ。
「いやぁ、別に」
「そっか。ならばいい」
そのまま兄は立ち去ろうとしたので、思わず声が出た。
「あの……さ」
「ん?」
「もしも、もしもだよ? お父さんもお母さんも事故で死んじゃって、私とお兄ィしか残らなかったとするよね、親戚もあてにならなくて、施設に別々に入れられるとしたら、お兄ィは、どうする?」
すると兄は顎に手を当てて深く考え込み、天井を眺めながら言った。
「そうだなぁ。施設に入れられる前になんとか二人で暮らせる道を模索するかな? お前は友達も多いからよその土地に移りたくないだろうし。まあ高校は中退して働いて、お前のことは高校くらいは出せるようにするかなぁ?」
との回答と共にニッと笑う兄に嬉しくなった。何か言葉を返そうと思ったが強がってしまった。
「うげぇ。顔に似合わない。きーも、キモい」
「うぬぅ。この悪魔め! 立ち去れ!」
そう言い残して自身が自室に去っていく兄。自分で立ち去れと言っておいて……。
でもやはり兄は兄だった。だからこそ重なった。兄と村田くんが。妹思いのよい兄──。私のモヤモヤする胸の疼きは、少しだけドキドキへと変わっていた。
やがて母が買い物袋を下げて帰ってきた。そして、晩御飯は何がいいか聞いてきたので答えた。
「あっ。オムライス」
「オムライス? ふふ。いいよ。簡単だしね」
「ね。お母さん。オムライスの上手な作り方教えて」
「え? もちろん。いいよ」
私は母の隣に並んでオムライスの作り方を習った。さすが母だ。教え方が上手い。私も実践で二つ作った。上手に出来たのは父に、ちょっと崩れたのは兄に食べさせた。兄はブーブー文句を言ったが、最後には美味しいと誉めてくれた。やった!
土曜日の休日。私は再度村田くんの部屋を夕方に訪れた。自分のおこづかいでオムライスの材料を買って。お米は家にあったのを失敬したのだが。
そして村田くんの部屋のドアをノックする。前と同じように三度目で恐る恐ると行ったふうにドアが開いた。
「あっ……。お姉たん」
「そ。海ちゃんだよ。さやちゃんと遊びに来たんだ」
「お遊び? えへ、えへへ」
「ね、お邪魔していいかな?」
「うん。いいよ」
さやちゃんに導かれて部屋に入ると、村田くんはまた不在だった。おそらくバイトに行っているのだろう。そのほうが都合がいい。また怒られてはたまらない。
私とさやちゃんは、仲良く遊んだ。お外に出て公園で遊ぼうと誘ったが彼女は小さく首を振った。村田くんに外に出るなと言われているのだろうと容易に想像できた。
やがて昼がやって来たので、私はさやちゃんに言って、エプロンを着けた。
「おねえたん、お料理?」
「そうだよ。さやちゃん、前に言ってたでしょ。オムライス作るね」
そう言うと、さやちゃんは嬉しいやら恥ずかしいやらというような顔でモジモジしていたが、そのうちに顔を上げて可愛らしく笑った。
私はキッチンに立ち、チキンライスを炒める。トマトケチャップの香ばしい香りが漂うと、さやちゃんは嬉しそうに私の後ろを行ったり来たりしていた。
そのチキンライスをタマゴでくるんとくるむとオムライスの出来上がり。さやちゃんに見せると絶賛して拍手してくれた。照れる。
さらに、黄色いタマゴの上にケチャップで『さや』と書いて上げると悶絶していた。
出来上がった二つのオムライスを座卓に置いて、仲良く『いただきます』。
さやちゃんは、たどたどしくスプーンを持って、大きく掬ったオムライスを何度もお皿の上に落としていた。それが可愛くて笑ってしまった。
「もーう、おねえたん、笑わないでよぉう」
「うふふ。ごめん、ごめん」
さやちゃんはお口に入りきらないくらい頬張って『おいしい、おいしい』と言ってくれた。
私の胸は、嬉しいやら楽しいやらの気持ちでいっぱいになって、心が踊りまくっていた。
夕方まで楽しく遊んでいると、そこに例の村田くんが帰ってきた。村田くんは片手にビニール袋を下げていたが、私を見ると眉を吊り上げて怒っていた。
「また君か! 一体何のようだ!」
私はそうくるだろうと想定していたので、澄まし顔で返した。
「別に? 私はさやちゃんのお友達なんですからね。村田くんになんて会いに来てないけど?」
「くっ。俺たちをそっとしておいてくれと言ったはずだ」
「それより、オムライス作って置いたけど? 食べない?」
「はあ? オムライス?」
さやちゃんは楽しそうに立ち上がって、その場でクルクルと回った。私は戸棚にしまっておいたオムライスを取り出した。そこには『おにぃ』と書いてある。さやちゃんが『おにいちゃん』と書きたいと言うので、紙に書いてあげたが、最後まで書ききれなかったのだ。悲しそうな顔をしていたが、意味は通じるよと教えると、笑顔になってくれた。その後、紙に鉛筆で何度も『おにいちゃん』と書く練習をしていたのだが。
村田くんは『おにぃ』の文字に、嬉しいやら甘いやら酸っぱいやらの気持ちで笑顔になっていた。さやちゃんはそんな村田くんへと言う。
「ね、ね。おにいたん、食べて、食べて」
村田くんは、私には精一杯のムスッとした顔をしたまま座卓へと座り、オムライスを食べ始めた。さやちゃんはその様子をピョンピョンと跳ねながら見ていた。
「ね、ね。おにいたん、おいしい? おいしい?」
「ん、ああ。おいしい、よ?」
村田くんの声は私へ届かないように小さく絞ってはいるものの、バレバレである。
しかし村田くんは、スプーンで私を指しながら怖い顔で睨んで言った。
「親切はありがたいが、もうこういうことはやめてくれ。この食事だって、うちの光熱費を使ってるわけなんだろ? うちはカツカツなんだ。それに君の出入りを人に見られたら、俺たちの存在が明るみに出る。君の親切は大きなお世話なんだよ。頼むから、もう来ないでくれ」
私は目の前が真っ白になった。そしてムカついて来た。私は荷物を持って立ち上がると、駆け足で部屋を出ていたのだった。




