銀色の魔力
高位探求者の猛攻から命辛々逃げ出してから、すこし経った。
周囲に細心の注意を払いつつ魔物を狩って魔力を補充し、なんとか魔力量を上限値いっぱいにまで貯めることができた。その間、新たな探求者は現れず、そのことにほっと一息をついている。
次の探求者が現れないうちに、次の目標に向かおう。
そう思い、精霊に導かれて訪れたのは、一面に荒野が広がる大規模空間だった。
「ここか」
ダンジョンの通路とは違って、この大規模空間は随分と明るい。
ドワーフたちの人工太陽ほどではないけれど。この明るさを例えるなら、夕暮れだ。茜色に発光する鉱石が、この空間の天井を満たしている。だからこんなにも世界が夕焼け色に染まっていた。
「何日ぶりの夕焼けだろ」
すくなくとも五十年以上ぶりだ。
このダンジョンにも昼と夜があったけれど、夕焼けはなかった。誘魚珊瑚も、人口太陽も、夜を昼にすることはできたが夕焼けには出来なかった。
この色を見ていると、病室の窓から見えた空を思い出す。
そんな哀愁にも似た感情を抱きながら、夕焼けの荒野を歩き出した。
「石と砂ばっかりだ」
眼前に広がるのは荒れた大地と茜色の天井くらいのもの。注意深く見れば背の低い草木が点在しているが、それだけだ。生物の気配をあまり感じられない。
こんなところに本当にいるのだろうか?
そう思い始めたその時だった。
「――ウォオオオオオオオオオオッ」
どこか遠くから、遠吠えが聞こえてくる。
すぐに周囲に目を向けて警戒の糸を張り巡らせるが、すぐには見つからない。
その姿を見つけたのは、その遠吠えが鳴り終わった直後のこと。
それは夕日を背にするように、後光を伴いながらこちらを睨み付けていた。
「フェンリルッ」
精霊が示した次なる魔物。銀色の毛並みを靡かせる大型の狼。
それが遠くの丘の上に自ら姿を現した。
「いきなりかよっ」
直ぐさま臨戦態勢に入り、地面の砂から錫杖を作る。得物を構え、襲撃に備えたその直後のことだった。
「――」
銀の狼はすでに目の前にいた。
丘の上にいたフェンリルは遠く、小さなものだった。砂から錫杖を作るのに数秒と掛からない。だと言うのに、錫杖を作り終えた時にはすでに目の前にいた。
大口を開き、牙を見せつけ、噛み砕かんと迫っていた。
こいつはヤバい。早すぎる。
「くっ――」
もはや錫杖による防御も迎撃も間に合わない。
俺は自ら差し出すように、左腕をフェンリルの口に突っ込んだ。
「ぐッ」
ガーゴイル・デザートの装甲が貫かれ、骨にまで牙が達する。
激痛が走ってはいるが、幸いなことに食い千切られる様子はない。それだけガーゴイルの魔力が硬いからだ。
あの速さに加えてこの牙の鋭さ。高位の魔物だ、それだけではないはず。とにかく、この噛み付かれた状況は不味い。
激痛に耐えながら、噛み付かれた腕に魔力を送る。喉の奥に刃を突き刺してやるつもりで宝石刀を作ろうとしたその時。
いち早くその兆候に気がついたフェンリルは、牙を抜いてその場から跳びのいてしまう。
目にも止まらぬ速さで一定の距離を取り、変わらずこちらを睨んでくる。
「不味い、不味い、不味い」
速さだけで言えば、あのムカつく高位探求者よりも上だ。
「ウォオオオオオオオッ」
天に向かって吼え、そして視界から消える。それとほぼ同時に脇腹へ衝撃が走り、遅れて攻撃されたことを知る。ガーゴイル・デザートに深く削れた爪の痕。それを視認した直後、今度は背中に衝撃が走る。
「くそっ――」
腕、足、腹、首、次から次へと爪が、牙が、ガーゴイル・デザートを削っていく。即座に防御の姿勢を取ったが、お構いなしに削られる。
こんなに近くで、何度も攻撃されているのに、フェンリルの影すら追えない。反応すら許されない。あるいはオチュー・アイズなら、この速さにも対応できるか?
いや、もしそれでも出来なかったら、今度こそ腕を食い千切られてしまう。
「離……れろッ」
苦肉の策として、自らの周囲に砂塵嵐を巻き上げる。天井まで届かんばかりの砂の竜巻。これに弾かれてフェンリルは中に入ってこられない。
だが、これもただのその場しのぎ。根本的な解決にはいたらない。
「どうする……どうする……」
交戦しても、こちらの攻撃が当たるとは思えない。
なら逃げるか? この砂塵嵐を利用すれば飛び立てる。
そうだ。一度、撤退して態勢を整えてから対策を――
「ウォオオオオオオオオッ」
思考を遮るように轟いた咆哮。
その直後、砂塵嵐が真っ二つに引き裂かれた。
「――」
目にしたのは、フェンリルの額から伸びる魔力の刃。
銀色の風を纏い、鋒が俺の胴を貫いて、駆け抜ける。
「がはッ」
引き裂かれていた。ガーゴイル・デザートでなければ下半身とおさらばしていた。
背中まで突き抜けた銀色の刃。これを引き抜くには、まず移動を続けているフェンリルの足を止めなくては。
「ぐっ、あああぁあああああああッ」
身を貫く激痛に耐え、銀色の刃を握り締め、無理矢理に両足を地面に着地させる。踏ん張りを利かせ、地面を削りながらフェンリルの勢いを削ぎ落とし。最後には砂を使って自らの両足を固定してまでフェンリルの走力を殺し切る。
「グルルルルルルル」
真両面から受け止め、どうにか止めることには成功した。
このあと、どうやって銀色の刃を引き抜くか。それを睨み合いの最中に考える。
しかし、その結論が出ることはなかった。導き出す前に、フェンリルが横方向に吹き飛んだからだ。
「なっ――」
誰かに横槍を入れられた。そう気がついたのは目の前からフェンリルが消えて数秒後。
すぐさま吹き飛んだフェンリルへと目を向けたが、そこにはすでに姿はなかった。不意打ちを受け、素直に逃げたのだろう。
とりあえず、助かったと安堵の息を吐く。
そうしてから横槍を入れた誰かに視線を向けた刹那。
「拘束しろ」
多方向から黒金の鎖が投げられ、四肢と胴、首を締め上げられた。
身動きを封じられ、そうしてようやく、横槍を入れた人物を――人物たちを見る。
褐色の肌に鍛え上げられた肉体、狩猟民族のような衣服。弓や剣、槍を構えて武装したその人物たちの中には、なぜか男が一人も存在していなかった。




