水生の亜人
「人魚……」
半人半魚。
上半身が人間の姿をしていて、下半身が魚になっている。
物語の中の存在として広く知られていた人魚がそこにいた。
険しい表情をして俺を見据えている。
「魔物……なのか?」
「――いいえ。人の半身と魚の半身を有する亜人です。知性と文化を持ち、魔物とは区別されます」
「亜人……」
これも地球と異世界が繋がった影響か。
ダンジョンや魔物だけにとどまらず亜人まで。
なら、エルフやドワーフもどこかにいるのだろうか?
このダンジョン内、もしくは外の世界に。
「……どうして立ち去らないといけないんだ?」
話を本筋に戻して、そう尋ねてみる。
すると、人魚はひどく驚いた顔をした。
「スケルトンが……しゃべった」
どうやら意思疎通が取れるとは、最初から考えていなかったらしい。
声を掛けることで注意を引き、威嚇射撃を行う。
その際にそれらしい言葉を投げただけ、と言ったところか。
なのに、きちんとした反応が帰ってきて驚いたみたいだ。
「……これより先は私たちの領地です。魔物を招き入れる訳にはいきません」
「魔物……」
面と向かってそう告げられると、心にくるものがある。
心は人間のつもりでも、姿形は魔物のそれだ。
しようがないことだが、とても傷付く。
「俺は……たしかに魔物だけど、あんたたちに危害を加えるつもりはない。ただこの先に用があるだけなんだ」
「用? その用とはなんですか?」
「シーサーペントって魔物を倒しにいくんだ」
「……あのシーサーペントを?」
その名称に聞き覚えがあるような口振りだった。
当然と言えば当然だ。
この水没エリアにシーサーペントがいる以上、人魚が知らない訳がない。
「悪いことは言いません。そのまま帰ることをお勧めします」
人魚は俺を見据えてそう告げる。
「あなたは魔物にしては知性があるほうです。ゆえに、わかるはず。世界にはどう足掻いても敵わない存在がいることを」
「あぁ、わかってる。嫌ってほどな」
サラマンダーと対峙した時、似たようなことを思った。
思考を巡らせても、隙を突いても、渾身の一撃を加えても、倒せない。
逃げることしか許されない。
そんな絶望的な気分を味わった。
「なら――」
「だからこそ、立ち向かうんだ」
それでも諦める訳にはいかない。
「勝算がなくたって。挑み続けていれば勝機が掴めると俺は信じてる」
一歩ずつ足を進め、勝機に手を伸ばし続ける。
いつかは届くはずだと信じながら、必死に足を前に動かす。
その過程にあるのが、いまの俺だ。
スケルトンからコボルトへ。
コボルトからジャックフロストへ。
歩みを止めることなく、進んできた。
だから、今回もそうする。
シーサーペントを倒し、サラマンダーに有利な変異を起こす。
そのためにも、この先に進まなくてはならない。
「……無謀、ですね」
人魚は冷たく、そう吐き捨てた。
「あなたは何もわかっていません。絶対強者に挑むということが、どういうことなのか」
彼女の口振りは、どこか悲しげだった。
悲観し、諦め、それを受け入れている。
そんな心象を俺に抱かせた。
「それはどういう――」
言葉の意味を問おうとして、先に続かなかった。
異様な気配を感じたからだ。
すぐにそちらへと視線を移す。
誘魚珊瑚が点在し、様々な色をした魔物が優雅に泳ぐ水底景色。
その先に、気配の原因を見た。
「ドラ……ゴン」
長い胴を持つ一匹の龍。
いや、違う。
「シーサーペントッ!」
深緑の鱗に覆われた一匹の大蛇。
それがうねりながら、こちらへと近づいてくる。
「そんな……まさか……」
彼女はそれを目にして茫然自失としていた。
その場からすこしも動けず、視線すらも逸らせない。
だから、だろうか。
シーサーペントの巨体は、大口を開けて人魚に迫る。
「喰われるぞっ!」
そう声を掛けても反応がない。
「クソっ」
動かない人魚を見て、すぐに足だけをコボルト・ファーに置き換える。
同時に強く地面を蹴って跳躍し、ジャックフロストの豪腕で水を掻いた。
それで得た推進力は凄まじく。
その牙が彼女に突き立てられる前に、たどり着けた。
「きゃっ――」
彼女を抱え、急いでシーサーペントの軌道上から離脱する。
獲物を捕らえ損ねた牙は何者もを喰らうことなく、かち鳴らされた。
それを確認しつつ、止まることなく水中を突き進む。
やっと出会えたが、この状況でまともな戦闘が出来るとは思えない。
まずは彼女を安全なところへ連れていかないと。
「おい! 気をしっかり持て!」
泳ぎながら、彼女にそう叫ぶ。
けれど、やはり反応が薄い。
「そんな……私が……」
なにか訳がありそうだが、いまはそれも気にしてはいられない。
「あぁ、もう」
彼女になにかを問うのは諦め、背後の様子を窺う。
シーサーペントは、当然ながら俺を追いかけていた。
しかも、その速さは俺を遥かに上回っている。
脚力と豪腕で瞬間的に上回ったが、やはり素のスピードは敵わない。
このままでは追いつかれる。
「こうなったら」
泳ぐのを止め、右手に白銀刀を構築する。
「デカいの一発、喰らわせてやるっ!」
水の抵抗を斬り裂くように、白銀刀は一閃を描く。
放たれるのは、白く染まった冷気の魔刃。
水中を突き進むそれは氷の粒を散らしながら、シーサーペントへと向かう。
そして、意外なことにシーサーペントはそれを避けなかった。
「――ッ!?」
白刃は頭部を浅く引き裂いて凍てついた。
それに対してシーサーペントは、ひどく驚いたような反応をする。
怯み、混乱し、のたうち回り、最後にはどこかへと消えていった。
「なんだ? いまの反応は……」
まるで反撃なんて想定していなかったみたいだ。
生まれてはじめて攻撃されたような、そんな風に見える。
逃げ帰ったのも腑に落ちない。
あれが本当に中位に位置する魔物の反応か?
「――はっ。わ、私は」
「よう、気がついたか?」
小脇に抱えた人魚が、やっと我に返った。
タイミングがいいな。
「ここは? ――シーサーペントはっ!?」
「安心しろ。俺が追い払った」
「追い払ったっ!?」
彼女の瞳に驚愕が浮かぶ。
そして、それはすぐに畏怖に変わる。
「シーサーペントを傷つけたんですかっ!」
「あ、あぁ……」
もの凄い剣幕に、すこし怯む。
「そんな……なんてことを……」
自分が助かったことに安堵するでもなく、むしろ畏怖を覚えている。
助かってしまった。
まるでそんな風に後悔しているみたいだ。
「――そこのスケルトン!」
彼女の反応に困惑していると、不意に声を掛けられる。
そちらに視線を向かわせると、そこにはまたしても人魚がいた。
男女を含めた大勢だ。
逃げ場を塞ぐように俺を完全に包囲している。
「こいつは……厄介なことになりそうだな」
この悪い予感は、きっと現実のものとなる。
理由なく、俺はそれを確信したのだった。




