同胞の出立
溢れ出す宝石の透明な魔力が全身を包み込む。
それは生前を象り、額に赤い宝石を生み出した。
「――カーバンクル・ジュエルを会得しました」
変異は正常になった。
指先に魔力を集めて空中に浮かべ、それを結晶に変換する。
すると、透明の結晶片が出来上がった。
「これがカーバンクルの力か」
しかし、これには色が付いていない。
まるでガラスのようだ。
「これに……」
指先をサラマンダー・シェルに変えて結晶片に触れる。
瞬間、水面に波紋が広がるように色付いていく。
瞬く間に結晶片は赤色に染め上がった。
「なるほど……」
透明の結晶片は入れ物で、そこへ属性の魔力を流せば対応した耐性を得られる。
カーバンクルは俺が繰り出した攻撃から溢れた魔力で耐性を得ていたのか。
あらゆる攻撃に対する高い耐性。
結晶化した宝石を身に纏えば鎧にもなり、魔法や特性に限らず物理攻撃にも耐性がつく。
弱点は複合した魔力による攻撃か。
「……おっと、ここで耽ってる訳にもいかないか」
ふと我に返り、ここが敵地であることを思い出す。
繁殖期でありオスのカーバンクルがメスを巡って争い合う。
その関係上、番いのいないオスは基本的に一体だけで行動している。
とはいえ、この周辺にほかのカーバンクルがいない訳ではない。
彼らに見つかるまえに、この縄張りをあとにしよう。
「――戻ってきたか」
帰路につき、シンシアのもとに帰ってくる。
「その姿……試練を乗り越えたようだな」
変異によって以前の俺とは姿が異なっている。
それを見てシンシアは試練の成功を確信した。
「あぁ、お陰様でな」
周囲に幾つかの結晶片を浮かべて操ってみせる。
シンシアへのお披露目も兼ねて、それらを辺りの茂みに撃ち込んだ。
「グギュゥゥウ……」
茂みから重なって響く断末魔の叫び。
いま影に隠れていた魔物を撃ち抜いた。
「よく気がついたな」
「なんだか、気配や魔力に敏感になったみたいでさ」
結晶が相手の魔力を利用するからか。
カーバンクルは魔力探知に長けていた。
近くにいる魔物なら気配を消していようと、隠れていようと探知できる。
「そうか。そなたはカーバンクルとなり、それを越えたのだな」
ふっとシンシアは微笑む。
「試練を乗り越えたそなたはこれで一人前のエルフとなった
「そう言えば、そういう話だったな」
カーバンクルはエルフが一人前になるために乗り越えるもの。
その討伐と骨格の吸収が目的だったから、すっかりと忘れていた。
「ここから功績を積み重ねれば私のように部隊を率いることもできるが。そなたはそうしないのだろう?」
「まぁな。出来ればまだいたいものだけど、そうも言っていられない」
前へ前へ、進んでいかなくてはならない。
人間として復活するために。
エルフとしての地位も名誉も俺には不要なものだ。
「でも、今日一日くらいはゆっくりしていくよ。精霊に聞きたいことが山ほどあるだろ?」
「いいのか? ゆっくり出来なくなるぞ」
「ははっ、そうだな」
そんな会話を交わしつつ俺たちは帰路につく。
道中で現れる魔物を狩り、魔力の補充を行いながら大樹まで無事にたどり着けた。
そこからは大忙しとなる。
「これが未解決事件のリストで――」
「行方不明者の生死と行方を――」
「政について精霊様に――」
「近年、作物の不作が――」
「旦那が浮気してるの! ほかに妻は持たないって言ってたのに!」
矢継ぎ早に押し寄せてくる問いの濁流に呑まれながら捌いていく。
普段は祭事の際に精霊に問うべき物事を二つ三つほどに絞るのだが。
精霊の声が無制限に聞ける俺には数を絞る必要がない。
よって夥しい量の問いが山のように積み上がっていた。
「――ふぃー、終わったー!」
羽根ペンを放り投げ、背中から倒れ込む。
書いた報告書は数知れず、分厚い紙の束が出来上がっていた。
肉体的な疲労はまるで感じないが、精神的な疲労はかなりのもの。
精霊から聞いたことを書き写すだけの単純作業だが、それでも疲れるものは疲れる。
もうしばらくは文字と紙を見たくないものだ。
「入るぞ。透、報告書のほうは……終わったようだな」
扉が開いてシンシアが入ってくる。
俺の様子を見て、状況を察してくれたようだ。
「あぁ、かなり苦戦したけどな」
だが、お陰で得られたものもあった。
精霊についてである。
精霊はこのダンジョン内のことなら、なんでも知っている。
物事を観測し、真実を司る精霊の名は伊達じゃない。
だが、そんな精霊でも未来が予知できるわけじゃない。
出来るのはあくまで推測であり、それが外れることも十分にありえる。
たとえば、報告書を書く合間に俺の自我の安定性について問うてみた。
精霊の答えは、人間性が消失する可能性は現状ではかなり低いとのことだった。
かなり低いということは、自我を消失する可能性が確実に存在するということ。
それがいつで、どのような要因で、どんな風になるのか?
それは流石の精霊にも正確な推測が出せない。
この世に万能なものなどないという当たり前のことを再認識させられた。
「――おっと、そうだ。こいつが精霊の答えだ」
「承知した」
シンシアに報告書の束を渡し、これにてこのエルフの里での用事はなくなった。
協力してくれたエルフたちに恩返しができたはずだ。
これで憂いなく、先に進める。
「さて、と」
放り投げた羽根ペンを拾い上げて机上に置き、立ち上がる。
「もう行くのか? 人間へと戻る旅に」
「あぁ」
エルフたちにはすでに俺の目的を話してある。
「なら、最後に長老様と会ってほしい」
「そうだな……」
長老に挨拶なしで出て行くわけにもいかないな。
「わかった、行くよ」
「こっちだ」
初めの頃と同じようにシンシアに案内されて部屋を出る。
報告書の束は近くにエルフに渡し、俺たちは長老の間を目指す。
その道中のこと。
「スケルトン殿!」
「精霊様の御言葉を届けてくださりありがとう御座います!」
「またいつでも立ち寄ってくれよ! 歓迎するからさ!」
俺がカーバンクルを倒したことや、精霊の言葉を伝えたこと。
それらによってエルフたちの反応はずいぶんと変わっていた。
すれ違うたびに声を掛けてくれて、その目には奇異がない。
当初とは違って歩くことが苦ではなくなっていた。
「なんだか妙な気分がするな」
浮つくような、そんな感じだ。
「そなたが我々に与えた影響力の賜物だ」
「そうか……」
まぁ、俺がというより精霊がと言ったほうが適切か。
たまたま精霊の声が聞こえただけで俺はそれを伝えただけだ。
改めて精霊の影響力の大きさを認識させられる。
そんなことを考えつつ長老の間へと行き着いた。
「――そうですか。もう旅立たれるのですね」
「はい。色々とお世話になりました」
長老の許しがなければ俺は門前払いどころか投獄されていた。
カーバンクルに挑むことも出来なかっただろう。
新たな力を手に入れられたのは彼女のお陰でもある。
とても感謝している。
「できれば、あなたにはこの地に留まっていてもらいたいものですが、それは我が儘というもの。私はその旅路が幸福なものであるように祈りましょう。あなたに精霊様の加護があらんことを」
「ありがとうございます」
頭を深く下げて感謝の意を示す。
そうして長老の間を後にした俺とシンシアは十数名のエルフを伴って地上へと降りた。
なんでも最後まで俺を護衛してくれるらしい。
「そんな気を遣わなくてもいいのに」
「なにを言う。仲間を無事に送り出すのも我々の仕事だ」
とは言うものの。
俺一人のために何人ものエルフが護衛としてついてくれている。
とても大仰な気がしてならない。
「まぁ、でも、嬉しいよ」
俺のためにここまでしてくれているんだ。
その気持ちは素直に嬉しい。
最初にシンシアたちに捕まった時は、まさかこうなるとは思わなかったな。
まるで真逆なことになっている。
そう思うとなんだか可笑しくて内心ですこし笑ってしまった。
「――ここまでだな」
森を突っ切ることで通路への出入り口までたどり着く。
通路を背に振り返り、シンシアたちへと向き直る。
「みんなありがとう」
「どうということはない」
「元気でな」
「そなたもな……そなたに掛ける言葉ではなさそうだが」
「たしかに」
すでに死んでいるのに元気もなにもないよな。
「またいつでも大樹様を訪れるといい。いつ何時でも我々は歓迎しよう」
「あぁ、また用事があったら立ち寄らせてもらう。それと」
もう一つ。
「俺が人間に戻れたら顔を見せにくるよ」
「あぁ、楽しみにしている」
その会話を最後に俺はシンシアたちに背を向けた。
そうして目の前に広がる仄暗い通路へと足を進めていく。
「透。必ずまた会いにこい」
シンシアの声が通路に反響する。
俺はそれに片手を振って返事をした。
一度として振り返ることもなく。




