飛翔の両翼
ヒポグリフ・フェザー。
生前を模した風の魔力は高い飛翔能力を誇る。
加えて地上でも圧倒的な機動力を有し、移動速度において他の追随を許さない。
「はっはー! 最高!」
両翼で羽ばたいて木々の隙間を縫うように飛行する。
風を切る感覚は心地よく、流れていく景色には心が躍る。
いつか空を飛んでみたいと思っていた。
そんな幼い願いがこんな形で叶うなんて夢にも思わなかった。
「――おっ」
森林を蛇行しながら飛行していると地上に魔物の姿を見つけた。
ルーガルー。
コボルトの近縁種だ。
上空から捕捉するに十体前後の群れ。
いまの俺ならたやすく仕留められる数だ。
「よし」
ヒポグリフ・スケルトンに変異したことにより右腕は復活している。
自由に動かせるし、間接に不具合もない。
その直したばかりの右手で振るうのは浅葱色に染まる刀身だ。
浅葱刀は風を纏い、虚空を斬りつけることで風刃を放つ。
放たれたそれは無数に拡散し、上空からルーガルーの群れを急襲する。
背後から順番にその命を散らしていく。
先頭にいたルーガルーは最期まで仲間の死に気づくことはなかった。
そして自身も風刃によって命を断たれる。
群れは瞬く間に全滅した。
「ずいぶんと狩りがしやすくなったな」
全滅を確認してから地上に降り立ち、両翼を折りたたむ。
地上を歩くときにはマントのように仕舞うことができて邪魔にならない。
これで地上戦も難なくこなせるはずだ。
「さてと、出た出た」
ルーガルーたちの死体から魔力が溢れて一塊になる。
それを手に取って丸呑みにし、自身の糧とした。
「あともうすこしかな」
これまでもこの森林で狩りをしていたがまだ足りない。
ヒポグリフ・スケルトンが有する潜在魔力の上限値にはまだ達していない。
引き続き狩りを続けよう。
「――ん?」
飛翔して新たな獲物を探しにいこうとしたところ。
視界の端でなにかが動いているのが見えた。
再び翼を折りたたみ、そちらへと焦点を合わせる。
「あれは……」
保護色になっていて見えづらいが、近くにオーガがいる。
体色が緑色をしていて奴が動くまで存在に気がつかなかった。
はじめに通路であったオーガはあんな色をしていなかったが。
環境に応じて微かに変異しているのかも知れないな。
「あいつも狩っておくか」
いまはとにかく潜在魔力の上限値に達するために狩りが必要だ。
見かけた魔物はヒポグリフ・フェザーの試運転も兼ねて片っ端から狩る。
ずいぶんと物騒な話だが、どれ一つとして無駄にはしない。
あのオーガにも糧になってもらおう。
「まだ向こうは気づいてないな。なら」
刀を構えて両の足に力を込める。
この足はヒポグリフのものだ。
四つ脚ではないものの、この二本足は屈強なものになっている。
ここから弾き出される脚力はコボルトのそれを大きく凌駕する。
「ふー……よし」
地面を蹴る。
瞬間、空気の壁にぶつかるような感覚を得る。
心が身体に置いて行かれそうになるほどの加速。
それをなんとか堪えて前のめりに駆け抜けた。
オーガまでの距離は瞬く間に埋まり、気がつけばすでに至近距離。
相手に己の存在を意識させる暇すら与えない。
浅葱色の刀身に勢いを乗せて放つ一突き。
研ぎ澄まされた一撃でオーガを貫いて、あとに続く破壊力が肉体を打ち砕く。
酷く鈍い音が鳴り、肉片が飛び散った。
「すごいな……こりゃ」
突き放った浅葱刀が停止したとき、オーガの巨体には大穴が空いていた。
まるで至近距離で大砲をぶち込まれたかのようだ。
ぐらりと揺れて、オーガは崩れ落ちる。
その巨体が力なく地に伏した。
「ひゃっ」
その振動が響いてすぐ、とても可愛らしい声がした。
「ひゃ?」
まさかこのオーガのものではないだろう。
明らかに人の声だった。
「……誰かいるのか?」
周囲に警戒の糸を張り巡らせる。
けれど何も引っかからない。
誰もいないとしか思えなかった。
「あの」
また声がして、すぐにそちらに目を向ける。
けれど、やはりなにもいない。
「驚かないでくださいね」
透明な何かが限りなく薄い輪郭を帯びる。
それが動くと同時に色がついてく。
被っていたフードを取るような仕草から、その人物の色が浮かび上がった。
「……美鈴、か?」
姿を現したのは小柄な魔法剣士である美鈴だった。
「はい。憶えていてくれたのですね。私の名前を」
「あぁ、そりゃあな」
俺が五十年の眠りから覚めてはじめて会った人間だ。
名前を知ったのはその後だったが、よく憶えている。
ほかの四人の名前にはあまり自信がないが。
「そんな魔法が使えたんだな」
透明化。
気配すらしなかった。
「いえ、これは私の魔法ではありません。こういう装備なんです」
「装備……光学迷彩みたいなものか」
あるいはカメレオン。
ずいぶんと高性能みたいだ。
至近距離にまで近づかれていれば気がつけていたか?
微妙なところだな。
「それで、どうしたんだ? こんなところで」
見たところ一人のようだが。
それとも仲間も光学迷彩を?
「……また迷子とか?」
「いえ、違います」
美鈴は首を振り、言葉を続ける。
「あなたに会いにきたのです」
「俺に?」
ふと朽金たちの姿が脳裏に浮かぶ。
俺を始末しに来た?
けれど、その考えはすぐに破り捨てた。
美鈴にそんな様子も素振りもなかったからだ。
微塵も。
「まずは謝らせてください」
「謝る?」
「申し訳ありません!」
美鈴は深々と頭を下げた。
俺のほうは何が何やらさっぱりだった。
「えーっと、どういうことだ?」
「私は救われた恩を仇で返しました。あなたの存在を探求者組合に知らせたのは私です」
美鈴の言葉でこの謝罪の意味を理解した。
だから朽金たちが俺を殺しにきたのだと。
最初は偶然にも出逢ってしまい、交戦になったものだと思っていた。
スケルトンを見つけたから殺しておこう。
そんな経緯だと思っていた。
けれど、そうじゃなかった。
彼ら六人は目的のついでに俺を殺そうとしたんじゃない。
俺を殺すことが目的だった。
「なるほど……」
当時は戦闘に必死だったから気がつかなかったが。
いま思い返してみれば心当たりがある。
連携が取れすぎていたし、対策がされすぎていた。
ことごとく弱点を突かれたし、探求者に戦況の手綱を握られていた気がする。
そうか。
そういうことだったのか。
「その探求者組合って組織がどういうものなのかは知らないけど。つまり魔物を倒すことが仕事ってことだよな?」
「それだけではありませんが、その通りです」
そうか。
なら、しようがないよな。
「わかった。許す」
そう言うと。
「え? えっ、でも、私」
美鈴はひどく取り乱した。
「だってっ、私のせいであなたが危険な目にっ」
「まぁ、そうだけど。それが探求者の仕事なんだろ?」
「それは……そうですけれど」
魔物を倒すことが仕事。
なら俺みたいな得体の知れない魔物を上層部に報告することだって仕事のうちだ。
与えられた役目を全うしたに過ぎない。
美鈴はただ探求者らしくあろうとしただけ。
その行動理由は立派なものだし、当然のことだと理解できる。
思うところがない、と言えば嘘になるが。
俺が美鈴の立場なら同じことをしただろう。
だから俺は美鈴を許す。
怒ったってしようがない話だしな。
「それに美鈴が報告しなくても、どうせ俺の存在はバレてたよ。遅いか早いかの違いだけだ」
このダンジョンに探求者が出入りしている以上。
遅かれ早かれ、俺の存在は探求者組合に露見していた。
これは避けようのないことだと俺は考えている。
いつかそうなるだろう。
あの日、サラマンダーの前から美鈴を救ってから。
外の世界に人間が存在すると確信してから。
ずっと心の片隅でそう思っていた。
その日がついに訪れただけのことだ。
「だから、気に病むなよ。こうして謝ってくれただけでも十分だ」
それだけで十分に救われる。
「……そんな風に言ってもらえるとは、思いもしませんでした」
とても驚いたように美鈴は言う。
「ありがとうございます。心がとても軽くなった気分です。ですが」
そう美鈴は言葉を句切った。
「はいそうですかと、納得して許される訳にはいかないのです。私は」
「はい?」
「これは私の勝手な償いですが、お願いします」
美鈴の双眸が真っ直ぐに俺を射抜く。
「私にあなたのお手伝いをさせてもらえませんか?」
その表情は真剣なものだった。
「手伝い?」
「はい、これは憶測になりますが」
美鈴は告げる。
「あなたはネクロマンシーによって人間に戻ろうとしているのではありませんか?」
俺の目標、目的を、ぴたりと言い当てた。




