銀鎖の帰還
探求者組合支社ビルのエントランスにて。
「お茶はいかがですかー?」
受付嬢さんが、そう言ってお盆を差し出した。
その上には湯気の立つ湯飲みが置かれている。
色合いからみて緑茶かな。
「ありがとうございます」
湯飲みを受け取り、緑茶を口に含む。
うん、やっぱり緑茶だった。
「やっぱりー気になりますかー?」
「はい、どうしても」
「第一発見者、ですからねー」
生前の自我をもつスケルトン。
今日中には彼を討伐しに行った中位の探求者が帰ってくる。
私は居ても立っても居られず、放課後を迎えるとその足でここを目指していた。
学生服のままでこの支社にくるなんて数日前までは思いもしなかったな。
「もう随分と経ちますねー。いつ帰ってくるんでしょう?」
「わかりません……私に出来ることは待つことだけなので」
それしか出来ない。
いまの私には。
「おやー、支社長も焦れてエントランスに出て来たみたいですよー」
「あっ、本当だ」
湯飲みに注いでいた視線を持ち上げると支社長の姿が目に入った。
腕を組んで出入り口を見据え、靴の爪先で軽く何度も床を叩いている。
支社長もかなり彼のことが気になっているみたい。
「無事に帰ってくるといいですねー」
「そう……ですね」
無事に帰ってきてほしい。
それは本心から思う。
けれど、その反面で彼のことを気に掛けている自分がいる。
願わくば生きていてほしいと考えている。
どちらも無事でいてほしい。
そんな子供の我が儘のようなことを思ってしまっていた。
つくづく自身の未熟さを思い知らされる。
「――あ」
不意にエントランスの空気が変わる。
急いで出入り口へと視線を向かわせた。
すると討伐に向かっていた朽金さんたちを見る。
数は六。
全員、生還している。
まずその事実に私はほっと安堵した。
「帰ったか、朽金」
「ただいま帰還しました、支社長」
朽金さんの近くにまで駆け寄る。
その身体に大きな負傷は見受けられない。
ほかの方々も。
圧勝したのだろうか?
心臓の鼓動が一際大きく波打った。
「報告します。我々は対象に接触し交戦、敗北しました」
敗北。
その言葉を聞いて彼の生存を知る。
とてもとても安堵している自分がいた。
朽金さんたちの生還を知った時よりも、それは大きかった。
「そうか……だが、お前のことだ。ただ負けてきた訳じゃないだろう」
「はい。得られた情報は報告書にまとめて提出します」
「あぁ。次も頼んだぞ」
そう言って支社長は朽金さんの肩に手を置いた。
とうの朽金さんはその手を見て表情が変わる。
それはとても複雑なものだったが、それでも一つだけ読み取れた。
自戒。
朽金さんはいま自分で自分を戒めている。
「その話ですが、この一件から我々を外していただきたい」
「なに? ……どういうことだ?」
私もとても驚いた。
どうしてそんなことを言ったのか。
朽金さんの考えがわからなかった。
「探求者としてあるまじきことに我々は魔物に情を持ちました。絶好の機会を自らの手で無為にしスケルトンを仕留め損ないました。それどころか我々は――」
そして私は信じられない言葉を聞く。
「――私はスケルトンに命を救われ、その上で危機に陥った彼を助けました」
彼に命を救われた。
彼の命を救った。
それがあの表情の正体。
自戒の理由。
「……だから、外してほしいと」
「はい。我々はかのスケルトンをもう魔物として見ることが出来ません」
朽金さんは言葉を続ける。
「我々は未熟者でした。先日いただいた高位への昇格のお話も我々には相応しくないでしょう」
懐からきらりと光るなにかを取り出す。
それは六つの銀のネックレス。
中位探求者の証。
「これはお返しします」
朽金さんはそれを支社長に差し出した。
「……これを返してどうするつもりだ?」
「許されるのなら、また一からの出直しを。許されないのであれば探求者を辞職します」
辞職。
その言葉は決して軽いものではない。
いったいどのような経緯があったのだろう。
彼が朽金さんたちを助ける様は容易に想像できる。
けれど、朽金さんが彼を助けるイメージがわかない。
でも、こうなることがわかっていて朽金さんは助けた。
自らが積み上げて来たものをすべて崩す覚悟で。
「……いいだろう」
数秒の沈黙の後に支社長は呟く。
「お前たち六人は現時刻をもって低位探求者に降格とする」
銀のネックレスを受け取った。
「……ありがとうございます」
朽金さんたちは深々と頭を下げた。
それを見て支社長はなにも言わずに背を向けた。
そうしてゆっくりと歩き出す。
「最後に一つ」
顔を上げた朽金さんが告げる。
「彼はこう言っていました。人として暮らすことが望む未来だと」
「……どういう意味だ?」
「それを聞くことは出来ませんでした」
「……そうか」
そうとだけ返事をした支社長はまた歩き出す。
その目は伏せられていたけれど。
すぐに私の姿をとらえて視線が持ち上がる。
「聞いていたのか」
「は、はい」
あまりに衝撃的な話で支社長も周りが見えていなかったみたいだった。
それからすぐに支社長は周囲へと目を向ける。
エントランスはこのとき閑散としていた。
人がいるにはいるが、話が聞こえるような範囲にはいない。
「そうか……まぁいい。いずれ知れることだ」
今度こそ支社長はエントランスから去る。
朽金さんたちは互いに顔を合わせてから、どこかへと行ってしまった。
私はと言えば。
「……人として……暮らす?」
その言葉が心に引っかかっていた。
「残念でしたねー」
「え?」
声がして振り向くと、受付嬢さんがいた。
「話はよく聞こえませんでしたがー。どうやら新種の魔物を討伐できなかったようでー」
「え、えぇ。そうみたいですね」
受付嬢さんは探求者ではないのでなにも知らない。
話も聞こえていなかったようで。
魔物の討伐に失敗したくらいにしか思っていない。
「……」
ふと握り締めていた湯飲みに目を落とす。
緑色の水面に自分の顔が映り込んで揺れている。
私はそれを一息に飲み干して、この複雑な感情を押し流した。
「ありがとうございました。お茶」
「どういたしましてー」
お盆に湯飲みを返し、私も帰路につく。
ダンジョンとは違う舗装された平たい道路。
行き交う自動車に気をつけながら夕闇を歩く。
家までたどり着くころにはすっかり夜になっていた。
「……あれ?」
部屋に明かりが付いている。
私の家に誰かがいる。
ドアノブに手を掛けると玄関扉が開いた。
鍵を掛けていたはずなのに。
「……」
ゆっくりと家の中に入り、リビングへと向かう。
廊下を渡り、扉を開け放った。
「――あぁ、おかえり。美鈴」
「し、師匠……」
リビングにいたのは私の師匠だった。
「戻ってきていたんですか?」
「おうともさ。ついさっきね」
ワイングラスを片手にお酒を呑んでいる。
漆黒の長い黒髪と二十代にしか見えない美貌が、その絵を妖艶なものにしていた。
師匠はたしか三十代後半だったはず。
いつ見てもその美貌は衰えを知らない。
「三ヶ月ぶりの我が家さね。やっぱりここが一番落ち着ける」
「たしか新たに見つかったダンジョンの調査に行っていたんですよね?」
「あぁ、数日したらまた戻るけどね。面白いところだったよ。棲んでいる魔物も、採れる資源も、ほかとはまるで違うんだ。美鈴にも見せてやりたかったほどさ」
「そうでしたか」
師匠は楽しそうに笑う。
流石は探求者が天職だと自負する人だ。
未知の発見はもちろんのこと命の危機でさえも、師匠は楽しめてしまう。
「ところで、私がいない間になにか面白いことはあったかい?」
「面白いことですか」
テーブルを挟んだ師匠の向かい側に腰掛けながら思考を巡らせる。
話題には事欠かないのが探求者だ。
その中でもやはり一番は彼のことだろう。
「実は――」
私は師匠に彼のことを話した。
生前の自我をもつスケルトンのこと。
二度も命を救われたこと。
探求者としての使命を果たし、人として恩を仇で返したこと。
それが本当に正しいことなのかと悩んでいることを。
独白するように師匠に話した。
「なるほど……随分、面白いことになっているじゃないか」
そんな私の様子を余所に、師匠は目を輝かせていた。
「生前の自我をもつスケルトン。骨を奪ってほかの魔物の特性を得る、か。なるほど、そいつは厄介だ。とても厄介。あいつが警戒して刺客を差し向けるのもしようがないねぇ」
「あいつ?」
「ん? あぁ、ここの支社長のことだよ。同期だったんだ」
「……初耳ですけど」
「そりゃ、はじめて言ったからね」
あっはっはと笑いながら、師匠はまたお酒を呑んだ。
師匠の弟子になって何年も経つけれど、この人は本当に喰えない。
「で、結果として刺客は返り討ちか。それもスケルトンは全員を生かして返したと」
「はい」
「ふーん……まぁ、これであいつはやりづらくなったろうね」
「やりづらく?」
「あぁ。物事には優先順位ってものがあるからね」
優先順位。
「件のスケルトンは人を殺さない。あいつは意図せず、その証明をしちまったんだ。もちろん、それで自我消失の懸念が消える訳じゃない。危ない存在なのはたしかだ」
自我消失による暴走。
いくつもの魔物の特性を得た彼の暴走はスタンピードに等しい。
それはダンジョンを越えてこの街を襲うかも知れない。
あくまで可能性の話だけれど絶対にありえないとも言えない。
「だが、いま人に危害を加えていないなら、優先順位はどうしてもほかより下がる」
彼が危険な存在であることはたしかだ。
でも、それは将来的なもので現状だけを見れば無害に等しい。
人を殺さず、人を助けている。
決して自ら人を傷つけようとはしていない。
「探求者組合も暇じゃない。ダンジョンからの資源回収、街の警備、街内外への物資運搬、未開地の開拓、魔物の調査、探求者の育成、民衆への対応、エトセトラ。やることがたくさんだ」
探求者組合は慢性的な人手不足だ。
私たちが学生の身分でダンジョンに入れる理由も、その事情によるところが大きい。
「そりゃ危険な芽は早めに摘んでおくに越したことはないさ。でも、人員に余裕がない現状、将来的な危険より目先のことを優先せざるを得ない。そうしないと探求者組合を支えている民衆が怒るからね」
師匠は不適な笑みを浮かべていた。
「まぁ、藪を突くか、いまは捨て置くか。判断するのはあいつさね。私がどう勘ぐったところで結局はあいつの言葉一つさ」
師匠はお酒を飲み干した。
「私としては討伐されるまえに一目見てみたいものだがね」
師匠は楽しそうにワイングラスにお酒を注ぐ。
その姿を見て、ふと思う。
師匠が第一発見者なら、どうしていただろう? と。
問答無用で討伐しただろうか?
対話を試みただろうか?
情を持ってしまっただろうか?
私のように悩んだだろうか?
いや、きっと師匠は悩んだりしない。
師匠はいつも真っ直ぐに自分の信じた道を突き進むから。
「……師匠、一つ質問があります」
「んー? なんだい?」
「スケルトンが人として暮らせるようになる方法はありますか?」
ずっとそれが引っかかっている。
私にその答えは思いつかなかった。
けれど、師匠なら。
「んー……そうさね……」
師匠は私の質問を馬鹿にすることもなく、真剣に考えてくれた。
数秒ほどの沈黙が過ぎる。
そうして師匠は口を開いた。
「ネクロマンシー」
「――え?」
師匠は告げる。
「死霊魔術ならあるいは」
予想外の言葉を。




