不意の急襲
「ヒポグリフ?」
精霊が告げた名前を繰り返す。
「――ヒポグリフ。鷲の上半身と馬の下半身をもつ魔物です。高い飛行能力を持ち、地上においても類い希なる俊敏性を誇ります」
「鷲と馬か。空と陸で素早く動けるって訳だな」
鷲の頭に翼。
上半身ってことなら前二つの足も鉤爪だろう。
下半身以降は馬。
立派な筋肉と蹄を持っているに違いない。
そこから生まれる瞬発力や機動力は空においても陸においても脅威的だ。
「生息域はどこになる?」
「――現在地から東の位置に植物に覆われた空間があります」
「植物に覆われた……森林ってところか」
いかにも鷲や馬がいそうな場所だ。
今回の標的はその二つの特徴を併せ持った魔物。
精霊もこう言っていることだし、森林へと行ってみよう。
「さーてと、それじゃあいくか」
魔氷で造った自家製のイスから腰を上げる。
それから足の爪先を東へと向けて歩き出した。
「この辺もかなり歩き慣れてきたな」
最初はびくびくしながら進んでいたが、今は大手を振って歩けている。
油断している訳じゃない。
いまの俺でも中位の魔物に通用すると確信を得られたからだ。
以前よりも歩幅が広くて足取りも軽い。
気分も落ち着いたもので視野を広くとることが出来ている。
「――っと、見えて来たか」
通路を進んで行くと目的地の一端を発見する。
岩肌ばかりで見飽きた色合いが、一変して深緑に塗り変わる。
そこは数多の木々が聳え立つ、深い森だった。
「おっ」
森へと足を踏み入れると感触が変わる。
硬い岩肌から柔らかい地面へ。
土を踏みしめるのは久しぶりだ。
水底を歩いたこともあったが、あれは土というより泥だった。
個人的にはこちらのほうが好きな感触をしている。
「これだけの緑がダンジョンの中にあるなんてな。どうしてここだけ……」
「――この空間の天井部分に太陽石の鉱脈を発見しました」
「天井……」
見上げてみると、木々の枝葉が目に入る。
よく目をこらしてみると、その隙間から天井の様子が窺えた。
それはまるで星々のように点在している。
真昼に天体観測をしている気分だ。
「すごいな、どういう理屈だ?」
「――太陽石は表面に触れた大気中の魔力を強烈な光に変換します。ダンジョン生成時に露出した鉱脈が光を放ち、この空間を植物の楽園に造りかえました」
「まったく異世界ってのは地球の常識じゃ計れないな」
石ころが魔力を光に変えてしまう。
それでこの真夏日のような日差しだ。
一日中、三百六十五日、夜がこない。
日光浴でもしようものなら、たちまち熱中症になってしまうだろう。
「その太陽石があれば照明器具に頼らなくても夜をしのげる訳だ」
「――大気中の魔力濃度の関係により、ダンジョン外では十分な光量を確保できません」
「そうなのか? そう都合良くはいかないか」
ここだけでしか十分に光を得られない。
ならまだまだ照明器具は現役だな。
「そういや、この格好……」
サラマンダー・シェルのまま来てしまった。
火の取り扱いには注意を払わないと。
まぁ、仮に炎上しても水の魔力でどうにかしよう。
「さーて、ヒポグリフはどこだ?」
右手をジャックフロストのそれに変換して白銀刀を握る。
氷の刀身を振るえば周囲の邪魔な植物が凍り付く。
そこを歩けば簡単に折れて道を切り拓くことができた。
次々に植物が折れていくのはすこし楽しい。
「いろんなのがいるな」
流石は森林とだけあって生物の数が多い。
猿、リス、鳥、虫、蛇。
すこし歩き回るだけでも、これだけの生物の種類が見えて取れた。
どれも見たことのない色合いをしている。
探せばもっと多くの種類が見つかるはずだ。
あれらも全部、魔物なんだろうか?
落ち葉を敷き詰めた地面からは、毒々しい見た目のキノコが数種類ほど生えている。
植物の種類は数えるのも億劫になるほどだ。
「しかし……」
森の侵入者に生物たちが警戒しているのか。
なんとなくだが誰かに見られているような気がする。
後をつけられているような、監視されているような、嫌な感じだ。
ふと立ち止まって背後を振り向いてみる。
「……なにもないか」
けれど、目に入るのは群生する植物ばかり。
人や動物、魔物の姿は影も形もない。
「気のせいか……いや」
数多の魔物と混淆した俺の直感や感覚は、人のそれを大きく上回っている。
気のせいで済ますのは早計かも知れない。
「……この近くに誰かいるのか?」
そうすこし大きめの声で言う。
周囲にも聞こえるように。
「――周囲に探求者六名を発見しました。包囲されています」
「六っ!?」
そう驚いた直後のこと。
風を切る音がして、即座にそちらへと手が伸びる。
掴み取るのは水の魔力で造られた一矢。
サラマンダーの熱気によって、それは蒸発して掻き消える。
「奇襲に失敗。作戦を次に移行する」
現状の把握に思考を割いている暇はない。
矢による奇襲を機に周囲の茂みから探求者が飛びだしてくる。
数は二人。
携えたロングソードは水を纏っていて飛沫を上げている。
振るわれるそれに俺は白銀刀を合わせた。
甲高い音を鳴らして、その二つは混じり合う。
「探求者……俺を殺しにでも来たのか?」
「まぁ、そういうことだ」
白銀刀に魔力を込め、水を纏うロングソードを凍てつかせる。
「おおっと」
氷の浸食が柄にまで及ぶまえに、彼は得物を手放して退避した。
支えを失ったそれが地面に落ちる。
それと時を同じくして、二人目の探求者が俺に斬り掛かった。
彼の得物もまた飛沫を上げている。
「こんなものっ」
薙ぎ払われるそれをサラマンダーの左腕で掴む。
瞬間、サラマンダー・シェルに傷がつく。
弱点である水を纏っているからだ。
だが、かつての群青刀がそうであったように傷付いても軽傷だ。
得物の動きを止めて即座に蹴りを放ち、二人目を蹴り飛ばす。
しかし、そこへ畳み掛けるようにまた矢が射られた。
「鬱陶しいっ」
水の矢を白銀刀で打ち落とす。
だが、そうしている間にも一人目が予備の剣を携えて地面を蹴る。
連携が取れすぎている。
矢継ぎ早に攻め立てられて対応で精一杯だ。
加えて向こうは俺を殺す気だが、俺は人殺しになるつもりがない。
この意思の差は決定的だ。
「付き合ってられないな」
探求者と――人間と、戦っていいことなんて何もない。
得るものもなく、失うばかりだ。
真面目に相手をしていたら馬鹿を見るのはこちらのほうになる。
「逃げるが勝ちってな」
両の足をコボルトのそれに変えて地面を蹴った。
人間の瞬発力をはるかに超えた脚力で戦線からの離脱をはかる。
一人目の探求者を振り切って俺は森を駆け抜けた。
「逃がすかよ。牙城!」
「承知」
姿を見せない四人目が返事をする。
なにを仕掛けてこようと逃げ切ればこちらの勝ちだ。
「――包囲、構築、展開、始動」
逃げ道の先から光の壁が迫り上がる。
「四方結界、固定完了」
それは障害となる周囲の木々を切断し、一つの空間を形作る。
周囲から隔離された探求者たちの領域に閉じ込められた。
「くっ」
これは予想外。
得体の知れないものに触れるのは危険だ。
俺は停止を強要され、しようなく足を止める。
一番威力の高い紅蓮刀で破れるか?
だが、もし破れずに反射されたら。
あらゆる可能性に行動を縛られる。
「スケルトン」
振り返れば探求者がいた。
「魔に堕ちながらも人であろうとする者よ。その気高き魂までもが魔に堕ちるその前に――」
予備の剣が飛沫を上げる。
「せめて人のまま逝かせてやろう」
逃げ場はもうない。
「――はっ、大きなお世話だ」
もう選択肢はない。
戦うほかにない。
殺さずに無力化し、この結界とやらを解かせる。
随分と無理難題を自分に課すものだ。
けれど、それが出来なきゃ残りの結末は悲惨なものになってしまう。
二度目の死か、初めての殺人か。
どっちになるのも俺は御免なんだ。
無理難題でもこなしてみせる。




