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神谷リサは見逃さない  作者: 稲葉孝太郎 シナリオ / 大和麻也 著
今成少年の醜聞 A Scandal of Sadamu Imanari
23/41

第四幕 焦がれる夏日

「もう三十分。いい加減生徒指導部に突きださないと」

 高圧的な沖野部長に、神谷がゆっくり、こちらも威圧するように歩み寄った。

「こちらも撥ね返す準備はできているわ。……まあ、その前に。池宮さんを退出させてあげて。内密に終わらせたほうが今後のためでしょ?」

「あら、含みのある言い方。別に構わないわよ、杏は出て行っても」

 了承をもらうと、池宮はそそくさと更衣室を出て行った。その足音が聞こえなくなったころ、神谷は不敵な笑みを浮かべ話しはじめた。


「さて、お話を付けましょうか――――水着泥棒さん」


 …………。

 神谷が立てた仮定は沖野部長が犯人? おれを捕まえた本人だから、自然とおれはその可能性を否定していたが、確かに犯人でないと言い切る根拠はない。突飛な発想でも、おれは信じてその推理を聞こうではないか。

 沖野部長は当然、お気に召さないようで、

「あら、妙なことを言うのね。あんまりじゃない? どこに根拠があるのかしら?」

「そんなの、前提からおかしなところがあったじゃない」

 何が最初から変だったのか、おれも沖野部長も理解できなかった。そんな顔を神谷はそれぞれ一瞥すると、勝ち誇った顔で話を再開する。

「水着がなくなった時間よ――――水着が最後に確認されたのは、池宮さんが荷物を置いたとき。そして、五分間のミーティングから戻ったらもうそこに水着はなかった。つまり、ミーティングの最中に盗まれたということ」

「どこがおかしいって言うの? 人のいない絶好のタイミング、部外者はそのとき狙うしかないでしょう? 第一、あたしはもちろん部員全員たちがミーティングをしているのだから、更衣室に入ることなんて不可能よ!」

 もっともな沖野部長の反論にも、神谷は揺るがない。

「時間が短すぎるのよ……いえ、時間が読めないのよ、部長じゃないと」

「そうか!」おれもようやく気がついた。「盗むにしたって、ミーティングの時間が解る人物は部長以外に誰もいない! 犯人が部長でないなら、もっと別の時間を狙うはずなんだ……」

 おれがそう叫ぶと、沖野部長は口をつぐんだ。神谷もしたり顔で、

「そのとおり。ミーティングの時間を予想できる人物は部外者にいない。当然、部長以外の部員もわからない……だから、盗んだのはミーティングの直前よ。そして、ミーティングの時間を考慮せずに盗みをできるのは沖野部長ただひとり――最初から人定は簡単だったから、ずっと動機を推理することに徹していたのよ」

 人定は簡単だった――神谷は簡単に言って見せた。

 それでも、沖野部長も負けてはいない。威嚇だけではなく、質問も鋭かった。

「なら、その動機はどうなのよ? あたしに盗む理由がないのなら、あたしがミーティングを五分で終わらせては不利。事件の発覚が早くなるし、犯人の可能性が狭まるのだから」

 もっともだった。沖野部長が盗むとしたら、ミーティングは長引いたほうがいい。神谷が犯人を女子水泳部員としたのは、更衣室が無人となった時間があまりに短いからであったから、的確な矛盾の指摘だ。

 だが、神谷は動機を軸に推理している。当然、筋を通していた。

「動機は、今成を変質者に仕立てるためよ」

「おれを変質者にだって?」おれは思わず口を挟んでしまった。「神谷、お前は犯人を動機から推測したんだろう? おれがターゲットだなんて、そんな偶発的な――」

「それが、偶発的なことだったのよ。たまたま今成が来たことによる、突発的な犯行」

「そんな、ならおれが変質者にされたのも――」

「それは違うわ」

 ……?

 つまり、おれが狙われていたのはもともとで、きょうおれが被害を受けたのが偶然、ということだったのだろうか? でも、そうとも思えない。なぜなら、

「どうしておれが? 沖野部長と面識はなかったし、恨まれるようなこともな――――」

「黙れ! 全部あんたのせいなんだよ!」

 ……!

 あまりに急な叫びに、身が竦む。皮膚がびりびりと痺れるような感覚に囚われた。こんなにもストレートに『恐怖』を感じたのは久しぶりだ。おれは身動きもとれず、ただ怒りに震える沖野部長を眺めることしかできなかった。

 でも、解らない。沖野部長を怒らせる理由が解らないのだ。こうして、理不尽に怒りをぶつけられること自体、おれの恐れを助長していた。

「いいかしら」と神谷が切り出した。「今成、ひとつ訊くよ。さっき今成が話していた二年生の先輩、部活は水泳部じゃない?」

「え?」あまりに関係のない質問に、拍子抜けしてしまう。「確かに、河嶋先輩は男子水泳部だが……」

 そのとき、沖野部長がぴくりと反応するところを、目の端で捉えた。

 一方で、予想を当てた神谷はにっと口角を上げた。

「やっぱりね。ずっと気になっていたのよ、今成が水泳部のことをいちいち『女子水泳部』と言っていたことが。……しかも、男子水泳部は女子水泳部にプールを貸して急遽休み、河嶋さんも部活が休み。ぴったり符合していたのよ」

 なるほど、河嶋先輩と、おれの事件の符号か。

 でも、それが一体どう関係しているのだろう? 部活の点において符号があって、神谷がその情報を求めているということならば、もっと共通する点があるはずだ。女子水泳部、男子水泳部、河嶋先輩、沖野部長――――まさか。

「あのときの、恋愛相談――」

「遅い……」

 沖野部長が呟いた。遠いうえにわずかではあるが、おれと沖野部長には確かに接点があったのだ。

 神谷が首を傾げ、その視線で説明を促してくる。おれはゆっくりと思い出しながら話した。

「おれは河嶋先輩から、『年上の女性から告白されたらどうするか?』と訊かれた。だからおれは、『好きかどうかが大切だ』と答えた……そしたら河嶋先輩はこう言った、『下手に振るとまずい相手なんだ』って。もちろん、『好きかどうかだ』と伝えた。そして、相手ばかり気にした悩み方をする河嶋先輩に言ったんだ――」

「『真剣に付き合う気もないなら、断ればいい』でしょう?」

 沖野部長がおれの言葉をそのまま口にした。河嶋先輩が部長にそう伝えていたのだろう。

 神谷が再び口を開く。

「これですべてが繫がった……沖野部長は、河嶋さんに交際を申し込んだ。しかし、河嶋さんは今成に相談し、断ることに決めた。それを知った沖野部長は、たまたま更衣室にやってきた今成を貶めるため、ミーティング直前に池宮さんの水着を盗んだ。あとは、戻ってきて今成を詰問、生徒指導部にでも突きだすだけだわ」

 …………。

 沖野部長は一度顔を伏せた。しかし、まもなく鬼の形相で顔を上げた。

「あんたが、ただあんたが、余計なことさえ言わなければ、全部、全部――一番いい形で終わったんだよ……」

「そんな、無茶な理屈だ!」

「黙れ! 理屈が通ればそれがすべてなのかよ? それがあんたたちの語る『推理』なのかよ? あたしの気持ちはどうなるんだよ!」

 反論ができなかった。いや、する余裕はなかった。おれも、神谷も。

 理屈が通じる相手ではない。河嶋先輩が言っていた『下手に振るとまずい』の一因は、ここにあったのかもしれない。

 ――理屈や常識は、感情よりも弱いのか? おれや神谷、そして叔父の通してきた推理の美学は、恐怖や威嚇に潰されてしまうものなのか?

 言い返したかった。しかし、いま声に出ようという反論も、宙に消えて行ってしまう。

 そんなおれと神谷に対し、さらに畳み掛けようと、沖野部長が大声を出そうとするそのときだった。


「入りますよ? 随分賑やかなので、大丈夫ですよね?」


 入ってきたのは、河嶋先輩だった。その後ろには、池宮も見える。機転を利かせて呼んできてくれたのかもしれない。

大地(だいち)くん……」

 沖野部長が漏らしたのは、河嶋先輩の下の名前だった。

 しかし、河嶋先輩が向ける視線は冷たい。

「こんなところで一年生捕まえて、大声出して……真凛部長もヒマなようですね。あなたは三年生、受験なり就職なりが控えているんでしょう? 部活もこの大会で引退するのに、要らない禍根を残さないでくださいよ」

「そんな、あたしは本気だったのに――」

「本気? これだけ困らせて?」河嶋先輩は沖野部長から視線を移し、おれに話しかけた。「今成、お前のアドバイスには助かった。俺がお前の存在を話したからこうなったんだな、悪かった。でも、おかげでお前の言葉を俺の中で整理できたよ」

 河嶋先輩は沖野部長のほうに向きなおった。

「恋愛なんて、両方が正直じゃなきゃできないんですよ。俺はその点、『真剣に付き合う気もない』なんて捻くれたことを考えていました。だから、訂正します。『付き合いたくありません、ごめんなさい』」

 沖野部長が顔を伏せた。今度はなかなか顔が上がらない。

 何も言わない、まったく動かない。しかし、涙を流していることだけは確かだった。

 最後の最後、沖野部長は素直になれたのかもしれない。その沖野部長よりも一歩だけ早く正直になれた河嶋先輩はゆっくりと、そして丁寧に、言葉を紡ごうとした。

「本当に、俺のことが好きなら――――」

 ……これ以上は、場の空気が語らせなかった。



「女って怖いんだな」

 ようやくふたりで歩く帰り道、神谷に話しかけた。

 あのあと、無事水着を取り返した池宮は部活に戻り、沖野部長は部活を休んで河嶋先輩と冷静に話し合うことになった。上手く収まるかはまだしばらく心配だが、夏休みのうちには鎮まってくれるだろう。

 女は怖い、おれの感想に神谷が応じる。

「どこが怖いの?」

「いや、腹の中で何を考えているのかさっぱり解らなくてさ。恨んでいたり怒っていたりしたかと思えば、急に素直になることもある。理屈で筋を通せないところがあると思うんだ」

「そうかしら? 理性的であることは良いことだと思うし、わたしは常に正直だよ」

「むしろ、お前が一番解らないよ……」

 おれの返答に、神谷が少々むくれた。自分が『理論的に説明できない存在』と同一視されることを嫌っているのかもしれない。

 だが、おれが怖いと思う要因となったのは、その『理屈で説明できない』沖野部長だけではない。池宮の行動もそうだ。池宮は、揉めはじめる前に更衣室を出て行ったのに、渦中の河嶋先輩を連れてきた。河嶋先輩がどこにいたかは知らないが、『帰る』と言っていたはず――それなのに、池宮は揉めることを予想したかのように、河嶋先輩と戻った。

 神谷はそれに気がついているだろうか? 実は気がついていて、話さないだけなのかもしれない。神谷も女、おれの思案では真意に辿り着けない。

 まだおれの話が気に入らないらしく、神谷が嚙みついてくる。

「じゃあ、わたしが今成を助けた理由も解らないの?」

 ……!

 これだから神谷は解らない。本当に正直に接していると、恥ずかしくて仕方がない。

「校訓の『協調』か?」

「……まったく、そんなはずないでしょ? 常識からして」

 神谷から常識を指摘されてしまった。自分の顔が熱くなるのがよくわかった。

 そして、神谷は結論を述べる。


「沖野部長があんまり決めつけて話すから、腹が立ったのよ」

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