第三幕 思案する夏日
ショックのあまり記憶が曖昧になり、気がついたときには男子更衣室だった。そこにはおれと一緒に神谷がいて、盗難の被害者となった池宮もいた。
「あれ? ええと……」
「ああ、今成。おかえり。しばらく呆けていたわね」神谷が淡々と話す。「三十分時間をくれたわ。三十分のあいだに潔白を証明してみせろって。さもなくば顧問と生徒指導部に告発だってさ。……まったく、三十分もらうだけでも苦労したんだから、感謝なさい。
代わりに、池宮さんしか話を聞くのを許してはくれなかったのは悔しいわね。……まあ充分ね」
「どうせ私は練習できないから」池宮が苦笑いで付け足した。
…………。
三十分――――不幸中の幸いとでも言うべきか。
しかし、苦労して得た猶予が三十分か。しかもヒントになり得るのは池宮の証言だけだから、これはなかなかに厳しい。「充分」とは言うが、神谷の回転でも間に合うかどうか。
すがる気持ちで神谷に視線を向けると、神谷は意見を提示してくれる。
「まず、動機を考えようか」
「え?」いまひとつ理解しがたい。「動機よりも、犯人が先じゃないのか? 第一、神谷はそのほうが得意だろう?」
「あのね、今成。焦っているからって足を引っ張らないでちょうだい」神谷は呆れたように息を吐いた。「前提を疑いなさい。盗んだのは水泳部員、女と見るべきよ」
「どうして? 証拠不足だ」
「確かに証拠不足だけれど、犯人が今成じゃないとすれば、わたしか水泳部員が犯人でしょう? 部外者が入り込む隙はなかったんだもの。……まあ、神谷リサ犯人説は論外だから、水泳部の内部犯と考えればいい。
さっき沖野とかいう部長が『他に男を見ていない』なんて余計なことを言ったから、男が犯人だと思い込んだんでしょうね」
おれを激しく糾弾していた三年生はやはり部長で、沖野という名前なのか。それにしても、おれが犯人を見誤っていたのは事実、焦っているようだ。それを見抜いて理由まで並べた神谷は、きょうも冴えているのだろう。
さて、と神谷が話を戻す。
「言ったとおり、最初に動機よ。女子部員が女子部員の水着を盗むなんて、それこそ今成がいうところの『常識からして』考えられないわ。だから、動機で絞り込むの」
そう言って、神谷は鞄からチョコレートを取り出す。十円で売られている小さなそれを、おれや池宮にも勧めたが、遠慮されると気にせず自分が食べた。潔白の証明には三十分しかない、菓子を食べる余裕があればいいのだが。
神谷がさほど真剣でないと見て、おれが話を進める。
「動機が重要なのは理解した。なら、一番に思い浮かぶのは怨恨、恨みつらみの嫌がらせだな……池宮、思い当るところはないのか?」
「へ? え、ええと……」池宮は困惑して考え込む。「水泳も最終的には個人競技だから、いじめなんてないよ?」
「じゃあ、もっと個人的なところに心当たりは?」
池宮は顔を歪めて意見を渋る。「時間がないから」とおれが乞うと、何とかして聞きだすことができた。
「その、同じ種目で汐音先輩と競争してたんだ、出場人数にも限りがあったからね。結果的に私がレギュラーになったから……疑いたくはないけれど、心当たりがあるとしたらそのくらい、かな?」
「どんな人だ?」
「浜中汐音って二年生。去年、一年生からすごく活躍したらしくて、今年の不調に納得がいかないみたい。……見た目は、そうだね、切れ長の目をした、長い髪の綺麗な人」
「わかった。じゃあ、その浜中という二年生が盗んだんだな」
…………。
反応が芳しくない。特に、神谷だ。
「呆れたね、今成。退学も近いからって、焦りすぎ。却下ね」
「な、退学――!」
「とりあえず、浜中さんが犯人じゃないことは納得してもらうよ。
第一に、浜中さんにとって嫌がらせは無意味よ。目先のレギュラー争いはもう終わってしまったのだから、嫌がらせをするのは手遅れ。少なくともわたしくらい賢い人間だったら、全力で練習して次の競争に勝ちに行く。
第二に、浜中さんが犯人なら、今成が貶められることはないはず。当然、今成がここへ来ることを知らないのだから。男子禁制が敷かれているのだから、男子は本来ゼロ。そんなときに更衣室でものがなくなったのなら、競争相手だった浜中さん自身が真っ先に疑われてしまうでしょう? そんなリスクを冒してまでする嫌がらせとも思えないわ」
「い、いや――おれとすれ違ったとき、衝動的に思いついた可能性も」
「ああ、それなら、あり得ないわ。すれ違った水泳部員たちの中に、池宮さんが説明したような二年生はいなかったから」
池宮のほうを向くと、こくりと頷いた。
「確かに、汐音先輩はミーティングに教室から直接来たよ。荷物を持っていたもの」
「ほらね? わたしは見逃さないよ」
…………。
圧巻だ。池宮も驚いたのか、ぽかんと口を開けて神谷を見つめている。
しかし、神谷のこの証言により、ライバル浜中汐音犯人説も却下だ。部内でのもめごとという一番納得のいく理由による犯行が成り立たないのでは、推理も行き詰ってしまう。
同性の水着を盗む事情。
同性の水着を盗む理由。
同性の水着を盗む利益―――――!
思いついてしまった。自分でもこんなことを思いつくとは思わなかった。確かに、それが犯人の目的なら、高校生にしてはかなり汚れているけれど、場合によっては充分な動機だ。
ただ、それを話してもいいのだろうか? 男であるおれが女子ふたりに対して提起するのはいかがなものか。神谷はともかく、池宮の心証は失ってしまうかもしれない。それでも、神谷には思いつかない内容には違いない。――さて、どうしたものか?
……ううむ。
「どうしたの、今成?」困ったことに、神谷に勘付かれた。「また変なことを思いついたんじゃないでしょうね?」
「いや、その――」仕方がないから、おれも少し覚悟を決める。「本当に言いづらい、変な意見なんだが、いいか?」
ふたりが頷いたので、続けた。
「犯人、水着を売るつもりだったんじゃないか?」
…………。
場が凍りついた。おれの意見に、ふたりとも返事をしてくれない。池宮は顔を青ざめ目を逸らし、一方で神谷はさも不思議そうに首を傾げていた。
「お古の水着なんか、誰が買うのよ」
……! これだよ、これ。神谷が理解できなかったとき、説明するのが憚られるのだ。
「どうして買いたがるの? 面白い趣味の持ち主のようね」
疑問を見逃せない神谷は、身を乗り出して訊いてくる。ああ、『面白い趣味』まで来ているのに、あと一歩理解できていない。
「その、とにもかくにも、そういう嗜好の奴らもいるんだ! だから、そういうものを高く買う店もある! ……そ、そうだよな、池宮?」
池宮は顔を赤くしながらも頷いてくれた。自分のものが買われたとなれば恥ずかしいだろうし、神谷に説明するのも恥ずかしいだろう。恥ずかしい思いをさせてしまった、赦しておくれ。
「まあ、いいわ。そういうことにしておく」神谷は不承不承了解した。「高く売れるんだったら、わたしも売ろうかしら? 今成、店を教えてちょうだい」
「し、知らないよ! というか、知ってても絶対に教えない!」
まったく。神谷の非常識、そして鈍感さときたら、もはや心臓に悪影響を及ぼす。
まあ、神谷も理解はしてくれた。再開しよう。
「売るために盗んだとしたら、まだどこかに隠し持っているはずだ。いっそのこと一斉に、女子水泳部員の持ち物を調べてみたらどうだろう?」
「いや、でも……」池宮が口を挟む。「ちゃんとした根拠もなしに持ち物検査はちょっと無理だよ……正直なところ、私の信用もあるし」
「…………」
根拠、信用。流石に越えられない壁だった。
しかし、神谷は最初からその壁に向かっていくつもりもなかったらしく、
「どうせ今成の意見は却下だから、別にいいわよ。お金が欲しくて水着を売るんだったら、わざわざ人のを盗むこともない。どうせお古なんだから、自分のものを売ったほうが足跡もつかなくて安全だもの」
「でも、自分のものを売れば、新しく買わないと――」
「あ、それなら」池宮が手を挙げて制した。「それなら、先月部で水着を新調したんだ。より性能のいい、流行のモデルにね……だから、お古の水着なら部員全員が持っているはずだよ」
おれが言葉に詰まると、腕を組んで目を閉じた神谷が言う。
「ほらね、盗む必要もないでしょ?」
盗んで売る――何も失わずに金を手に入れる手段だと思っていたのに。
また推理がまっさらになってしまったが、神谷は質問によって推理の構築を続ける。目を閉じながら器用にチョコレートをひとつ口に運び、池宮に訊いた。
「ねえ、ミーティングの最中に抜け出した部員はいなかった?」
「え? それは流石にいないよ。そもそも、ミーティングは真凛部長が『大会頑張ろう』って気合い入れたくらいだから、抜け出すほど長々と話し合ってないんだ。五分くらいだったかな?」
「そんなことだろうと思った」
…………。
――そんなこと?
「おい、神谷! 何もかも解っているような口ぶりだな?」
おれが叫ぶと、神谷はもう目を開き、腕を解いた。今回、神谷が考える仕草を見せていたのは、ほんのちょっとの時間だったのだ。
「まだ解らないかな?」
池宮と顔を合わせる。汗が滲んだ。
「まさか、犯人がもう解っているのか?」
「もちろん――ほとんど最初からね。池宮さんの話でちゃんと確認は取れたわ」
「お前、今度も始めから無茶苦茶な仮定を立てていたんだな!」
「まあまあ、もう今成に災難はないから」
そう言われると神谷をもう責めることができない。池宮も困惑した表情で、
「ねえ、やっぱり部員の中に犯人がいるのかな?」
「そうね」神谷は気遣うふうもなく即答する。「水泳部員よ」
「じゃあ、内密に話を終わらせてほしいな……波風立てたくないから、あんまり犯人を知りたくない。真凛部長に説明するとき、私は席を外してもいいかな?」
「もちろん、構わないよ。本人が聞きたくないのなら、別に聞かなくても。
……さて。そろそろ、勝負の時のようね。わたしは、見逃さな――」
そのとき、ノックもそこそこにがらりと乱暴に扉が開けられた。女子水泳部長、沖野真凛である。
「さあ、タイムリミットよ」
次回解決編。みなさんの推理、まだまだお待ちしています




