第二幕 消された会議
「よし、助かったよ。今成くんに、神谷さん」
御堂会長は、立ち上がって伸びをしながらそう言った。会議室に鍵をかけ、生徒会室の棚に鍵を戻すと、
「そうだ、食堂に行かないか? この時間ならまだ注文ができる、プリンでも奢ろうか?」
「おお!」
神谷と倉林先輩から声が漏れる。まあ、女子は甘いものに目がないものか。それを見て男子一同は苦笑し、御堂会長が続ける。
「役員は自費な」役員の残念そうな声を受け流し、さらに会長は続ける。「だが、ちょうど職員室に用事があって、すぐには行けないんだ。十五分もすれば充分なんだが」
「それなら、わたしもクラスに忘れ物があって」倉林先輩だ。
「おれも、まだやるべきことが残っているので」とは鹿島。
「私もちょっぴり、用事があるんだ」生田先輩。
「じゃあ」おれが提案する。「靴を履きかえて、校舎の前で集合しませんか?」
二年校舎一階の食堂には、外から入ることもできる。体育大会など、校舎が施錠されるイベントがあると役立つのだ。イベントならスリッパが出されるものの、平日には履けない。それでも、短時間なら別に構わないだろう。
おれの考えはちゃんと伝わったらしく、御堂会長が、ぱん、と手を叩く。
「よし。なら十五分後、一年校舎の前で集合だ」
十五分後、役員が揃いはじめる。
「ごめん、……ちょっと遅くなった」
最後に生田先輩が弱気な声で謝りながらやって来て、全員集合だ。
御堂会長と鹿島が楽しげに話しながら前を行く。おれの隣では神谷と倉林先輩が何かを話している。そして、少し異質だったのが生田先輩で、きょろきょろと見回しがらとことこ後ろを歩いていた。何か越えられない遠慮があるかのようだ。
忙しい仕事を共に乗り越える、和気あいあいとした生徒会を思い浮かべていたから、生田先輩の様子は意外だ。たまたまにも見えないから、倉林先輩にこっそり聞いてみる。
「あの、生田先輩っていつもあんな具合なんですか? 遠慮しているというか、弱気というか。生徒会役員はすでに一年やっているのに」
「うん?」倉林先輩は神谷と話す笑顔のまま、おれの疑問に答える。「そうだね、華ちゃんは普段から引っ込み思案なところはあるよ。いつもは元気だけど、今成くんたちがいるからじゃない?」
ふうん、そんなものか。
でも、挙動不審な様子はどうしても気にかかる。本人に訊いてみた。
「あの、何か気になることでも?」
「へ?」弱気な女子役員は、びくりと驚いておれに応じた。「いや、その……会議室に誰かいたような気がして」
「何だって?」聞き逃さなかったのは御堂会長だ。「そんなまさか、施錠したはずだ」
そう焦って会議室を覗きに走った。おれたちも追いかけ、窓から中を覗いた。
会議室は、別段何も変わっていない。少し散らかっているのも同じだし、ホワイトボードに七月の予定が書かれているのもさっきと一緒だ。御堂会長や鹿島、倉林先輩も異変には気がついていないみたいだった。
「あはは、勘違いだね。……ごめん」
生田先輩は頭を搔きながら平謝りした。
「ううん、満足」
神谷は校舎を出ると、大きく伸びをした。
「まさか学食のプリンにチョコレート味があるとは思わなかった……」
「何か言った?」
「いいや、なんでもない」
役員たちが校門まで来て、おれと神谷を見送ってくれた。
チョコレートならまだしも、プリンに惹かれるとは思ってもいなかったのだ。プリンに釣られたのはチョコレートプリンが目当てだったに違いない。普通の甘いもの好きならいいのに、チョコレートがひたすら好きな神谷は、ただの偏食である。
「それじゃあ、きょうは助かった――」
そう御堂会長が手を上げたときだった。
「あれ?」
生田先輩が校舎のほうを見て声を漏らす。
「どうした?」
御堂会長が問う。
「ホワイトボード……?」
おれたちが振り返ると、生田先輩の視線の先には会議室がある。その中のホワイトボードに目を凝らすと、
「ああ! 七月の予定が消された!」
おれと神谷、そして役員たちは慌てて校舎に戻ったが、会議室は施錠してある。御堂会長が生徒会室の鍵を開け、棚から会議室の鍵を取り出す、という段階を踏んで会議室を開けた。
ホワイトボードを覗き込むと、生田先輩が見た通り、真っ白だ。何もかもきれいさっぱり消されている。
「くそ、イタズラか」御堂会長が悔しそうに言う。「念のため、盗まれたものがないか調べよう。生徒会室のほうもだ」
一同が頷き、がさがさと会議室の棚を漁りはじめた。生徒会や会議室について知らないおれはどうしようかと考えていると、神谷は早くも腕を組み、目を閉じていた。
なるほど、神谷が考えはじめたのならおれも負けられない。神谷のようにいきなり仮定を立てることはできないから、部屋に明らかな異常がないか地道に探ってみよう。
「お、これ懐かしい」突然声を出したのは倉林先輩だ。「ねえねえ、御堂。入間会長が書いて行った色紙だよ」
「うん? ああ、役員引き継ぎのあとに書いて置いていったやつか。『たまには手を抜け』って……まあ、鉄人みたいな男だからな、入間先輩は」
倉林先輩の手元を覗き込む。色紙には筆ペンででかでかと、その手抜き推奨する謎の格言が書かれ、『いるま』とひらがなで添えてあった。
「これね、五月に引退した前の会長が書いたの」倉林先輩が教えてくれる。「よく働く人でさ、去年の文化祭であんまり張り切って楽しくしようとしたものだから、『ふざけすぎ』って生徒指導部にこっぴどく怒られたんだ。そのときの教訓を書いたの」
アホみたいな話である。こんな言葉の裏にもストーリーがあるのだから滑稽だ。
その色紙を戻すと、ふたりは捜索に戻る。おれもあらゆるところを見回し、床にカラーテープが四つ転がっているのを見つける。
「こんなものありましたっけ?」
カラーテープのような文房具の類は、会議室よりも生徒会室に置いてあった気がする。
「……片付けもいまひとつだし」
生田先輩が弁明のようにぼそぼそとそう言った。
しばらく黙って異変を見つけようとしていたが、何も発見はない。そのうち呆れた鹿島が割り込む。
「それで、何かなくなっていました?」
役員たちは顔を上げ、それぞれを見つめる。しかし、横にも縦にも首を振らない。要するに、異変はなかったのだ。
会議室が静まる。不安と疑問に苛まれているのだろう。
…………。
「ま、まあ、予定なんか書き直せばいいんだし!」倉林先輩が場の空気を破る。
「特に異常がないなら大丈夫ですよ」鹿島も倉林先輩に乗っかる。
「そうだな。きっと大したことのないイタズラだ」御堂会長は明るく続けた。
「……窓なんかはどう? 鍵を閉め忘れたかも」生田先輩は苦笑いで窓を指差す。
その指差す先に、神谷がいた。つい、一同ぎくりとしてしまう。
はあ、と大きくため息を漏らして神谷は窓に手をかける。そして、窓を開こうと体重を右に傾けた。
……がつん、がつん。
窓は開かない。
「鍵、最初から閉まっているわよ」




