第一幕 甘すぎる会議
小さなころ、おれはものをよく隠して遊んだ。
隠すといっても、自分のおもちゃ箱やカーテンの裏に隠すほど簡単な隠し方はしない。いつも、机の裏にテープで張り付けたり、本棚の本をずらしてその裏に隠したりした。台所の棚なんかにも隠した憶えがある。
母にとっては想像もしない場所に隠されるため、呆れてかまうのをやめてしまうこともあった。しかし、目当てはそちらではなかった。月に数回訪ねてくる、探偵の叔父に探してもらうのだ。
最初に、『ものを失くしちゃった』と嘘をつく。
すると、『失くしたとは噓だね』と見抜かれる。
次に、『一緒に探してほしいな』とお願いする。
だが、『すぐ近くにありそうだ』と推測される。
今度は、『この部屋は探したよ』と言ってみる。
それでも、『この部屋の中だろう』と探しだす。
……それから、部屋を探しつつおれの顔を探るうち、簡単に在り処を突き止める。当然、子供の表情など簡単だし、子供の噓などちょろいものだ。叔父は探偵、汚れた大人の噓を見抜く仕事をしているのだから。
いま思えば何でもないこと。でも、子供のおれには大きな感動と衝撃だった。その憧れはいまに至り、探偵学園に入学した――――
「それにしても、なあ……」
六月末、土曜日の放課後、人のまばらな食堂。
野菜ジュースを啜るおれの目の前には、ワイシャツに赤いリボンという夏服姿の神谷リサが座っている。きょうもまた本を読みながら、棒状のチョコレートスナックをぽりぽりと食べていた。
おれの嘆息に、神谷は首を傾げる。
「どうしたの? 今成」
「いや、その……おれが探偵学園に求めていたのはお前なのかな、と」
神谷が首を傾げる角度が大きくなった。
「ここってさ、探偵を開業する人も多い学校だろう?」
「そうみたいだね。よく知らないけど」
「お前は受験要項をろくに読んでいないからな。……まあ、お前もその名のもとに集まるひとりなのか、事実おれの前で何度か探偵ぶりを発揮している」
「あれが推理というものなのよ」
眉をひそめるが、神谷は首を傾げるばかり。おれはその姿に対して、思い切り皮肉に言ってやる。
「お前はどうにも、おれの考える探偵と何か違う。確かに、推理力、洞察力で言ったら充分おれの思う探偵だよ」
「それほどでもないよ、どうもありがとう」
「だからな、違うんだよ。なぜか、おれはお前を探偵と思えないんだ」
やはり神谷は首を傾げる。まあ、おれの中でも言葉で整理しづらい。
考えられる理由としては、神谷の推理と、叔父の推理ではまったくタイプが違うことだ。叔父は少しずつ事実を集めて、仮定を築いていく。しかし神谷は、直感と自信から一発で仮定を固め、ゆっくりと事実で確認をしていく。順序が逆なのだ。
人間性も違う。叔父は常に真摯で、相手から的確に情報を集めるためか人当りも柔らかかった。……でも、神谷はどうだ。興味本位でほいほい事件に首を突っ込み、自分の推理をずかずかと押し通して相手の反論を潰す。日常的にも尊敬できるポイントがない。
そう、つまるところおれは、神谷の非常識がどうしても納得ができないのだろう。
「あ、そうか。非常識だと言いたいんだね」
神谷はようやく、おれの表情からおれの気持ちを読み取ってくれた。
「じゃあ、しょうがない。お菓子を恵んであげよう」
眼鏡がずり落ちる。おれは行き場のない不快を野菜ジュースで癒した。
「普通に恵むだけじゃもったいないか。きょうはあと一袋だし」神谷は恵むと言っておいてもったいぶる。この性格が探偵らしくないと思われているのに、神谷はひょうひょうとして気にしない。「そうだ、両端からこれを食べて行くってゲームが流行っているそうだね。ただ一緒にお菓子を食べるのもつまらない、やってみようか?」
「……!」
危うくジュースを吹き出しそうになる。神谷の言うその遊びは、甘すぎる男女のためのくだらない遊戯である。
「おい、神谷。そのゲームの意味するところはわかっているのか?」
「へ? 陣取りゲームみたいなものじゃないの?」
「違う!」
……とはいえ、自分で説明するのも憚られる。そんなおれを神谷が疑うような目で見つめている。神谷にとっては、さっきから訳の分からないことを言っているようにしか思えないだろう。
眼鏡をかけ直し、誤魔化しにかかろうとしたそのとき、
「やあ、ふたりとも。きょうも仲良くやっているね」
「……!」
突然後ろから声をかけられ、再びぎくりとする。
神谷がおれの背後の人物に気づく。
「あれ? 美羽先輩じゃないですか」
「リサさん、久しぶり」
そこには二年生の生徒会役員、倉林美羽がいた。入試のときに世話になった、上品なセミロングを持つちょっぴり童顔の少女だ。入試の件でまだ神谷には遠慮があるらしく、後輩であるにもかかわらず『リサさん』と呼んでいる。
しかし、六月はじめの選挙で二期目の生徒会役員に当選したばかり、倉林先輩も忙しいはずだが。
「倉林先輩、生徒会の仕事中なのでは?」
「ああ、うん。そうだよ。むしろ、仕事中だからふたりを捕まえたんだ」
横目で神谷を睨む。倉林先輩に首を傾げているが、まさか生徒会に呼び出されるようなことをしでかしてはいないだろうか? そう、生徒指導部の前に生徒間で解決、というような具合に。
おれの疑心を察したのか、倉林先輩は手を振りながら説明する。
「あのね、新生徒会が出発ってことで、各学年の男女にインタビューする企画なんだ。今年の抱負とか、新学年の生活とか、生徒会新聞に載せようと思って」
いささか時期が遅い気もするが、確かにいい話題だ。
どうしておれたちなのかは、わざわざ聞くこともないだろう。ちょうど企画を思いついたものの土曜の午後、多くの生徒が帰宅してしまっている。たまたま面識のあるおれたちを見つけたに過ぎないだろう。
まあ、『おれたちでよければ』とでも返事しようか。世話になった生徒会役員倉林先輩の頼みだ、断れない。早速、『インタビューされてみよう』と神谷に提案しようとしたが、
「面白そうですね、ぜひとも」
神谷の素早い了承に、倉林先輩は手を合わせて喜ぶ。
また『面白い』か。まったくこれだから気に入らない。
「会長、連れて来たよ」
連れて来られたのは、三年校舎一階の南側にある生徒会室だ。校舎の端で、廊下も暗い。
部屋の中には備品がたくさん詰め込まれた背の高い棚があり、中央に置かれた大きなテーブルにはがさがさと資料やら生徒会新聞の原稿やらが重なっている。お世辞にも片付いているとは言えず、あまり掃除されてはいないらしい。
そこには男の役員がふたりと、女の役員がひとり。倉林先輩に応えたのは、上級生らしい男の役員だった。
「あ、本当にいたのか。それは良かった」
やはり、『ちょうどよかった』という印象だ。気持ちよくはないが、そんなものか。
「会長の御堂だよ」倉林先輩が紹介してくれる。「ええと、下の名前はなんだっけ?」
「翔馬だ、忘れるなよ。御堂翔馬、よろしく」背の高い二年生の生徒会長だ。
「おれは鹿島圭吾。同じ学年だよな?」一年の男子の役員は廊下で見たことがある。
「生田華。……美羽と御堂とは同級生」と二年生の役員は少々小声だ。
以上、きょうここにいる役員は四人のようだ。おれと神谷の紹介は倉林先輩が済ませてくれていたから、話が早い。
「さて」と言って御堂会長が棚から鍵を取り出す。「ここでは散らかっている、隣の会議室でインタビューを始めようか」
会議室は生徒会室から歩いて三歩だ。御堂会長が鍵を開けるあいだ、鹿島に訊いてみる。
「なあ、どうして会議室の鍵が生徒会室にあるんだ?」
「うん? ああ、なんでも生徒会室が物であふれてきたから、滅多に使わない会議室を『第二生徒会室』みたいな扱いで使わせてもらっているんだ。そのためのスペアキーなんだとよ」
鹿島は他人事のようにそう話した。新任の役員に訊いたのだから無理もないか。
鍵が開き、招き入れられる。会議室でまず目に入るのはデスクトップパソコンと、天井から吊るされているプロジェクター。廊下側を見ると、生徒会の七月の予定が書かれたホワイトボードがあった。
そしてもうひとつ、気になるものがあった。おれだけでなく神谷も気が付き、神谷が御堂会長にその疑問をぶつける。
「あの壁の穴は一体なんですか?」
「うん? ああ、あれか」御堂会長が穴を見て思い出したように話す。「配線工事のときに空けられて、そのままになっている穴だ。有線のインターネットを生徒会室につないでもらったのさ」
確かにコードが見えていて、穴の向こうは生徒会室だ。
勧められた椅子に座ると、生田先輩が何やら箱を差し出してくる。
「きょうのお礼に、ヨーロッパ土産のチョコレート。溶けやすいから早く食べな」
「ありがとうございます!」
神谷の声が弾む。爛々と目を輝かせ、すぐに箱に手を伸ばした。
菓子で釣られるとは、現金な奴め。そういえば、きょうはチョコレートをさほどたくさん持ってきていないようなことを言っていた。いつもひねくれている神谷がチョコレートにだけは正直なのは、ちょっと可愛らしいところかもしれない。
…………。
おれは妙なことを考えてしまった。誤魔化すためにチョコレートを一個もらって食べてみる。うん、おれには甘すぎる。
「よし」御堂会長が切り出した。「早速、訊いていこうか」
姿勢を正し、背筋を伸ばす。
「最初に、学校を選んだ理由を聞こうか。それを前提にして、いまの生活がどうかを訊いてみようと思う。さ、どうして探偵学園にしたんだい?」
意外にも、神谷がさっと答えた。
「そうですね、家から電車で乗り換えが要らないから。受験の英語が簡単だと聞いたから。校舎が新しかったから。あとは……興味本位。こんなくらいですかね?」
…………。
つらつらと語ってしまった。こんなことを受験の面接で喋ったら、不合格は間違いなかっただろう。受験要項をほとんど読んでいないことと、英語がよほど嫌いなことはよくわかった。
苦笑する御堂会長の視線がこちらへ向けられる。おれにまともな回答を求めている目だった。
探偵学園に入学した理由……叔父が探偵で、純粋に探偵に憧れたから。
…………。
「ええと、カリキュラムが自分に合っていると思ったから、です」




