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神谷リサは見逃さない  作者: 稲葉孝太郎 シナリオ / 大和麻也 著
薄墨色の習作 A Study in Light Black
12/41

第五幕 薄墨色の作品

 放課後。それも、生徒の大半が帰った時間だ。

 神谷がおれを呼んで連れ出したのは、すっかり人気のなくなった一年C組の教室だった。そこには神谷が呼び止めておいたのか、ひとりだけC組の生徒がいる。

「佐久間……?」

 佐久間恵梨が、ただひとりC組に。

 驚くおれに、神谷は澄ました顔で説明する。

「恵梨ちゃんのほうから呼ばれたの」

「そうなの。わたしから、お願いがあって……」

 おれと神谷から視線を向けられ、もじもじと下を向いていた佐久間だったが、決意したように顔を上げて話しはじめる。

「あの、言いにくいんだけど、もう、事件のことは調べないでほしいんだ……いちいち書道部に来られて話を聞かれると、嫌な記憶をえぐられるみたいで。もちろん、ふたりは善意で必死に考えてくれているから、それは嬉しいんだけど……」

 佐久間の話が途切れると、場違いにもふっと神谷は鼻で笑う。


「そりゃあ、探られたくないよね。……自分がやったんだもの」


 …………!

 すぐには思考が追いつかなかったが、理解してみれば神谷はとんでもないことを口走っているではないか。これまで会う人みんなにとんちんかんな質問をしていたのは、おれとは違った筋道を立てようとしていたからだったのか。しかし、佐久間が犯人など、まさかそんなはずはなく、

「ごめんね、わたしにはちょっと言いたいことが解らないな?」

「そうだ、神谷」おれも同調する。「お前なりに筋を通したのなら、伝える順序を考えろ」

 はあ、と神谷は肩を落として息を吐いた。呆れたように話す。

「今成までそう言うか……同じところを見ていたというのに」

「む?」

 少々腹が立ったところに、神谷は鋭く言い放つ。

「犯行時刻の三時から四時のあいだ……ひとりだけアリバイがない。そう、恵梨ちゃんだけはアリバイを証明できないの」

「そんなことはないよ?」佐久間が反論する。「わたしは部屋にいた。用務員さんも見たはずだし、他のみんなも知っている」

 しかし、神谷は非情にも首を横に振る。

「それは、部屋にいる時間の最初と最後だけの話でしょ? そのあいだの一時間、すっぽり抜けている。本を読んでいた、なんて誰も見ていないわ」

「で、でも、美術室から黒瀬先輩が――」

 あ、とおれの口から漏れた。

 神谷と佐久間の視線が集まり、おれは気がついたことを慎重に述べる。

「黒瀬部長、三時半には帰っている……最初の三十分、本当に佐久間がパンフレットを作っていたなら、後半の三十分は誰も見ていない」

 そのとおり、と神谷がおれを指差して正解と伝える。

 口元を震えさせ、佐久間は何かを言いたそうにしている。その佐久間をかわすように、神谷は勢いづいて続ける。

「そう。帰宅の時間がおかしいのよ。同じ時間に作業は終わっている。三時半に黒瀬先輩が作業と片づけを終えたとしても、恵梨ちゃんの帰りのほうが遅くなるのは変」

「だって」佐久間の反駁だ。「本を読んで時間を潰していたんだもの。買い出しに行ったみんなが、四時までに帰って来るかもしれないでしょ?」

「だったら」突き放すような神谷の冷たい声が遮る。「四時を過ぎるのはおかしい。用務員さんは、四時十五分ごろに本を読んでいる女の子を注意した、と言っていたもの」

 なるほど、だから神谷は用務員のおじさんに『多目的室を施錠した時間』ではなく、『書道室と美術室を施錠した時間』を訊いていたのか。

 繋がりはじめた時系列を整理するため、おれは質問をする。

「じゃあ神谷は、日曜日の三時から四時のあいだ、佐久間がどのように過ごしたと考えているんだ?」

「そうだね、まとめようか。

 最初の三十分は、黒瀬部長の動向を見ていた。黒瀬部長に自分を目撃させること、そして、黒瀬部長が美術室を去るのを待つことが目的ね。

 黒瀬部長が帰ると、美術室に侵入して絵の具を奪う。多目的室に行くには、美術室からざっと三分。書道室からの時間と、絵の具をかすめる時間も考えれば、五、六分ね。多目的室で人目を避けながら慎重に荒らしていったとして、十五分から二十分といったところ。最後にもう一度絵の具を戻して書道室に戻れば、もう五、六分。

 ほら、これで五分程度二回と、二十分程度で三十分消化。だいたい四時になるでしょ? あとは本を読んで、用務さんに目撃されるのを待つだけ」

 ……………。

 筋は通っていた。佐久間も口を結んでいる。おれは神谷の補助と佐久間の擁護を両方できるように、質問を重ねる。

「まあ、神谷。筋は通っているぞ。だが、それは佐久間の証言を信用するか否かの問題だろう? 佐久間の証言に矛盾は――」

「あった。矛盾していた」

 ぴしゃりと神谷は切り捨てた。そして、訊いてほしかったと言わんばかりの得意顔で語る。

「矛盾、それは『黒瀬先輩が頭像を描いていた』ということね」

「……別に不思議なことではないだろう?」おれには変に思えなかった。「黒瀬部長が美術室に籠って絵を描くのは、有名なことらしいじゃないか」

「今成、そこじゃない。……描いているものがおかしいのよ」

 …………?

「思い出して。黒瀬先輩は、公募の作品を描いていたのよ?」

「公募……? 確かにそうだった」

「頭像なんて描くのかな?」

「ううん…………」

「公募のテーマって?」

「――――『百花繚乱』だ……」

 そうだ、咲き乱れるバラの花畑が公募のポスターだった。そんな花いっぱいのテーマに、人間の頭を描いた作品を提出するとは思えない。よほどの前衛でもない限り考えにくい。

「黒瀬先輩は、『いい加減進めないといけない』ということを言っていた。つまり、それまでは公募の作品を描いていなかったということ。

 きっと、恵梨ちゃんは入学間もないころに頭像を描いている黒瀬先輩を見て、それを公募の作品だと勘違いしたんだと思う。黒瀬先輩がいなくなったことを確認する必要はあるけれど、何を描いているかは重要じゃないもの。

 そう考えると、出品の予定もなしに頭像を描いていたのはあくまで練習……習作というやつね。日曜日には描いていない」

 …………。

 佐久間はやはり黙っている。もう、佐久間を擁護することもなさそうだ。

「神谷、動機は考えているんだろうな?」

「もちろん。『木を隠すなら森の中』……これは早いうちから考えていたもの。

 恵梨ちゃんは、決して書道部の展示を荒らそうなんて考えていない。……その中のただひとつ、自分の作品を潰したかったのよ」

 …………。

「荒らされた展示の中には、校内用と出品用の作品があった。そのうち、校内用が襲われた作品の大部分で、出品用は恵梨ちゃんのもの以外に被害がなかった。となれば、損害を被ったのは恵梨ちゃんだけで、他の人たちは何事もなく出品できる。つまり、恵梨ちゃんの出品を阻止することのみが目的だった。

 出品を阻止する理由、となれば、ひとつは怨恨。でも、それなら書道部への恨みだろうと恵梨ちゃん個人への恨みだろうと、校内用の作品を襲う必要はないし、出品用すべてを襲うほうがカムフラージュにはちょうどいい。ふたつ目に考えられるのは、失敗。まあ、それなら自分で申し出ればいいはずね。

 これでもう、犯人は恵梨ちゃんに限定される。……それも、三つ目の理由、『盗作』を隠すために」

 凍てつくような『盗作』の響きが教室に残る。

 盗作……確かに、それなら自分で申し出ることはできない。ならば、それを隠すべく作品をダメにしたかったが、自分のものだけを荒らせば騒ぎはどう転ぶかわからない。だから、『他人に迷惑をかけないように』校内用の作品を荒らしたのだ。

 さあ、これで決まりだ。

 神谷が最後に付け足す。

「書道部の本がしばしば盗まれていたと聞いたわ。恵梨ちゃんはそれを盗んで、先生や先輩にばれないような目立たない作品を模写した。こじつけにはなるけれど、絵を描くのが得意と言っていたからね……模写も上手にできるんじゃない?」

 …………。

 思えば、白石部長が『ちょっと筆遣いが硬いけれど、字形が堅実できれいだ』と佐久間の作品を評価していた。いまでは、模写したからこそ、そのような評価になったのだろうかと思えてしまう。

 がっくりと、佐久間は小さな肩を落とした。


「そうだね。全部言われたとおりだよ。

 ほんの出来心だったんだよね。書道が絵を描くみたいに楽しかったらいいなあ、って。部活を書道、授業を美術にしたのは間違った選択ではなかったと思うけど……楽しいことを授業っていう義務にしちゃったから、つまらなくて。だから、義務感のない部活のほうで、ちょっといたずらしてみたんだ。

 そしたら、絶賛されちゃったんだからもうびっくり。壊しちゃう以外に、何も手段が思い浮かばなかったんだ…………」



 再び土曜日。

 おれは食堂を歩いていた。野菜ジュースでも飲もうかと考えていたのだ。

 しかしそれよりも、この女に会うことのほうが大きな目的だったような気がする。

「おい、神谷。どちらかひとつにしろ」

 六人掛けの席のうち、片側三席ぶんのスペースを、荷物とアーモンドチョコレートの箱で占領している。本人は悪びれるふうもなくどっかりと真ん中に座り、本を開いている。読書と間食の掛け持ちを、おれは認めない。

 しかし、この何度目かも思い出せないほど重ね重ね言っている忠告も、神谷はまるで気に留めない。それどころか、読書と間食に、会話を追加した。

「ああ、今成。また部活巡り?」

「いいや」おれは半ば諦めて応じる。「もう入部には遅いと思うから、帰宅部にするつもりだ。神谷は?」

「わたしは最初から部活なんて興味ないもん」

 ……まったく。

「ところで、神谷」おれはひとつ、おれたちふたりにとって気になる話題を持ってきていた。「佐久間、あれからどうしたと思う?」

 神谷の目が大きく開く。やはり、興味があるようだ。

「そうね、今成の言い方からして、書道部は辞めたのかな?」

「正解。でも、模範解答には足りない」

 先週おれが辛辣に浴びせられた言い回しで神谷に告げると、不機嫌そうに顔をしかめた。その顔を見て少しいい気分になりつつ続ける。

「佐久間は、書道部から美術部に移るそうだ」

 神谷の目はさらに大きく見開かれた。神谷が驚く顔を見るのは初めてかもしれない。

「部活の変更は入部から一か月認められないから、しばらくは書道部に名前を置きながら美術部で活動するらしい。『本当にやりたいことをしたい』と白石部長に伝えて、許してもらったそうだ」

 話し終えると、神谷の表情は複雑に歪む。きょうの神谷は、それこそ佐久間のように表情豊かだ。

「恵梨ちゃん、盗作のことは話したのかな? 特に、ふたりの部長には」

「わからない。果たして、佐久間はどの程度いいことをして、どの程度悪いことをしたんだろうな?」

 神谷は何かを必死に伝えようと口を開きかけたが、言葉が上手くまとまらないらしい。それを無理に言わせないよう、おれは続ける。

「でも、盗作のことはもうあやふやになったし、他の書道部員はちゃんと展覧会に出品したらしい。……結果的に、誰にも迷惑はかかっていないんだ。神谷が月曜日の昼休み、おれに『誰にも迷惑のかからない犯罪を赦すか』と訊いていたのは、そういうことだったんだよな?

 だから、そのとき答えた通り、赦すことはできなくても、追及はしない。誰にも、佐久間を責めることはできないんだと思う」

 前提を疑え。

 罪だからといって、すべてを咎めることはできないのだ。

 佐久間はきっと、罪によって薄墨色に汚れた作品に絵の具をぶちまけることで、自ら盗作の罪を罰したのだろう。誰にも迷惑のかからない罪を犯したとき、それを糾弾できるのは罪を犯した本人しかいないのだから。

 神谷は、そんなことを言いたいのではないか――――?


 それでもやはり、口を閉ざしてしまうのだった。

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