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神谷リサは見逃さない  作者: 稲葉孝太郎 シナリオ / 大和麻也 著
薄墨色の習作 A Study in Light Black
11/41

第四幕 隠される作品

「おい、神谷! ちょっと待てよ」

 おれは書道部を出て、慌てて神谷を追った。昼休みの時間はまだあるとはいえ、神谷があまり推理のために暴走してしまうと危ない。

 猫まっしぐらといった具合に神谷がすたすたと歩いて向かったのは、三年校舎の二階だった。つまり、恐れ多き三年生のホームルームが並ぶフロアだ。

 そこから紛うことなくB組の教室を選び、渦中の黒瀬部長を呼んでほしいと女子生徒に頼む。承諾したその先輩が呼びに行っているあいだ、神谷に問う。

「どうして黒瀬部長が三年B組だとわかったんだ?」

「ああ、土曜日に美術室で上履きを見たら、ご丁寧にクラスまで書いてあってさ。……真面目な人みたいだね。わたしは見逃さないよ」

 上機嫌に答える神谷。上履きまで見ないだろう、普通。

 ちょうどそこに、黒瀬部長が現れる。

「ああ、おとといのふたりか」


 また四階まで上り、美術室の前で話すことにした。昼休みの時間、四階の廊下を歩く人は少ない。さっき書道室を訪ねたときも、ほとんど人がいなかった。

「さて、突然どうしたんだ?」

「いくつか訊きたいことがあるんです」

 神谷がひとりで会話を進める。黒瀬部長への質問は推理のために必要だが、おれには口を挟めないだろう。たとえおれが気づかないところも、神谷のことだからしっかりと見ているはずだ。

「きのう、日曜日。黒瀬先輩は何をしていましたか?」

「きのう? どうしてそんなことを?」

 理由を問われた神谷は少し戸惑ってから、

「書道部の作品が荒らされたことは知っているでしょうか? その犯人として、黒瀬先輩が疑われています」

「なるほど、それなら話さないとな」

 神谷は無罪を前提に話しているのだろうか? 確かに、その安心感は相手の口を滑らせるかもしれない。黒瀬部長は、思い出すように少し上を向きながら話しはじめた。

「そうだな……一時半ごろから三時半くらいまで、美術室で公募用の絵を描いていた。六月に出品しないといけないから、いい加減どんどん進めないといけなくてな……あんまり進まなかったが」

「わかりました。では、書道室のほうから誰かに覗かれていると思いませんでしたか?」

「ううん……そういえば、誰かに見られていた気もする」

「いつごろ?」

「三時ごろ、だったか?」

「書道室で何をしているか、わかりました?」

「いや、そこまでは。作品を描いていたしな」

 出展のための作品なのだから、熱中するのももっともだ。ただし、その熱中は真実を隠すための理由にもなるが。

「最近、一年校舎に行く用事はありましたか?」

 ……思えば、黒瀬部長が書道室の前をよく通る、と白石部長が語っていた。書道部の本を盗むためではないか、と。

 だが、黒瀬部長は平然と話す。

「それは当然、鍵を返しに通るだろう。事務室は一年校舎の一階だから、一年校舎に行ってから階段を下りるのが一番楽だ」

 神谷はこくりと頷くと、おれに「行くよ」と言って駆け出す。

「あ、神谷! ……黒瀬部長、ありがとうございました」

 礼をして神谷を追う。黒瀬部長はぽかんと口を開いて取り残されていた。



 少し息を上げて辿り着いたのは、一年校舎一階、事務室だ。

 そのときちょうど、用務のおじさんが出てきた。なるほど、用務員さんに多目的室を施錠した時間を聞きたいのだろう。

「あの、すみません」

 神谷に引き留められ、おじさんはびっくりしたようにこちらを振り向く。

「どうしたの?」

「書道部の部員なんですが、質問していいですか?」

「ああ、書道部……大変だってね。いいよ、訊いてみな」

 神谷の奴、簡単に噓をつきやがった。でも、話を聞き出すなら一番の口実だろう。

「美術室と書道室、鍵を閉めたのはいつですか?」

 ……あれ? 多目的室の時間じゃないのか?

 おれの疑問をよそに、おじさんは答える。

「そうだね、美術室が四時十分ごろ、書道室が四時十五分ごろだったかな。そうそう、多目的室は四時五分ごろには閉めたね。荒らされているとは思いもしなかったけど」

 神谷は頷き、続ける。

「そのとき、誰かに会いました?」

「美術部では誰にも会わなかったなあ。そうだ、書道部は、女の子が本を読んでいたから、約束の時間だから早く帰るように言ったらすぐに帰ったよ」

 それを聞くと、神谷はまた走り出した。

 再びおれがお礼を言って、そのあとを追いかけた。



 次は二年校舎の一階、多目的室だ。

 閉められている扉を神谷がノックすると、白石部長が出てきた。

「あれ? 何か解ったのかい? 息も上がっているし……」

 心配と期待の入り混じった顔で問う白石部長を遮り、神谷は上がった息で鋭く問う。

「あの、被害に遭ったのは、誰の作品ですか?」

「え? ええと、ほとんどは校内展示用の練習の作品だよ。展覧会に出品する作品は、佐久間のだけやられていた。……黒瀬の奴、きっと草書の名前が読めなかったんだ」

 白石部長は嘲りを含んだ声でそう言った。しかし、神谷は返事もせずに次の質問を重ねた。

「買い出しに出た部員の、アリバイは?」

「そんなの、もちろんあるさ。ずっとみんなでいたからね。そうだろう?」

 部屋の中に白石部長が問いかける。すると、中からちらほら『はい』や『ええ』といった肯定の返答があった。

 神谷は腕を組み、目を閉じる。そして頷くと、踵を返した。ぶつくさと呟きながら歩いて行ってしまい、おれと白石部長が取り残される。

「……ありがとうございました」

 何度目だろう、おれが神谷に代わって礼を言って去った。



 時間は昼休みの終了まであと五、六分。

 神谷に追いついて顔を覗き込むと、しっかりと目を開けている。その表情は、どこかもの憂げで、深刻なことを考えているようだ。

「神谷……一体お前は何のつもりだ? くるくると人を訪ねて変な質問をしては、礼も言わずにまた駆け出して」

 神谷の寂しげな表情を見ると、強く言うことはできなかった。

「ああ、うん……」と曖昧な返事をして、小さな声でおれに尋ねる。「ねえ、今成。今成は、誰にも迷惑のかからない犯罪をしたならば、それは赦しても良いと思う?」

 迷惑のかからない過ち――赦すべきか、咎めるべきか。そう、たとえば誰も見ていないときに赤信号を無視したとする……となれば、

「赦していいとは思わないし、思えない。でも……それに文句を言うことはできないんじゃないか? 誰しも、『自分だけなら大丈夫』みたいな軽い思いで、不義理をはたらくことはあると思う」

 …………。

 やはり後味が悪くて、作り笑いと共に付け足すことにした。

「難しい質問だな」

 それを聞いて神谷はゆっくりと、やはり小声で返事をする。

「そうだね。難しいよ……誰に害を浴びせたわけでもない」

 …………?

 おれの答えを聞いて、神谷は「よし」と呟き、きっと顔を上げる。

「どうやら、木を隠すなら、森の中ってことかな」

 木を隠すなら森の中……妙なことを言う。

 そういえば、神谷は腕を組み、目を閉じる仕草をしていない。そう、考えているときの癖を……まさか。

「神谷、何かわかったのか?」

 おれの質問に対し、しっかりと勇ましく頷く。その瞳には鋭い光が戻っていて、洞察力が自慢の聡明な神谷リサが帰って来たようだ。

 おれは気が気でいられず、問いただす。

「な、なら、黒瀬部長はどうやって、佐久間の監視下にあった美術室を抜け出したんだ? いつ、どうやって? 神谷、教えてくれ!」

 しかし神谷は、失望したかのように大げさなため息をつく。そしてまた、おれに教えを説くような優しくも冷たい口調で応じた。

「それは、放課後にでも話すわ。……わたしは、見逃さないよ」

次回推理編。感想やメッセージによる推理もお待ちしています。

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