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パラサイトマン<改訂版>  作者: 桐谷 美和子
2/5

(第1巻) 2.

 翌朝、「弁当要らない」と言い忘れたから、母さんが弁当を作ってくれていた。ありがたく受け取って出社した。徒歩10分なんて、恵まれてるとも言うが、会社と家の往復のみだからな。グリーンカードか。当たったら行きたい気もするけど、1人で行ったらまた同じかもな。家と会社の往復のみってそれ以前に仕事見つかるのか? そう考えたら、真剣に英語を勉強すべきかもな。


「おはよう」


 青木が自販機のところにいた。


「おはよう」

「あの紙、書いてくれた?」


 やべぇ、すっかり忘れてた。


「あれさ、なんで携帯番号とか、生年月日まで書かないとだめなんだよ?」

「だって詳細を聞きたいかもしれないし、生年月日は何歳の人がパラサイトシングルかチェックするために必要でしょ?」


 あー、また人のことをパラサイトシングルって言う!


「……書きたくないんだけど」

「どうして?」


 青木が意外にもすごく残念そうな顔をした。そんなに弟想いなのか?


「他をあたれよ、俺は書きたくないから」


 俺はコーヒーを買って、その場を去った。今回は追っかけてこなかった。よかった。


*****


 仕事終了。英会話……気が進まない。タイムカードを押してから営業所を出ると、青木が待っていた。


「英会話は行くでしょ?」


 青木の私服姿、初めて見たが、清楚で結構いい線いってるじゃん。俺の好きなひらひらスカート、もうちょっと短いと良かったな。


「いいよ。でも絶対初級からって言われるよ」


 憂鬱だった。確かにクラスでは英語はトップだったが、会話とは全然違う。青木は駅までの15分、ずっと1人でしゃべっていたが、俺はレベルチェックのテストのことばかり考えていて、あまり聞いていなかった。


「この教室なの」


 青木が指した先は「大門英会話教室」だった。


「大門って人が教えてるのか?」

「さあ? 私の先生はイギリス人だけど?」


 ふーん、まあいいけど。


「ちょっと、2人で何してるのよ?」


 聞き覚えのある声に、俺は驚いて振り向いた。


「……山本? 見違えたな」


 通勤にこんな服? タイトスカートにブーツって……

 山本が笑顔になった。


「でしょ? 私服も悪くないでしょ?」

「いや、今からキャバクラ出勤かと思うくらい、派手だな」

「ひどい! 小川君」


 そう言って山本は俺をバシバシたたき始めた。痛くないが、なんだ、この反応?

 青木が冷静に山本に告げた。


「今から英会話に行くの」

「小川君も?」


 山本がすごい意外そうな顔をした。俺も意外。なんでこうなったんだろ?


「彼はレベルチェックだけどね」


 俺はやっと気が付いた。駅前の英会話教室なら、通勤にこの駅を使ってる連中に会うに決まっていた! うかつだった。変な噂を立てられたくなかった。


「じゃあ、私たち、英会話行かないと」


 青木に言われて、とりあえず建物の中に入ったが……。思いは複雑。



「小川さんですね。青木さんから聞いていますよ」


 初めて英会話教室なるものに来たが、狭いがラウンジもあって雰囲気は悪くない。数人、生徒らしき人がラウンジでクラスが始まるのを待っていたが、どうやら青木のクラスメートのようだった。

 受付の人が用紙をくれた。


「これに記入していただけますか?」


 え、またなんか書かされるのかよ?


「あ、あの、習うかどうかはまだ決めていないんですが……」

「もちろん、レベルチェック後に決めていただいて結構ですよ」


 無料のレベルチェックテストだったら、書かせるに決まってるよな。その後、しつこく勧誘のメールやDMが来るんだろうか?

 あきらめて、記入し始めた。青木の視線に気が付いた。とっさに俺は紙を腕で覆った。


「見るなよ」

「なんで? 減るもんじゃないのに?」

「なんだよ、それ?」

「言葉通りよ、見られたからってどうってことないでしょ?」


 わけわからんなあ。


「Hello, Yukio. I'm Brian」


突然先生が話しかけてきた!


「Nice to meet you」


 とっさにそう答えたが、やばい! やっぱりやめときゃよかった! まだ青木が横にいた。


「俺のレベルチェックテストに、お前がここにいなくていいんだけど」

「ここにいていいですよ」


 ブライアンが言った。日本語できるんだ。年は同じくらいかちょっと上か? なかなかの男前で、せっかくならイケメンから習いたいだろうな。


「がんばってね」


 しょうがない、恥をさらすか……!


*****


 基本的なことしか聞かれなかったから、とりあえずは問題なく話せた……。よかった。でもチェックテスト中の青木の視線が熱かった。あとでまた何か言われそう。


「英語、上手ですね。中級の3に入れそうですが、念のため中級の2からにしますか?」


 ブライアンは、お世辞も言えるのか。確かにちょっとイントネーションはおかしいが、日本語超うまい。


「あ、まだ始めるって決めてませんので……」

「じゃあ決めたら教えてください」


 ブライアンはにっこり笑った。


「すごい、すごい! 発音もネイティブだし、すごい!」


 想像通りの青木の反応だった。恥ずかしい。お願いだから、もうやめてくれ。


「Your class will start soon, Tomoko」


 ブライアンが青木を促した。


「じゃあ、俺、帰るから」

「うん、また来週ね」


 なんとなく落ち込んだまま英会話のビルを出ると、山本がいた。


「ちょっと、キャバクラとか言った罰に、夕飯に連れて行ってよ」


 え? なんで?


「……ほめたつもりだったんだけど」


 山本の目の色が変わった!


「そうなの!?」

「……そうだよ、キャバクラってあんまり地味なのとかいないだろ?」って行ったことないけど、テレビで見る限りはそうだ。

「女は外見じゃないわよ」

「そうだけどさ。お前だって、オシャレな奴と飲む方がいいんだろ?」

「まあね、じゃあ、一緒に飲もうよ、イケメン君」


 そう言って、山本が腕を組んできた。イケメン君? あ、おごらせる作戦か。


「ほめても無駄。同期で給料変わらないんだから、割り勘だぞ」


 あれ? こいつと飲むつもりなかったんだけど、何この展開?


「もちろん、割り勘でOKよ」


 成り行きで、そのまま隣にある焼き鳥屋に入ってしまった。腹減ってたから、いいか。



 近所に住んでるせいもあって、この店には入ったことがなかった。にぎやかな店で、会話も大きめに話さないと聞こえないくらいだった。ちょうどいいかも。話さなくて済みそう。


「ビールジョッキ2つ、お願いします」

「え? ジョッキ? お前、そんなに飲めんのかよ?」

「え? ジョッキよ? 小川君こそ、そんなに飲めないの?」


 家で飲まないし、考えたことなかったな。


「なんだよ、小川、今度は山本かよ」


 振り返ると広瀬がいた! 同期の安西と一緒だ。駅前の店って、社員のたまり場なのか?


「『今度は』って、どういう意味?」


 山本が聞いた。


「小川は、昨日は青木と昼一緒に食べてたんだよ」

「あー、そうだったわ。そうよ、なんで智子と一緒に英会話に行ったのよ?」

「何? 英会話?」


 広瀬と安西も同じテーブルに座った。なんで……。ああ、帰りたい。


「お前、自分がモテてること、知らないんだろ?」


 安西が言った。俺がモテてる? 安西こそ長身の営業職で、眼鏡の似合う知的な感じで、男の俺が見てもかっこいいと思ってるが、その安西から言われるとは思わなかった。青木との英会話の発端はグリーンカードだったが、秘密だと言われてるから黙っていた。


「……俺がモテてるわけないじゃん。それはお前だろ?」

「小川君は、同期女性陣の1番人気なのよ」


 山本が代わりに答えた。

 え? そうだったんだ? なんで? 驚く俺を見て、広瀬が説明し始めた。


「そう、意外なことにお前って『かわいい』らしいよ」


 広瀬の言うことは信用できない。やっぱりからかわれてるだけだ。


「未だに実家から通ってる、パラサイトシングルだからか?」

「パラサイトシングルなんて、死語じゃなかったの?」


 山本もそう思ってたらしい。


「青木に言われて、傷ついたよ」


 そう言って俺は、青木から弟のリサーチに協力をするよう、アンケート用紙をもらった話をした。


「智子に、東京の大学に行ってる弟なんていないけど」


 山本の言葉が一瞬信じられなかった。


「え? じゃあ彼氏か?」

「彼氏もいないけど」


 どういうことだ? バカ正直に書かなくて良かった!


「青木に狙われてるんだよ」


 広瀬が突っかかってきた。でも、だから連絡先やら誕生日まで書く欄があったのか?


「智子の抜け駆けね」


 山本はジョッキを飲み干した。


「いいなあ、モテてる奴は。俺になんて誰もそんなこと、やってくれないよ」


 広瀬の本音のように聞こえたのは、気のせいだろうか?


「……俺、モテたこと、人生で一度もないんだけど」


 安西がそう言った俺の頭をどついた。


「モテてることに気が付いたことがない、だろ?」


 え?


「お前、小川透の弟で、青葉小から森脇中だろ?」


 安西が言った。


「ああ、そうだけど?」あれ? 兄貴と知り合い?

「俺も森脇中だったんだよ。俺が中3の時にお前が1年生で入学してきて、結構話題になったんだよな。イギリス帰りの兄の透もすごい英語できたけど、その透が『弟の方ができる』なんて言ったもんだから」

「え?」兄貴、何言ってたんだよ……。

「お前イギリスに住んでたのか?」


 広瀬も山本も驚いてる。なんでここでバラされるんだよ……


「……親の仕事で……」

「英語ペラペラで、髪の毛サラサラでまつげの長い、かわいい子が青葉小から来たってね」


 安西が笑いながら言った。

 し、知らなかった……、そんなこと中学で言われてたなんて。確かに帰国して青葉小に編入したときは、ひらがなすら読めなくて、そういう意味で話題にはなっていたが……。じゃあ兄貴も森脇中でなんか言われてたのか? 安西は4大卒だから、俺と同期とはいえ、年は2つ上、ああ、確かに兄貴と同じだ。


「じゃあ、兄貴もなんか言われてたのか?」

「ああ、兄貴もすごい英語できたもんな。かっこよかったよなあ」

「兄弟そろって英語ペラペラってかっこいいよね!」


 山本は3杯目のジョッキだ。飲み過ぎだろ……


「お前は知らなかっただろうけど、中3女子が『ハリポタくん』って呼んで、『かわいい』って人気だったぞ。『兄貴よりかわいいって』」


 ハリポタくん? おいおい……


「それにお前、クラブに入らずに、毎日午後から1人で日本語の補習受けただろ? あの教室、3年からよく見えててな、女子連中がきゃあきゃあ見てたぞ」


 さらに嫌なことを思い出させやがって……!


「最悪だったよ。ほんとは水泳部に入りたかったのに、『このままでは高校受験は無理だ』とか脅されて」

「小川君、水泳好きなの?」


 山本が聞いてきた。


「泳ぐのが好きなんだよ」

「じゃあさ、今度一緒にプールに行こうよ!」


 ろれつが回らなくなってきてる山本に誘われたくないなあ。


「会社の法人会員チケットで、駅前のフィットネスも500円で行けるのよ」


 なんだって? 500円であのクソ高いフィットネスが使える? 良いこと聞いた!


「まあ、高校で水泳部入れたから、だいぶ気は済んでるだけどね」


 せっかく話題が変わったのに、安西が話を戻しやがった。


「とにかく、小川兄弟が英語の平均点あげてたし、英語の弁論大会ももう羨望の的だったもんな」


 また思い出したくないことを……。確かに英語の平均点はあげたが、国語の平均点も下げてたぞ。


「好きで出てたんじゃないよ。国語があまりにもできなくて、内申書をあげるために出てただけだ」

「お兄さんも補習受けてたの?」山本が聞いた。

「いや、兄貴は帰国後3年以内の受験だったから、帰国子女枠で行けたんだよ。でも俺は5年経つことになるから無理だって言われたから、補習だった」

「そんなのあるんだ?」


 ビールを1口飲んだ山本だったが、飲み過ぎじゃないのか?


「5年でもいい学校はあったみたいだけど、家から通えないんじゃ意味ないしな」

「ネイティブの発音で、カッコよかったなあ」という安西の言葉に、

「そうなの!? なんかしゃべってよ」


 山本にまで言われるし、もう最悪の金曜だ。早く帰りたい。


「あー、なによ、みんなで飲んでるし」


 青木がブライアンやほかの生徒と入ってきた。なんだ、ここはやっぱりたまり場か?


「すみません、座敷に移動していいですか?」


 どうやら常連らしい山本が、店員に尋ねたけど、ここ、座敷もあんのか?


「いいですよ、どうぞ」


 総勢10名になって、座敷に移動した。


「ちょっと、智子! 何抜け駆けしてんのよ!」


 山本が青木に絡み始めた。


「抜け駆け? 何の話よ?」


 広瀬がアンケートのことを説明した。青木の顔が少し赤くなった。


「……バレちゃった」


 え? 


「だって、小川君ガード固いし、携帯とか誕生日なんて聞いても教えてくれないでしょ」


 青木が少しバツ悪そうに言った。

 ガード固いって女に使う言葉だと思っていたが。


「……教えるわけないだろ」


 俺もジョッキを飲み干した。速攻山本が次を注文していた。

 確かに教える気もないが、汚い字を見せたくなかった。未だに漢字は苦手だ。


「ああ、いいなあ。俺の連絡先も聞いてよ」


 広瀬が言っても、青木も山本もにっこり笑っただけだった。……マジで?


「ところで、安西もこの辺に住んでんのか?」


 俺が聞くと、安西は枝マメを食べながら


「昔な。俺、森脇中のそばの団地に住んでたんだよ。親父が家買って引っ越したんだ」

「そうだったんだ」

「同期の名簿見て、『まさか』と思ったけど、やっぱりあの『ハリポタくん』だったから驚いたよ。お前、透にちょっと似てるしな。でもなかなか話しかけられなかったからな。で、兄貴は元気してんのか?」

「ハリポタくん?」


 青木が不思議そうに尋ねた。もうこの話、やめたいんだけど。山本が説明し始めた。もう放置するに限る。


「兄貴は元気にしてるよ。今関西に住んでて、たぶん来年あたりに彼女と結婚すると思う」

「そうか、俺から『おめでとう』って言っといてくれよ。向こうは俺のこと、覚えてないと思うけどな。1回も同じクラスにならなかったしな」


 帰国子女って何かと目立つ。兄貴はイギリスでも日本語補習校に行ってたし、結構できたけど、俺は3歳で渡英して親以外の日本語を聞いたことがないままだったから、帰国してからすごい苦労した。

 ブライアンが退屈だったのか、英語で話しかけてきた。日本語ができるようだが、確かにこの会話の日本語はわからないだろう。まるで帰国直後の俺みたいに。授業が全くわからず、どうしていいかわからなかったんだよな。


「金曜に英会話習ってるって、デートとかないのかよ?」


 広瀬が青木に聞いた。


「残念ながらないんだけど、金曜の方が生徒が少ないの。先生ともっと会話できるから、お得感満載よ」


 なるほど。


「おまけに金曜だとこうやって先生と飲みに行くと、さらにお得だし、先生も日本語勉強できるし」


 一石二鳥ってわけか。

 ブライアンがなお話しかけてきた。


「How did you learn English?」


 うそをついてもしょうがない。本当のことを話した。広瀬が俺の英語を聞いて、驚いている。


「ほんとだ、すごーい」山本もだが、青木もまた驚いている。レベルチェックの英語とはまた違うしな。でも正直悪い気はしない。初めて気が付いたが、飲んでる方が英語が出てくる。2杯目のジョッキだった。

 青木と他の生徒には悪いが、ブライアンと盛り上がってしまった。ブライアンはロンドン育ちで、共通の話題もあった。


*****


「あーあ、こいつ下戸だったんじゃないの?」


 座敷で寝てしまった幸雄を見て、広瀬が言った。


「そうね、会社の宴会にもあまり参加しないから知らなかったけど」


 酔ってるエリカはまだ飲んでいた。


「飲めないから参加してなかったのかもね。ジョッキ2杯でしょ?」


 智子の英会話のクラスメートは全員もう帰っていたが、ブライアンは残っていた。


「かわいい寝顔、写真撮っちゃお」


 エリカに続いて智子も写真を撮った。その姿を見ながら広瀬が言った。


「家まで連れて帰らないとな。明日休みで良かったな」

「俺が背負うわ」そう言って安西が幸雄をおんぶした。

「い、意外に重い! 広瀬、足持って」

「了解。女性陣は俺たちのかばんも持って」

「家、どこだかわかる?」エリカが不安そうに聞いた。

「ここから会社の間にあるから表札見て行けばわかるだろ。誰か会計済ませてきて。あとで払うから」


 智子が会計を済ませにレジへ行った。


*****


 満月近い夜の明かりが、駅の喧騒から少し離れた簡素な住宅街を照らしていた。

 エリカが背負われている幸雄の頬をつついてみるが、起きる気配がない。


「熟睡してるわね……」


 智子は、幸雄のかばんと上着を持っていた。


「11時過ぎか。ご家族の方が驚くでしょうね」

「でもまあ、しょうがないよな」


 安西が幸雄を背負い直した。


「確かこの辺だったと思ったんだよな。暗いからよくわからんが……。おい、女性陣、表札確認して」広瀬が促した。


 エリカは表札を携帯で1つ1つ照らして確認していた。


「あった!」


 エリカがインターホンを鳴らした。


「はい?」 


 母親らしき人が出た。


「夜分遅くすみません。同じ会社の同期の山本と言います。今日一緒に飲んでいたんですが、小川君が酔って寝てしまったんです」


 ガチャンとインターホンの切れる音がして、すぐにドアが開いた。


「まあ、すみません!」


 明らかに母親はもう入浴も終わっていて、寝る直前のようだった。


「お邪魔します」


 安西は幸雄を背負ったまま、家に上がった。足を抱えた広瀬が続いた。4人も続いた。母親はブライアンに気が付いた。


「すみません、幸雄の部屋は2階なんです。散らかってますけど……」

「小川君の部屋、見てみたい!」


 エリカはひょんなことから幸雄の部屋が見れることになって喜んだが、智子も興味津々だった。

 幸雄の部屋は洋室で、10畳はある広々とした空間だった。パソコンはゲーミング用なのか、モニター2つを左右に並べてあって、パノラマ調に画面が見れるように配置してあった。

 智子は本棚を見ていた。ほとんどが洋書で、ハリーポッターもあったが、智子が聞いたことのない作家の本もあった。ブライアンが何冊か手に取ってみていた。


「良い本の趣味してるね」


 ブライアンは本をめくりながら、独り言のように言った。


「そうですか?」


 智子がブライアンが見ている本を覗き込んだ。


「ジャック・ケルアックは僕も好きです」


ブライアンがそう言って、その本の表紙を智子に見せた。

“On the Road” by Jack Kerouac


「ジャック・ケルアック……」


 安西と広瀬が幸雄をベッドに寝かした。智子が幸雄の上着とかばんをベッドのそばに置いた。心配そうに見守っていた幸雄の母が、申し訳なさそうに言った。


「すみません、ご迷惑おかけして。でも会社の人とこうやって飲みに行くようになって良かったです。イギリスから帰国してから、あまり人付き合いをしなくなってたのでね」

「そうなんですか?」


 安西が聞いた。


「帰国したくなかったんですよ。でも帰国することになったのは、主人がガンで、治療を日本ですることになったからなんですが、幸雄は当然、当時は知らなくてね。もう泣いて泣いて大変でした、小5でしたからね」


 5人はなんて答えて良いかわからなかった。成り行きで飲むことになっただけであって、まだそんなに幸雄と親しいわけではなかった。


「帰国1年後に治療の甲斐なく、父親も失って。すっかり心を閉ざしてしまったというか、あまり笑わなくなったというか……」

「私に任せてください、お母さん!」突然のエリカの発言が、しんみりとした雰囲気をいい意味でぶち壊したが、安西がとっさにエリカの口を押えた。

「すみません、こいつ酔っぱらってて!」


 幸雄の母は、一瞬どう答えて良いか困惑の表情を見せたが、すぐににっこり笑って言った。


「ありがとうございます。また時々一緒に飲んでやってくださいね」

「はい、もちろんです」


 安西が答えた。


「では、失礼します」


 6人は幸雄の家を後にした。


*****


「いまいち、人付き合いが悪い理由がわかったな」


 安西が言った。


「小川君のお兄さんもそんな感じだったの?」


 智子が聞いた。


「わかんないなあ。同じクラスになったことなかったし」

「小川と前川が入れば3対3でちょうどいいじゃん」


 広瀬が嬉しそうに言った。


「広瀬君、めぐみが良いんだもんね」


 エリカがからかった。


「そうそう。同期からカップル出ると良いじゃん」広瀬は真剣だった。

「でもこれ別れた時がな……」


 現実的な安西がため息交じりに言った。


「別れなきゃいいのよ」


 智子の言葉に広瀬も


「そうそう、結婚すればいいんだよ」

「そんな簡単にはいかないもんなんだよな……」


 安西がつぶやいたが、誰にも聞こえていなかった。

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