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君に捧げる花の名は、  作者: ???
アネモネ
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四十四輪

 玄関の鍵を開けると、ボクはそのまま自室へ向かう。自室のドアを開けベッドに座ると、嗅ぎ慣れた自室の匂いがした。しんとした家の中には自分の気配しかしなくて、静かになると先程の川蝉さんの様子を思い出してしまう。ボクはそのままベッドに寝転ぶと、枕に顔をうずめた。

 酷く苦しくて、寂しくて、ぽっかりと穴が開いたようなこの気持ちを、どんな言葉で表せばいいのかわからない。そのくせどうしようもなく悲しいのだから、救いようがない。思い出したくないのに、見たくなんてなかったのに、一度記憶に焼き付いてしまえば何度も繰り返しさっきの光景しか浮かんでこなくて、酷く息苦しかった。

(……とられたくないって、言ってたな)

 ふと莉菜ちゃんが言っていた言葉を思い出して自嘲する。とられたくないだなんて、ボクがそんなことを思うのはあまりにもおこがましいと思う。とられるとかとられない以前の問題で、ボクと彼女の間には何も始まっていないのだ。だから、ボクのこんな気持ちはお門違いだと自覚しているからこそ、行き場のない感情が心の中を暴れまわって満足するのを、ボクは静かに息をして待つことしかできなかった。

(……ボクが見つけたのに)

 ボクが見つけたのに。ボクが最初に見つけたんだ。ボクだけが知っていたはずなんだ。このまま誰にも教えないでいようって、そう思っていたのに。なのに、……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 頭の中が焦げるような痛みで埋め尽くされていく。紫園といるときにも感じたことのない、手酷くあたりを傷つけたくなるような感情が酷く息苦しくて、ボクは浅く呼吸を繰り返す。

 ボクの知らない交友関係があることが、ボクの知らない彼女の一面を誰かが知っていることが、当たり前なのに妬ましいだなんてどうかしている。どうかしているのに、それを理解しているのに、どうしてこんなに苦しいんだ。

(好きなんだ、ボクは。彼女のことが好きで、大切で、……大切にしようって思っていて。この気持ちだって伝える気もなくて。でも、それは彼女が誰も好きにならないって心のどこかで思っていたからなんじゃないか)

 自分の感情に吐き気がしそうになって、ボクは思わず口元を手で覆う。そんな自分の行動に、嫌悪感が足元から這い上がってくるような気がした。

 彼女は人と関わることが苦手だって言っていた。だからきっと誰も好きにならないだろうなんて、ボクは勝手に思っていたんじゃないか。そんなボクの行動を、浅ましいと呼ばずしてなんと言うのだろう。

(……ボクは、ボクのことなんてずっと嫌いだ)

 紫園に出会う前から、出会ってからも、今も、ボクはボクのことが嫌いだ。ずっと、このままぽっかり地球から消えてしまえればいいって思っている。

 ボクはボクをずっと嫌って、憎んでいる。憎まれて当然のやつだって思っている。人が離れていってもしかたがないって思っている。だけど同時に、ボクは自分をそうやって卑下することで、心のどこかで許してもらおうと思っているんだ。でもそれが、何も正しくないこともわかっている。変わろうとしているか、していないかは別として。

(……もしも川蝉さんに、好きな人がいたらどうしよう)

 恋人になりたいとか、彼女にとって一番の人間でいたいとか、そんなおこがましいことは考えていない、……はずだ。少なくとも今はただ彼女の色々な表情や、彼女のことをもっと知りたい。……ボクのことも、彼女にもっと知って欲しい――ボクのことを知りたいと思って欲しい。……でも。

(……言えるわけないんだ、こんなこと)

 知りたいって言うのは、知られるということだ。紫園とのこと、乙木くんとのこと、昔のこと……本当は君のことが好きだってことも、知って欲しいのに離れられてしまったらと思うと、このままずっと知られたくないと思ってしまう。だから話すときもボロが出てしまったら怖くて、彼女に酷い人間だと思われたくなくて、嘘をついて取り繕ってばかりだ。

 よい友達でいたい。彼女にとって、怖い人間になりたくない。それはいつだって本当のはずなのに、あの笑顔をむけられる人が、あの優しさに触れられる人が、ボクだけだったらと思ってしまう。君のことが好きなのに、君の周りの人を同じように大切にしたいのに、笑ってくれて友達になれたことで満足だったはずなのに……彼女のことを一人占めしたいなんて、ボクだけに笑っていて欲しいなんて、どうしようもなく思ってしまうんだ。

(……ボクは、こんな人間だったのか)

 環境を変えれば、言動に気を付ければ、人に優しくすれば、誰も好きにならなければ誰も傷つけないと思っていた。好きな写真に打ち込めれば、自分の中でも良い変化があるんだって思っていた。……だけど、きっと違っていた。

 ボクの根底はあの頃から何も変わっていない。それを改めて自覚して、ため息がでた。

 きつく瞼を閉じても、川蝉さんのあの柔らかい笑顔は消えない。あの笑顔を好きになったのに、彼女のことを知りたくなったのに、それでもあの笑顔を向けられる先はボクじゃないなんてあまりにも皮肉だと思う。そんなことを思うボク自身にも心底吐き気がして、枕に顔を押し付けながら、このまま息が止まってしまえばいいのにと思った。


 六月特有の湿度は、どことなく校内にもじめじめとした不快感を残していた。一カ月後の期末テストにむけて教員も生徒も学習を進めていて、写真部の部内も三年生たちは進路面談や三年生のみを対象とした進路相談会などに出席するために部内の出席率がまばらになり始める。そこまで仲を深めた訳でもないけれど、妙にぽっかり空いた空間に感傷的になってしまうくらいには、愛着があったんだなと思った。

 そんなボクの様子を知ってか知らずか、外に写真を撮りに行こうと誘ってくれたのは猫山さんだった。彼女とボクも部室の隅っこで期末テストにむけた小さな勉強会をしていて、お互いに煮詰まっていたのがわかったからだろうか。ボクたちはカメラを持つと、部室を出た。

「やー、一気に校内もテストムードになっちゃいましたな~?」「そうだね、ボクも今回はテスト頑張らないといけないな」

 ボクがそんなことを言いながら玄関でローファーに履き替えるために、靴箱から自分の靴をとり出すと、「だから最近来てくれないの~?」と向かい側の靴箱から少し寂しげな声が聞こえて、その言葉に一瞬だけ手が止まる。ボクは動揺を隠すように小さく息を吐くと、何事もなかったかのように「そう?」とだけ返した。

 彼女の言うとおり、ボクは川蝉さんのあの様子を見てから、三組にはほとんど行っていなかった。最近では大抵莉菜ちゃんとお昼を食べたり、部室に行って食べていることがほとんどだ。表向きは「テスト勉強をクラスの子としているから」と伝えているけれど、本当は三組に行って彼女の口からあの笑顔の理由を聞きたくないから、逃げ回っているだけだ。

 もし彼女が恋人だったら、そうでないにしろ川蝉さんが彼女に好意を持っていたとしたら、ボクは今の状態でそれを正しく受け入れることは難しいと思っていた。

「晶ちゃんが来てくれないから、みんな何してるのかなって言ってますよ~。なんで最近来てくれないのー、もっと三組においで~」「そんなこと言って、この間通りがかったらじゃんけんで盛り上がってたの、見たよ?」「あれはお茶会のクッキーがのこったからです~!」

 ボクたちは靴を履くと、あてもなく散策しながら撮影する。運動部の様子を撮影したり、葉っぱの隙間から漏れる光を撮ってみたり、水たまりに反射する風景を撮影したり。ふと隣の猫山さんを見れば、ボクが明確な答えを言わないからか、ほんの少し拗ねたような表情をしていた。

「でも、寂しいよ? 結ちゃんはそっとしておいたほうがいいって言うし、わたしも辛いときはそうした方がいいんだって思うけど……でもひとりで考えていたら、余計に苦しくなっちゃうことってあるでしょ? ……信じてなんでもいってくれたら、やっぱり嬉しいけど……」

 猫山さんはそう言うと、「やー、照れますねぇ」と言って笑う。ボクもつられて少し笑えば、猫山さんはそれを見てまた笑った。

 彼女のような優しい人は、すごい人だと思う。言葉ひとつで人を前向きにできたり優しさを伝えていくことができるのは、彼女のたくさんあるなかでボクが特に好きだと感じているところだった。

 優しい人は、見返りを求めない。でも優しい人が優しくして、それが必ず返ってきたことはあっただろうか。彼女の言葉を反芻しながら、ボクは内心ぽつりと呟いた。

(……だから、いつも誰にも言えないんだ)

 優しい人には、誠実な人には、必ず見返りがあるべきだとボクは思う。人に優しくすることは、時間であったり、体力であったり、金銭であったり、心であったり、何かを他人のためにすり減らしているからだ。だけど、優しくされた人はいつか優しさを忘れてしまう。当たり前だと思って、誰かがしてくれることに感謝を忘れてしまう。その時に、その優しさも誠実さもどこへ行くのかと思うと、いたたまれなくなってしまうのだ。

「……三組の人が嫌いになったわけじゃないんだ。今は、その……ちょっと色々考えていることがあって、それで。あと、期末にむけてクラスの子とテスト勉強してて……」

 彼女たちになにも非がないことを伝えるためだけに、ボクはうんうん唸りながらもそんな言い訳を言葉に詰まりながら伝えていれば、猫山さんはまるでボクみたいにうんうんと頷くと、それ以上の言及はしなかった。それがありがたくて苦しいと思ってしまうなんて勝手だな、なんて思った。

「じゃあ、晶ちゃん。また部活でね」「うん、また」

 猫山さんと玄関で別れると、ボクは駅に向かって歩く。西日がまぶしくて少し鬱陶しかった。

 ふと、前を歩く焦げ茶色の髪が視界に入った。ゆるく三つ編みをする髪型は彼女によく似ていると思いながら、ボクは「川蝉さん」と声をかけようと思って、彼女の園芸部の姿を思い出してやめる。彼女が恋人だったとしても、そうじゃなかったとしても、お互いに恋愛感情があるのに、そうじゃない人に声をかけられたら不愉快かもしれない。それが万が一にでもそんな姿を見られて、彼女の恋愛に影響を及ぼして、彼女が後々辛い思いをするほうが嫌だ。

 ボクはこっそりと物陰に隠れると、そっとため息をつく。鈍く心が痛んで、きゅっと瞼を閉じる。痛くて苦しいときに心臓の位置がわかるなんて、皮肉だなと笑った。

(……今日は、一緒じゃないのかな)

 何か事情があるかもしれないのに、彼女がひとりで帰っていることに内心ほっとしてしまう自分がいる。そんなことが苦しくて、でも安心してしまったことも否定できなかった。

 ボクといる時には、彼女はあんな風に笑ってはくれない。いつも少し怯えたように目を伏せて、傷つけられないように縮こまっているようにボクには見える。彼女を傷つけたりなんてしないのに、大切にしたいのに、そうと彼女に証明できないことが苦しい。

 ボクはそっと物陰から顔を出して彼女の姿が見えなくなったのを確かめると、俯いてそっとため息をついた。


『最近、かわったことはない?|』

 そんなメッセージが送信されてきたのは、その日の晩のことだった。シオンの花言葉の話で止まってしまった会話から唐突に来た内容に困惑していれば、その後すぐに画面のスクリーンショットが送られてくる。『Aster』と書かれたアカウントからのメッセージには、ボクのことを何度か聞き出そうとする質問が送られていたようだった。

『実は、少し前からこのアカウントが君のことを知らないかって何度も連絡があったから、君のことが心配になって。もちろん、何も答えてないけど』

 心配していたんだと書かれた文章に「ありがとう」と返すと、『どういたしまして』とだけ返ってくる。

『でも、どうして君が嫌がらせを受けないといけないんだろう。君との関わりはないんだよね?』『わからない』

 返ってきた文章に返事をしながら、ボクも同じように首をひねる。ボクのアカウントは、何の変哲もない趣味のアカウントのひとつにすぎない。写真や趣味で作った映像をあげているけれど、それはあくまで趣味の範疇にすぎないものだ。仕事で行っているわけでもないし何か脚光を浴びるようなことがあったわけでもない細々としたもので、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()確かに言われてみれば、一連の出来事は不自然なようにも思えた。

『本当に君に、恨みを買うような覚えはないんだね?』

 念を押すように返ってきた一文に、ボクは思わず後ろめたいような気持ちになる。頭をよぎったのは、乙木くんのことだった。

 後ろめたいようなこと……例えば彼を酷く傷つけるようなことや、彼に恨まれるようなことは、本当に身に覚えがない。そもそもそこまでお互いに深く関わった記憶はないし、最近こんなに関わり始めたことがいっそ不自然に思えるくらいだ。もっともボクはあの頃は紫園にべったりだったしボクの世界には紫園だけだったから、関わる人も多くはない。彼とも図書委員の用事で何度か一緒になった以外では、自分から積極的に関わった記憶もない。だからボクは自分でもわからなくて、彼に自分がなにかしたのかを尋ねたのだ。結局彼からは、何も回答はなかったけれど。

『そう。木を隠すなら森の中って言うからね。気をつけて』

 返ってきた文章にボクは『わかった』とだけ返した。

 会話を終えると、ボクはメッセージアプリを開く。川蝉さんとの会話は、あの時の会話のまま止まっている。ボクは小さくため息をつくと、アプリを閉じて風呂場へむかった。

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