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Call my name  作者: 森彩子
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Call my name 5



翌朝別々の部屋に寝ていた新婚夫妻に屋敷の使用人たちは大いに動揺をみせた。

初夜に別々の部屋とは、いったい何があったのかと。

やってきたアネットと侍女たちは初めての朝を一人寝で迎えた可哀そうな花嫁を慰める為に盛んに話しかけるが、新妻の気のない返事と変わらない表情にがくりと肩をおろしてしまう。

しかし昨日までとは違い食事もちゃんととるようになったこと、それだけには感心してうんうんと満足げに頷いて見せた。そして昼がくるころには家にいる使用人に、昨夜アイゼンがイネスのために夜食を用意させたという話を聞いたのかアネットは先ほどまでとは違いご機嫌な様子で部屋へとやってきた。

「きっとイネス様の体調がよくないのを思っての行動だったのですわ!」

アネットのキラキラとした瞳がいたたまれなくて、オルガはついっと視線をそらすと目の前に置かれた焼き菓子に手を伸ばす。目の前に座っているアネットはうふふと頬笑みながら、紅茶に口をつける。

「今朝は朝からお食事もとられているようですし、顔色もだいぶよくなりましたのね。夫に自分の一番美しい姿を見せたいという気持ちもわかりますが、ほどほどにしましょうね。それにイネス様はそれほど必死になる必要なんてありませんわ」

慰めるような声にオルガはとりあえず頷いておくことにした。とりあえず話の途中で相槌をうっておけばなんとかなるということをオルガに初めてわからせてくれたのはこのアネットだった。

素直なオルガにアネットはうふふとほほ笑むとそっと顔を寄せてきて「今宵はドキドキですわね」と耳元で囁いた。

オルガはアネットのその言葉に、覚えたばかりの相槌も忘れて黙ったまま下を向く。

イネスの代わりになるとあの時は衝動的にいってしまったが、イネスが消えてしまい本当に身代わりとして結婚することが決まった日に昔から使えてくれている老いた侍女に教えられたことを思い出す。

真正面から身も蓋もなく突然つきつけられたそれを思い出してオルガは額に手をあてた。

心の準備も何もない。

だから正直いって昨日アイゼンが目の前から去っていった時オルガはほっとしたのだ。

いきなりの結婚式、そして初夜。

初めてづくしのことに正直いって昨日は疲れ果てていた。疲れている時にさらに精神的にも肉体的にも非常に疲れることを強要されてたら、きっとオルガはまいって寝込んでしまっていただろう。

だからと言って今夜やれ。今やれ。すぐやれというのも彼女にとっては色々と難しい。

そう思うことは我儘なことなのだろうか―――。

しかしこれまで年頃の男性と話す機会もなかったのにいきなり目の前に男を、しかもそれなりに整った男性を差し出されて「これが今日から旦那さんだよ」と言われても「はいそうですか」とあっさり受け入れることが出来るわけがない。

オルガは無表情の仮面の下で実はこの現状に非常に弱り切っていたのだ。

目の前で微笑むアネットや、後ろで励ますようにこちらを見つめる侍女に気づかれないようにして小さくため息をもらした。




その夜、当たり前のことだがアイゼンは二人の寝室に再びやってきた。

オルガは昨日と同じく窓際の席に座りこんで外を眺めていたので、ガチャリとドアが開いた音に反射的にその場で立ちあがった。驚いたようにして振り向いたオルガをアイゼンは見て見ぬふりをした。身構えているオルガを無視したまま窓枠に手をかける。

「また、外を見ていたのか」

「はい」

「…座りなさい」

アイゼンはそう言うと自分も椅子に腰をおろした。

迎え合わせで椅子に座りオルガはアイゼンを、アイゼンはオルガを見つめる。

見つめあう視線に含まれているのは甘さではなくお互いを値踏みするような、窺うものだった。

「……何か好きなものはあるのか」

「好きなもの…ですか?」

「ああ」

アイゼンの突然の質問にオルガは首を傾げる。そのままぼんやりと宙を見たまま黙り込んでしまったオルガをアイゼンは思いがけないことに辛抱強く待ってくれた。

「……好きなもの…ですか…………林檎が、好きですね」

アイゼンは、静かに首を横にふった。

「………趣味は?」

「趣味……ですか……………」

今度は窓の外に目を向けながら考えはじめたオルガに、アイゼンは少しイライラした様子で先に口を開いた。

「読書が趣味だと聞いているが」

「………趣味、といいますか、それ以外することがなかったので…。家の図書室にこもるのが日課でした」

傍から見ればぼんやりとしたまま質問に答え続けると、目の前のアイゼンが疲れたといわんばかりに額に手をあてた。

「君は、もっと賢い女性だと思っていた」

それはお姉さまのことですね。オルガは自分一人で納得しながら頷いてみせた。

頷いたオルガにアイゼンは眉間にしわをよせる。

「こうしみると――君は冷静というより、抜けているとしているという方が相応しい」

「よく言われます」

再びしっかりと頷きながら答えると、アイゼンは少し前に乗り出しかけていた身体を疲れたと言わんばかりに椅子の背もたれに預けた。

アイゼンは背もたれに背中を預けながら、半分閉じかけの瞳でこちらをみてくる。

「君は…………阿呆なのか?」

「……阿呆、と真正面から言われたのは初めてですね。死体みたいに何も語らないとは言われますが」

新妻を新婚生活二日目の夜に「阿呆」呼ばわりしたのはアイゼンが初めてなのではないだろうか。母以外の他人に産まれて初めて真正面から面と向かって言われた悪口に、オルガはわずかに目を見張る。

自分の周りにいた人間はオルガを触れてはいけないもののようにして扱った。好意でも悪意でもなく、ほとんど無視され続けていたオルガにとってアイゼンのはっきりとした物言いはわりと衝撃的なものだった。

オルガは自分が悲しむべきなのかそれとも怒るべきなのかわからないまま、目の前の男を見つめ続けた。

「屍みたいに何も語らない、とは?」

アイゼンは何が楽しかったのか、オルガの言葉を真似しながら喉に何かが引っかかっているような笑い声をあげる。

「誰に言われたんだ?」

「母です」

オルガは質問に短く答えながら椅子から突然立ちあがると、寝台の脇の小さなテーブルの上に置かれた水差しに手をかける。そしてそれをグラスの上で傾けるとそのままアイゼンの前に差し出す。

短いが衝撃的な一言に難しい顔をして黙りこんでしまっていたアイゼンが、なんだこれはと不思議そうな顔でこちらを見上げてくる。

「笑い方が変なので」

オルガの言葉にアイゼンはグラスを見下ろしてから、再びゆっくりと視線をむけてくる。

「怒って、いるのか………?」

「――何故?」

オルガは無言でアイゼンにグラスを受け取るように促す。アイゼンはオルガの無表情で人形のような顔に見下ろされるのに耐えきれなくなったのかグラスをようやく受け取った。

受け取ったグラスにそのまま口をつけようとしているのを見ていると、ふとオルガの脳裏に昔庭師から教えてもらったことが思い浮かぶ。

「この庭にミントは生えていますか?」

「……………えっ……さぁ…?」

妻の突拍子もない質問にアイゼンは唇を濡らしてから口を開いた。

アイゼンの戸惑いがちな声にオルガは「そうですか」と特に残念そうでもない、何も感情の宿らない顔で頷く。

この人に聞いても無駄みたいだ。

でもミントなら季節を問わずどこにでも生えているはずだからこの庭のどこかに必ず生えているだろう。オルガは一人でそう結論づけると、一人で納得して頷く。それはオルガの昔からの癖だったのだが、アイゼンから言わせてみると一人で何納得しているのだこいつというものだった。

怪訝な顔をして見つめてきているアイゼンを無視してオルガは幼いころに庭師から聞いた話を思い返す。喉に負担がかかってしまっている時に清涼感があるミントの葉を浮かべた水を飲ませればいいと言っていたはずだ。

どうせ水を飲ませるのだ。せっかく思い出したのだからミントの葉を浮かべた水の方がよいだろう。どうせこの屋敷に住んでもオルガのやることは今まで通りと同じで何もないのだし、偽りとはいえこれが旦那様なのだ。何もしないでいるよりは誰かのためになることをした方がよいだろう。それが旦那様ならなおさら。

オルガは立ったまま、再び窓の外に目を向ける。

これだけ広いと確実にミントの一つや二つはありそうだ。

オルガは今日一日アネットとのお茶会や一人部屋でぼうっとして過ごしたことを思い出しながら、やることができたかもしれないと少し満足げに頷いた。




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