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Call my name  作者: 森彩子
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Call my name 4



指先で落ちてきた前髪を耳にかける。侍女が櫛で何度も何度もとかしてくれた髪はさらさらと夜風にゆれるたびに花のにおいを漂わせた。

 オルガは開いた窓から外をじっと眺めていた。拡がる庭園の向こうに見える街のあかりをぼんやりと見つめていると、本当に遠い所へきてしまったのだなということが身にしみて感じられた。

あまり手を加えられていない木々に囲まれていた生家とは違い、ちゃんと庭師の手がはいり人工的につくりかえられた庭の木々を見下ろしていると後ろのドアが開いた。

生家のドアとは違い重苦しい音を立てずにやってきたのはアイゼンその人だった。

オルガが窓辺の椅子から立ち上がると、さらりとした絹の寝巻が足元をくすぐる。

静かに立ち上がったオルガにアイゼンは目をとめると、手だけで再び座るようにと合図してきたのでとまどいながらも再び椅子に腰かけた。窓まで近寄ってきたアイゼンは先ほどのオルガと同じく外を見つめはじめる。入ってきてからずっと黙り込んだままのアイゼンにオルガはどうしたらいいかわからなくなって同じ方向に視線を向けるしかない。

「何を見ていた?」

「………街を、庭を見ていました」

オルガの見た通りそのままの言葉にアイゼンはふっと唇の片側だけを器用に上げてみせた。

さすがのオルガもこちらを小馬鹿にしたようなその笑みには気づいた。静かにアイゼンに目をむけると暗い色をした灰色がかった青い瞳が横目でこちらを見つめていた。

熱の無い瞳が自分に向けられていると思うと、夜風だけではない寒さを感じる。

「君の住んでいる場所は本当に森の奥だったからな…」

そう言ったアイゼンの口が再び微妙に持ち上がる。オルガは「ええ」と頷きながらあっさりと同意を示した。とたんに面白くなさそうにアイゼンの眉が高く持ち上がる。

オルガはそれを見つめながら、この人はなにがしたいのだろうと小さく首をかしげた。

いくらオルガでも、彼が自分と良好な夫婦関係を築こうとしていないことぐらいわかった。

それぐらいわかりやすい態度にオルガは首をかしげるしかない。

初対面の人間。しかも夫婦関係を結んだものにこんな態度をとるなんて―――。

幸福な結婚など望めない立場にあるということは承知だったが、まさか初夜でこうまで悪い態度をとられるとは思わなかった。

その内心とは別で、オルガの静かで揺れることのない瞳を見下ろしていたアイゼンは口を開いた。

「……具合はどうだ」

「あまりよくありません」

そう申し上げたとたん、オルガの腹が盛大に音をたてる。

………アイゼンの見開かれた瞳をみて彼にもこの音が聞こえたのかとオルガは更に鳴き続ける腹を手で抑え込もうとしたが無駄だった。

静かな部屋いっぱいにひろがった情けない腹の虫に二人の間に微妙な空気が流れる。

これが二人にとっての初夜なのに、甘い空気は一つもない。

オルガはそんな状況にアイゼンの瞳を静かに見返すことしか出来ない。

盛大に鳴った腹を抑えたまま夫を静かに睨み上げ続ける妻に、夫は黙ったままテーブルの上に乗っていた使用人を呼ぶためのベルを鳴らすのだった。



目の前に用意された簡単な食事を前にオルガは黙りこむ。

「どうして食べない?」

母の言った言葉とアイゼンの言葉が胸の内でせめぎ合う。

……まだ、イネスの服は少しきつかった。

アイゼンは黙り込んだままのオルガにあきれたのか自分は自分でさっさとワインをあおりはじめた。

「気に入らないなら作り直させればいい」

 その傲慢な物言いにオルガは黙って首を横にふる。なぜだろう、そういう言い方は慣れていないし、あまり好きではない、と思った。

「なら食べたらいいだろう」

アイゼンが目の前に皿を差し出してくる。オルガは自分の腹が再び盛大になるのがわかった。再び鳴った腹にアイゼンは心底呆れきった顔をした。

「アネットから聞いたが、ここ数日ほとんど食事をとっていないそうじゃないか」

「―――それは」

アイゼンのこちらを問い詰めるような声にオルガは思わず顔を俯かせる。

「…………別にちょうどいいと思うが、な」

「えっ――?」

「ドレスが少しきつかった、そうだな」

その言葉にオルガがのろのろと顔をあげると、アイゼンは眉間にしわを寄せて難しい顔をしていた。オルガの生来ののろまな動きを、真実を言い当てられて都合の悪いものだと思ったのだろう。

「女というものは本当に困ったものだな。ウェストの細さにやけにこだわりをもってやがる」

アイゼンはそれまでの静かで落ち着いた口ぶりではなく、少し荒れた口調で吐き捨てた。

「それで倒れて周りに迷惑をかけているというのに、それでも食べないのか?」

「……女性にウェストの細さを求めているのは男性も一緒なのではありませんか? 腰が細く、病弱ですぐに倒れてしまう女性のほうがいいと聞いたことがあります。………そういうものなのではありませんか?」

青白くこけた頬をしたオルガがそう言うと、アイゼンは頷き返しながらも再びこちらを小馬鹿にした態度で見つめてくる。

「確かにそういう人間もいる。………君は他人の評価を気にするのか? 驚くな、以前夜会で見かけた時の君はそうは見えなかった」

所詮他の女と一緒か。アイゼンはそう言い切るとこちらに興味を失ったようにして瞳を閉じた。

オルガはようやくその視線から解放されたことで、強張っていた肩から力をぬいた。

オルガのそんな様子も知らずに、アイゼンは不遜な態度で足を組む。

「ドレスがきついのなら全部作りなおせばいい。俺にはそれだけの財力があるからな。だから身体にあわない衣装をつけ、飯もろくにとらないような惨めな真似はもうやめてもらいたい」

そう言い切るとそのまま椅子から立ち上がる。

アイゼンがこちらに何も言わずに背を向けドアの方へと向かっていくのを見つめていると、ドアに手をかけたところで一度立ち止まると背をむけたまま「まだ仕事がある」と言い残してあっさりと去って行ってしまった。

一人で二人の寝室に残されたオルガは珍しく唖然とした様子でしばらくドアを見つめていたが、鼻孔をくすぐる匂いに釣られてのろのろと皿へと視線を移す。

茹でられたソーセージに切られたバケットがそこにはあった。非常に簡単なものであったが、いい加減我慢の限界だったオルガはごくりと唾を飲み込む。

彼が、アイゼンがいいといったのだからもういいのではないか。

オルガはそう一人で頷いて自分を納得させると一気にそれをほおばった。





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