そのいち
俺は異世界戦隊ヒーロー。
世界のために戦ってる。
今日の任務は、悪役令嬢の討伐。
正確には、捕縛、説得、もしくは排除。いつもの三択だ。
なのに。
「光よ、集え――!」
空気がきらきらと揺れて、薔薇色の魔力が舞った。
……いや、待て。
「星降る薔薇の悪役令嬢、ルミエール・フォン・ヴァレンティーヌ。
この世界に混沌をもたらす者ですわ!」
ポーズが決まった。
衣装が光った。
無駄に回転した。
魔法少女じゃないか。
俺は剣を下ろしたまま、無線に手を伸ばす。
「こちらレッド。
敵が……その……」
『どうした。状況を報告しろ』
「……魔法少女です」
『悪役令嬢ではなかったのか』
「本人は悪役令嬢を名乗っています。
ですが挙動が魔法少女です」
無線が沈黙した。
「さて。名乗りも済ませましたわ。
準備はよろしいですか?」
満面の笑みで、彼女は杖を構える。
嫌な予感がした。
「では――参りますわ!」
彼女は高らかに宣言し、薔薇の杖を天に掲げた。
「光よ、集え! わたくしの勝利を祝福なさい!」
魔力が膨れ上がる。
危険度は高い。出力も申し分ない。
なのに。
彼女は一歩前に出た拍子に、裾を踏んだ。
「きゃっ」
転んだ。
薔薇色の魔力が、本人を避けるようにふわりと散り、
代わりに俺の背後の岩を粉砕した。
……いや、待て。
「大丈夫ですか!」
反射で叫んでしまった。
「だ、大丈夫ですわ! 今のは――演出です!」
無線が鳴る。
『レッド。戦闘開始したか』
「してません。転びました」
『……転び?』
「敵が。自分で」
少しの沈黙。
『被害は』
「俺の心です」
『真面目に答えろ』
俺は剣を構え直す。
構えはするが、正直、どうすればいいかわからない。
「さあ! 構えましたわね!」
彼女は立ち上がり、誇らしげに胸を張った。
「わたくしが勝ったら、この世界の混沌は一段階深まりますわ!」
「負けたら?」
「――え?」
固まった。
「負けたらどうなる」
「……考えてませんでしたわ」
悪役令嬢とは。
「えっと……その場合は……」
彼女は顎に指を当て、真剣に考え始める。
その隙に、後方で爆発音。
さっきの魔力が、遅れて着弾したらしい。
『レッド。早く終わらせろ』
「無理です」
『なぜだ』
「会話で詰んでます」
「思いつきましたわ!」
彼女がぱっと顔を上げる。
「負けたら――わたくし、帰ります!」
「帰れ」
即答した。
「え?」
「今すぐ帰れ。家に。屋敷に。薔薇の世話でもしてろ」
彼女は一瞬きょとんとして、それから満面の笑みになった。
「わたくしの勝ちですわ!」
杖を掲げ、くるっと一回転。
「やったー!」
……どうしてそうなる。
『レッド』
無線が低く唸る。
『状況を説明しろ』
「敵が撤退を勝利と認識しています」
『……悪役令嬢とは』
「概念です」
彼女は既に背を向け、軽やかに歩き出していた。
「ではまたお会いしましょう! 次は本気で行きますわね!」
振り返って、にこり。
嫌な予感が、確信に変わった。
――この任務、長引く。
――三日後。
俺は異世界戦隊ヒーローとして、真面目に任務に来ていた。
街の外れ。
古代遺跡の調査。
魔力反応、強。
「よし。今回は普通の仕事だな」
そう思った瞬間。
「光よ、集え――!」
聞き覚えのある詠唱。
俺は、嫌な予感を通り越して確信した。
「……まさか」
遺跡の奥から、薔薇色の光が漏れ出す。
キラキラしている。無駄に美しい。
「星降る薔薇の悪役令嬢、ルミエール・フォン・ヴァレンティーヌ!
本日は遺跡調査という名目で参上しましたわ!」
ポーズ。
回転。
決め顔。
俺は剣を下ろしたまま、天を仰いだ。
「……またお前か」
「まあ! 覚えていてくださったのですね!」
嬉しそうに頬を染めるな。
「覚えるに決まってるだろ。前回、俺の任務報告書が地獄だったんだぞ」
『レッド、状況を報告しろ』
無線が入る。
「遺跡に悪役令嬢がいます」
『排除対象か』
「いいえ。常駐です」
『……は?』
「既に調査を始めています」
彼女は遺跡の壁に顔を近づけ、真剣に見つめていた。
「この紋様……かわいいですわね」
「評価軸が違う」
「それでは! 本日の勝敗条件を決めましょう!」
振り返って、にこにこ。
「今日はどちらが先に遺跡の奥に着けるか、ですわ!」
「勝ったら?」
「わたくしの勝ちですわ!」
「負けたら?」
「……え?」
またか。
「負けたらどうなる」
彼女は少し考えてから、ぱっと顔を上げた。
「レッド様が、わたくしを見送ってくださいます!」
「それ、俺の負けじゃね?」
無線が沈黙している。
嫌な予感しかしない。
「さあ! 参りますわ!」
彼女は裾を踏み――
「きゃっ」
転んだ。
遺跡の床が爆ぜた。
「危ない!」
俺は咄嗟に腕を掴んで引き寄せる。
「まあ……」
間近で見た金色の瞳が、きらりと揺れた。
「レッド様。優しいのですね」
「……任務だ」
「照れなくてもよろしいですわ」
照れてない。胃が痛い。
『レッド』
無線が、諦めた声で言う。
『その悪役令嬢……今後も遭遇する可能性が高い』
「でしょうね」
『扱いは――』
少し間。
『要観察対象とする』
俺は、深く息を吸った。
「……またお前か、って何回言う羽目になるんだ」
「次は何日後でしょう?」
彼女は楽しそうに微笑んだ。
悪役令嬢は、今日も元気だった。
――四日後。
俺はもう、嫌な予感に慣れてしまっていた。
「こちらレッド。魔力反応を確認……」
言い終わる前に、背後から弾む声。
「きゃはっ☆ レッドくーん!」
振り向かなくてもわかる。
ぶりぶりピンクだ。
異世界戦隊ヒーロー・ピンク。
正義と愛と過剰なテンションの化身。
「今日も一緒に悪をやっつけよっ♪」
「……ああ」
胃が、きゅっと縮む。
その瞬間。
「光よ、集え――!」
薔薇色の魔力が舞った。
俺は無言で天を仰ぐ。
「星降る薔薇の悪役令嬢、ルミエール・フォン・ヴァレンティーヌ!
本日は――」
「わぁ〜! かわいい衣装〜っ!」
ピンクが食いついた。
「……あ」
悪役令嬢も、目を輝かせる。
「まあ! なんて愛らしい配色……! あなた、妖精ですの?」
「ヒーローだよぉ☆」
最悪だ。
「レッド様、この方は?」
「説明すると長い」
「わたくし、悪役令嬢ですわ!」
「えっ、うそ! そんな可愛いのに?」
「まあ! ありがとうございます!」
意気投合するな。
俺は二人の間に立つ。
「待て。二人とも。これは戦闘任務だ」
「戦闘? では勝負ですわね!」
「えっ、戦うの? かわいそうじゃない?」
「勝敗条件を決めましょう!」
「じゃあ、ケーキ作り対決とか!」
「素敵ですわ!」
話が進んでいる。
俺抜きで。
「……俺の胃が死ぬ」
無線が入る。
『レッド、状況は』
「挟まれています」
『敵にか』
「価値観に」
沈黙。
ピンクが悪役令嬢の手を取った。
「ねえねえ、お名前は?」
「ルミエール・フォン・ヴァレンティーヌですわ!」
「長いね! ルミちゃんでいい?」
「まあ! 親しみやすいですわ!」
俺は頭を抱えた。
「レッド様は?」
「……レッドだ」
「レッド様♪」
「レッドくん♪」
両側から呼ばれる。
胃が、限界を迎えた。
「……帰れ」
二人が同時に首を傾げる。
「え?」
「まあ?」
「今日はもう帰れ!」
沈黙。
次の瞬間。
「レッドくん、具合悪いの?」
「無理なさらないで」
優しくされる。
違う、そうじゃない。
その日、任務報告書にはこう書いた。
――
戦闘なし。
理由:三者間の空気が壊滅的に噛み合わなかったため。
上司からのコメントは一言。
『次から胃薬を支給する』
俺は、異世界戦隊ヒーロー。
今日も世界と胃を守っている。
基地の会議室は、今日も無駄に広い。
中央の円卓に、俺たち異世界戦隊が揃っている。
ブルーは腕を組み、グリーンは資料をめくり、イエローは椅子を前後に揺らしていた。
ピンクだけが、いつも通り楽しそうだ。
「で? 今回の敵がその――悪役令嬢?」
イエローが首を傾げる。
「正確には、“自称”悪役令嬢だ」
俺は言った。
「星降る薔薇の悪役令嬢、ルミエール・フォン・ヴァレンティーヌ。
魔力反応は高い。危険度はB。
ただし――」
「ただし?」
ブルーが促す。
「……挙動が、魔法少女だ」
一拍、沈黙。
「ははっ」
イエローが笑った。
「何それ。可愛いじゃん」
「可愛いで済めば胃薬はいらない」
「レッド、胃薬常備は自己責任でしょ」
ピンクがさらっと言う。
ホログラムが起動し、問題の令嬢が映し出される。
薔薇色の衣装。無駄に凝った装飾。
ポーズの瞬間だけ切り取れば、完全にヒロイン側だ。
「問題は、彼女が市街地に出没している点だ」
ブルーが言う。
「民間人との接触が多い」
「多いどころじゃない」
俺は深呼吸した。
「……ファンがいる」
「は?」
全員の視線が俺に集まる。
「意味がわからない」
グリーンが真顔で言った。
「俺もわからない」
映像が切り替わる。
街角で、ルミエールが子どもに手を振っている。
『ルミエール様〜!』
『今日も悪役ですかー!?』
「悪役ですわ!」
映像の中の彼女は胸を張った。
「でもお掃除はきちんとしますの!」
次のカット。
壊れた噴水を直している。
迷子を保護している。
花壇に水をやっている。
「……市民活動?」
イエローが呟く。
「本人は“悪役令嬢ムーブ”のつもりらしい」
俺は頭を押さえた。
「結果的に、好感度が上がってる」
「なるほど」
ブルーが頷いた。
「つまり、排除は論外だな」
「捕縛も厳しいね〜」
ピンクが笑う。
「市民人気高いと、炎上するし」
胃が、きゅっと鳴った。
「というわけで」
ブルーが淡々と告げる。
「次の作戦は、市街地での“無力化・説得”だ」
「……俺が?」
「現場判断担当だからね」
誰も反論しなかった。
俺だけが理解している。
これは戦闘じゃない。
胃痛イベントだ。
街は平和だった。
平和すぎた。
「ルミエール様ー! 今日も可愛いー!」
「悪役頑張ってー!」
声援が飛ぶ。
――おかしい。
ここは討伐対象の出没地点のはずだ。
「レッド、いるよ」
無線でピンクが言った。
広場の中央。
薔薇色の魔力が、ふわりと咲く。
「光よ、集え――!」
聞き覚えのある詠唱。
現れたのは、見覚えのありすぎる姿だった。
「星降る薔薇の悪役令嬢、ルミエール・フォン・ヴァレンティーヌ!
本日も元気に、世界に混沌を――」
「……お前か」
俺の声は、心底疲れていた。
「あら!」
彼女はぱっと振り返る。
「またお会いしましたわね、赤い方!」
周囲の市民がざわつく。
「知り合い?」
「知り合いなの?」
「ヒーローさん、知り合いなの?」
「違う!」
俺は即答した。
「任務だ!」
「まあ! では今回も勝負ですわね!」
杖が構えられる。
同時に、子どもが前に出た。
「ルミエール様! 今日はケーキの日です!」
「まあ! それは大変ですわ!」
彼女は即座に杖を下ろした。
「悪役令嬢といえど、約束は守らねばなりませんもの!」
拍手。
歓声。
俺は空を仰いだ。
「……市街戦、始まってすらいない」
『レッド』
無線越しにブルーの声。
『現場判断に任せる』
――投げたな。
ルミエールが、にこにこと近づいてくる。
「ではレッド様。
ケーキの後に、続きをいたしましょう?」
嫌な予感しかしなかった。
ケーキ屋は、戦場には向いていなかった。
甘い匂い。
ショーケースに並ぶ色とりどりのケーキ。
平和そのものだ。
「こちらですわ!」
ルミエールは迷いなく一番奥のテーブルに座った。
子どもが三人。
その向かいに、悪役令嬢。
そして――少し離れた席に、俺。
監視任務だ。
監視任務なんだ。
決して、ケーキを頼んではいけない。
「ルミエール様、どれにしますか?」
「今日は苺ですわ! 悪役令嬢らしく、いちばん赤いものを!」
それ、俺の色だな……と一瞬思って、考えるのをやめた。
子どもたちは目を輝かせている。
完全に“お姉さん枠”だ。
「レッド様は、何にしますの?」
「俺は――」
「監視ですわね」
にっこり。
「でしたら、これで十分ですわ」
店員が運んできたのは、苺のショートケーキが三つ。
そして――四つ目。
俺の前にも、置かれた。
「……頼んでない」
「大丈夫ですわ」
ルミエールは胸を張る。
「ファンの方からの差し入れですもの!」
子どもたちが口々に言う。
「ヒーローさんも食べて!」
「一緒じゃないと楽しくないよ!」
――囲まれている。
完全に。
「……少しだけだ」
フォークを持つ。
その瞬間。
「あーん」
視界に、フォークが突き出された。華奢な手だ。
白い生クリーム。
赤い苺。
距離が、近い。うっかりドキドキした。
「……何をしている」
「ケーキは一緒に食べるものですわ」
当然のように言う。
「約束ですもの」
「約束した覚えはない」
「子どもたちと、ですわ」
視線が集まる。
逃げ場がない。
『レッド』
無線が入った。
『楽しそうだね』
「楽しんでない」
『声が硬い』
ルミエールが少し首を傾げる。
「もしかして、苦手でした?」
「……いや」
俺は口を開けた。
フォークが入る。
甘い。
「どうです?」
「……普通に、美味い」
子どもたちが笑う。
「やったー!」
ルミエールも、満足そうに微笑んだ。
「ほら。悪役令嬢とヒーローでも、ケーキは美味しいのですわ」
俺は視線を逸らした。
――まずい。
これは、戦闘より厄介だ。
ケーキの皿が、少しずつ空になっていく。
平和な時間が、確実に積み上がっていく。
そして俺は理解し始めていた。
この任務、長期戦になる。
次の瞬間、街に警報が鳴り響いた。
赤い光。
緊急出動の合図だ。
『レッド、至急現場へ。敵性反応を確認』
俺は立ち上がる。
だが――
「まあ」
ルミエールはケーキの皿を置いて、きらきらした目で言った。
「次は、どこで遊びますの?」
俺は思った。
この任務、やっぱり長期戦だ。




