111.<番外編 リュー> 十三世界の神使を殺し その2
ふと思いついたリューは提案する。
「そういえば、神どものお遊びが終了した以上、お前は異世界へ渡ることができるはずだ。一度スンヴェルへ来ないか?」
するとたちまち美也子の表情が曇る。
「それはイヤだってば」
「一生そこで暮らせと言っているわけではない。旅行にでも来る感覚で、何日か」
他の世界に比べれば、スンヴェルは決して楽しい世界ではない。それでも己の暮らす世界を、愛しい魔女に見せてやりたかった。
そして何よりも――。
「他の悪魔どもにお前を披露したい。凄まじい魔力を持ち、剛毅なる心で神どもを脅かしたと。『全てを統べるもの』たる私が最も愛おしむ魔女であると」
すべらかな黒髪を撫でながら、優しい声音で話し掛ける。声に魔力を潜ませて、その心を絡めようと試みる。
美也子相手に、効果が薄いことは分かっていた。魔力が高い分、この娘には魅了の呪が効きにくい。
それでも完全無効化されるわけではなく、徐々にその目がとろりと溶けて来た。
「うん……。一回くらい、リューの住む世界を見てみたい……かも」
「そうか、渡界可能な魔力さえ溜まれば、すぐにでも来い」
「でもね、今年は受験なの……」
受験、という言葉の意味がよく分からないが、拒絶されたことには違いない。
「夏休みも勉強しなきゃ……」
やはりだめか、と唇を噛む。ダメ押しでもう一撫ですると、美也子は緩慢に口を開く。
「う~ん、じゃあ、大学生になったら行こうかな……」
ようやく肯定的な言葉を引き出せたことに安堵する。
「うむ、そうしろ」
「エイミも連れて行っていい?」
「っ!」
そう来るだろうことは予期していたが、苛立ちを覚えずにいられない。
「拒否する。お前たちは平生から共にいられるではないか。たまには我慢してみろ」
「え~、ヤだ!」
幼子のように頬を膨らませ、そっぽを向かれた。すでに呪は解けてしまったようだ。
ふと、奥の水場で洗い物をしている獣人を見ると、『想定通り』という顔でほくそ笑んでいた。勝者が圧倒的優位から敗者を見下す嘲笑だ。何と腹立たしい。
「はい、あーん」
美也子に匙を向けられたため、獣人のほうを見たまま口を開ける。今度は獣人が嫉妬に顔を歪ませた。
甘味が口角に付着してしまい、それを美也子が薄紙で丁寧に拭き取ってくれる。すると獣人はぷいと顔を背けた。何と愉快な。
上機嫌になったリューは髪から簪を抜き取ると、美也子の眼前へ掲げる。
「これをやろうか?」
精緻な装飾が施され、細かな宝石で彩られたそれは、角度を変えるたびにきらきらと輝いた。リューはあまり光物に興味がないが、大概の女はそれを好むものだと知っている。
現に美也子だって、目をまん丸にしている。
「えっ、こんな高価そうなもの、もらえないよ」
言葉とは裏腹に、目線はくぎ付け。
「スンヴェルに戻れば、いくらでもある」
「そっかー、リューって偉い人なんだよね……」
しみじみと呟かれた。
美也子には出自の詳細はあえて話していなかったが、どこかで聞き及んだらしい。初めて出会った頃のようにぼかすかと殴られなくなったからだ。
「もう少し髪が伸びたら、これを使え」
「うーん、嬉しいけど、多分私には似合わないよ」
「そうか? 化粧をして衣服を整えればきっとお前の黒髪にも似合う」
決して世辞ではない。人族の成長は早く、見るたび美也子は大人の女になっていく。そろそろ、魔力を巡らせて若い肉体を維持する方法を教えてもいいだろう。
――恐らく美也子はそれを選択しないだろうが。
「わたしとしたことが、愛しい魔女へ贈り物の一つもしていなかったからな」
「そんなの気にしなくてもいいのに」
そう言いつつも美也子はうっとりと髪飾りを眺めている。こういう装飾品に惹かれるところは年頃の娘らしくて微笑ましい。
「ご主人様、きっとお似合いになりますよ」
いつの間にか寄ってきた獣人に口を挟まれた。
「あ、確かに成人式の時とか使えるかも……」
「そうですね、きっとあの美しい衣装に似合います!」
などと、二人で盛り上がり始めてしまった。
取り残されたリューはむっと唇を尖らせた。『やはりやらん』と取り上げてやろうと思ったが、それはあまりに狭量な行為だ。
つい、長い溜め息が漏れる。
そのかすかな音で、美也子はようやくリューの存在を思い出したらしい。
「今日は泊まっていく? お母さんにも見せたいな」
後者はともかく、前者は願ってもないことだ。だが――。
「いや、滞在するだけでお前の魔力を食うからな。早々に退散する」
いざという時のために魔力を温存させておかねばならない。
それでもやはり後ろ髪惹かれる。
リューは肩よりも上で切られた美也子の毛先に触れた。この世界に魔力が満ちてさえいれば、女の命たる髪を断たせることもなかっただろうに。ますます神が憎らしい。
一方の美也子は肌をかすめる感触がくすぐったいようで、口元を震わせながらリューを見つめてくる。
その黒々とした瞳が愛おしく、リューはとある言葉を漏らしていた。
「いつか十三世界の神使を殺し、お前と夜明けを見たいものだ」
「え?」
案の定美也子は意味をつかめないようで、目を瞬かせる。その耳に苦い顔の獣人が囁いた。
「ネヴィラの故事です。世界の秩序を破壊してでも、結ばれぬ運命の者と結ばれたいと」
解説痛み入るが、会話に割り入りってやりたいという悪意が透けて見える。
「へぇ……」
感心したように頷いた美也子は、上を向いて何事かを考えている。
自分の気持ちの一端でも感じてもらえば嬉しいと思っていると、あろうことか美也子はぷっと吹き出した。
「リューって意外とロマンチストなんだね!」
そのままけらけらと笑われ、リューは鼻白む。魔女に対して最大限の愛の言葉を告げたつもりなのだが、こんなに筋違いな反応をされるとは。
照れるとか、困惑するとか、怒るとかが正当な女の反応ではないのだろうか。
獣人でさえ意味を悟って神妙な顔をしているというのに。
「あはは、リューらしくない! おっかしー!」
腹を抱えて笑い出されては怒るしかない。
「そこまで笑うヤツがあるか!」
「あーごめんごめん」
おざなりに謝罪され、髪を引き毟ってやろうかと思ったが、すぐに怒りはしぼんでいった。
やはりまだまだ子どもか、と笑みがこぼれる。
肩透かしだが、気分は回復した。
今から帰っても、式典にはまだ間に合うだろう。
怒り狂っているであろう『倨傲に構えるもの』にも、『あーすまんすまん』と謝ろう。
「十三世界の神使を殺し」の元ネタは「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」です。
諸説あるようですが、「烏」は「神の使い」を表しているそうですので、ネタにさせてもらいました。
各世界には似たような言い回しがたくさん存在している、という設定です。




