110.<番外編 リュー> 十三世界の神使を殺し その1
「うわっ、リューったら何てカッコしてるの!」
気付けば、美也子が目を丸くして立っていた。
召喚された場所は、見慣れたリビングルームだった。
特に誰かに襲われているとか、そういうことはないようだ。
少し離れたところから、獣人が忌々しそうにこちらを見ている。忌々しいのはこちらも同じだ。
「なぜ呼んだ?」
「だって、リューの耳長悪魔がさ……。あの方が機嫌を損ねているから、今すぐ呼んで差し上げろ、って噛みついてくるんだもん」
美也子の左の小指には歯形がついていた。犯人は部屋の隅でただの毛玉と化している。守るべき魔女を傷付けた後ろめたさからそうなっているようだ。
眷属の末端の末端である耳長悪魔にまで気を遣わせてしまったらしい。屈辱を感じないと言えば嘘になるが、昔馴染みと死闘を繰り広げず済んだことは僥倖だったのだろう。
「ねぇ、どうしてそんな服着てるの?」
リューの周囲を回る美也子は、上から下までを舐めるように眺めてくる。
その理由は理解できる。今は、『元七大公』に相応しい恰好をさせられているからだ。
顔は薄く化粧され、白髪は複雑に結い上げられて銀色の簪をさされている。
衣服は襟の詰まった窮屈な礼装。白地に銀の刺繍がされ、異世界の陽光の元で輝いている。
履物は屈んで紐を解かねばならない編み上げの長靴。これも色は白で、裸足を好むリューには牢獄でしかない。
「今日は式典だった」
「式典? 悪魔にもそういうのがあるんだ」
「ここ数百年は、人族の真似事をするのが流行でな。馬鹿馬鹿しいことだ」
吐き捨てるが、美也子はそれを気にした様子もなく礼服の刺繍を撫でていた。
「でもすごくきれいだよ! いつもその服でいればいいのに」
動きを制限する鬱陶しい衣装だと思っていた。だが、きらきらと瞳を輝かせる美也子を見て、頬が緩む。
「……それは御免だ。息苦しくてかなわない」
「ちょっと待って!」
襟元を緩めようとすると、美也子の制止がかかった。
「もうちょっとだけそのままでいてよ、ね」
小首を傾げる仕草が小動物のようで愛らしく、リューは諦念の息を吐いた。
「……氷菓子はあるか?」
「あー、ごめん、チョコの入ったやつしかないんだ」
うなだれる美也子だったが、すぐにぱっと顔を上げた。
「シュークリームがあるよ。カスタードクリームも好きでしょ?」
「ご主人様……」
獣人が顔をしかめながら近寄ってくる。
「あれは、夕食後のデザートとして楽しみにされていたでしょう?」
「うん、でもリューの元気がないから……」
美也子が上目遣いで様子を窺ってきた。
『元気がない』と言われて、その観察眼に舌を巻く。堅苦しい服を着せられ、理性を欠いて古い同胞と争いかけた、今の自分には確かに覇気がないだろう。
「ですがこのかたはシュークリームの中身しか食べないではないですか。ご主人様が残った皮だけ食べる惨めなさまを、わたくしは見たくありません」
獣人はいつになく強気だ。リューへの嫉妬心がそうさせているのではなく、美也子との関係性が変化してきているのだ。
下僕という立場から、年上の恋人へと。
だがリューは湧いてきた妬みを握りつぶす。百年後には、美也子の隣にいるのは自分なのだから。
美也子は静かに頭を振った。
「……ごめんね、エイミ。行儀が悪いかもしれないけど、せっかく呼んだんだから、リューには楽しんで帰って欲しいんだ」
その気遣い、何といじらしいこと。このまま攫ってスンヴェルへ連れ去りたいと思う。
「左様でございますか……」
不満そうではあったが、獣人は律儀に準備をしてくれた。
美也子と二人でソファに座る。座位になると、ますます首と胸が苦しい。
ほんの少し苛立っていると、美也子が『シュークリーム』という名前の菓子を手で二つに割った。中からとろりとした黄色いものが溢れ、皿に広がる。もう何度も味わっているから、これが氷菓子に勝るとも劣らない甘味だということは知っていた。
美也子はそれを匙ですくって食べさせてくれる。以前食べた時に衣服へこぼしてしまったからだ。
そして獣人が、その様子を恨みがましそうに見つめてくるのもお決まりだ。
「大人の姿のリューに食べ物をあげるのって初めてだね」
美也子はいやにニコニコしている。
「望みなら、幼子の形態になるが?」
「そのきれいな恰好が崩れちゃうでしょ」
「そんなに気に入ったか」
「うん、素敵! カッコいい! 白と銀がよく似合ってるよ!」
興奮した様子の美也子の頭に、リューはそっと手を乗せた。
まさかここまで喜んでくれるとは思ってもみなかった。帰還したら、この衣装を贈ってくれた同胞へ礼に行こうと思う。




