1、とある恋人達
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Illustration 知さまより
『灰空の隔心』
私の胸元に、乱れ髪が蔦のようにからみついている。
黒髪が月光の寵愛を受けて艶を増した。
そっと髪に指先で触れると、何の抵抗もなく指は滑ってゆく。絹糸のような感触。
髪の主は白い頬を私の胸へとあずけ、長いまつげを伏せた。
夢か幻か、何もかもがおぼろげだ。
あなたの髪や躰の匂いで、私がここへ来ていることをやっと分からしめている。幻覚にも似た、浮世から遠い非日常。
外で氷が張る音さえも硝子越しに聞こえそうな夜。今は音という音が示し合わせ、ひたりと声をひそめている。
私は窓の外の闇をにらんだ。
「ねぇ…」
しじまを破り、あなたは声を発した。
「陽が沈むのを、わたくしが待ち望んでいると思う?」
急な問いで意を図りかねた。
どういう答えを望んでいるのだろうか?答えを見つけたくて、あなたの瞳に目線を移す。
見つめるが、発した言葉以外、その伏せたまつげも濡れた唇も何も語ろうとしない。
「分からない。でも、私は陽が沈むのを怖れている」
私はそう言いながら身を起こした。あなたはそれを追って目を上げた。
「あら?わたくしに逢いたくないのかしら?」
美麗で哀しさの漂う外見に似つかわしくない陽気な調子で、あなたは答える。
人形のように澄ましきった普段の姿からは誰も想像はつかないだろう。だけども、あなたは唯一、私の前では飾らない。
「逢いたくないわけではない。逢えば必ず別れなければならないのがつらいだけだ」
私は衣服をそばの椅子から取り、纏い始める。出来ることならば、去りたくはない。
「いや……帰らないで」
あなたは起き上がり、私の腕にすがりつく。
「そうはいかない」
私は軍服のボタンを填める手を止めずに言った。
「私もこのまま、あなたを抱いて眠りたいが、私が夜明けまで眠っていると、私もあなたも命がないよ」
自嘲気味に言って、身をかがめてあなたの頬を撫でた。
口では、そう言っても、あなたのためなら命がなくなっても良いと思う。
「それでもイイの。あなたと一緒にいられないお昼は嫌い。太陽なんて大嫌い」
あなたは首を横に振り、少女のような口調で言い、口をとがらせた。
思いがけずいとおしさが募り、唇に唇をかさねる。その花びらの背徳的な情念が私の芯にまで染み入ってくる。
あなたはそれを拒んでひとすじの涙をこぼす。うらみのこもった瞳で見つめ返してきた。
「無理を言わないでくれ。こうして忍んでいることを無にするのか?」
あなたは目を伏せて、力なく首を横に振った。
私も日の当たるところであなたの瞳を見つめてみたい。だが、日のある内は、あなたと私は主従の関係でいなければならない。
こうして闇の中だけで寄り添うことができる。
真夜中に輝いていた月も、陽の当たる空では色あせてしまうように、陽の光の中では冷たい他人にならなくてはならない。
皮肉にも、いくら愛し合っていても私たちは他の者を羨まなくてはならない。
ありのままでいられることの幸せを知らぬまま、太陽の下で寄り添っている者たちを。
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