40、大団円は遠く
………
倒れ込むアルを抱き留めた。その重みが、すべて両手にかかる。
「安心して気が抜けたんだろうね」
ジェンスがアルの顔を覗き込み微笑む。
アルを見ると、服に血が染みている。巻き添えを食ったか。
と、自分が右肩を負傷していることに気づく。袖の上腕部が裂け、そこに傷口が見える。痛そうだが、どこか他人事のように感じられた。いつ負傷したのかさえ気がつかなかった。
アルを床に下ろそうとした時、アルの服の裾が引っかかって白い太腿が露出する。俺は目線を逸らして、その裾を下ろす。
ふと、傍らを見ると、ジェンスがニタニタ笑っていた。その態度に苛立つ。
「見てないで手伝え!」
「えっ?何をだい?スカートをめくるのをかい?」
ジェンスは俺の顔を見て、さらにニタニタした顔つきを強める。とぼけた調子で言っているが、こいつ、どう見てもわざとだ。
ボンが奥のほうから走り出てきて、両手を拡げながら俺に抱きつこうと近づいてきた。それをサッと反射的に避ける。
「どうだい!オレの作戦は!オレの言う通りにして良かっただろ?ん?キミ、腕はどうしたんだ?!あー!やっぱりやりやがったナ!その衣裳、スゲー高いんだぜ!?破って汚して!弁償だからな!」
ボンは、早口で、そう捲し立てた。
呆れた。俺のケガより衣裳の心配か。こいつの真意が分からなくなってきた。
「ってのは冗談だけどナ!大丈夫か?痛くないか?」
「こいつは、どこに寝かせればイイ」
「ん?ああ、こっちに用意してあるぜ?」
ボンは、そう応え、傍にあった小さな燭台に灯をともす。そして、先に立って歩き始める。
手伝う気はないのかと内心思いながら、俺は再びアルをかかえて後を追う。
ついて行くと、ボンは廊下の突き当りにある戸を開ける。机や椅子、戸棚の類が詰まった倉庫のような狭い部屋だった。とても人を休ませる場所なんか見当たらない。
疑問に思っていると、ボンは右手一番奥の戸棚の前に立った。戸棚を少し横へと押した。戸棚が移動した後には四角い闇が口を開けていた。
「隠し部屋サ」
ボンはニヤっと笑ってそう言い、燭台を片手に闇を下って行った。
それに続いて、足先で段を確かめながら狭い階段を下る。ボンは、あまり後ろを気遣う気もなさそうで、ほぼ真っ暗だ。
下った先には、やはりあまり広くなさそうな物置部屋があった。
燭台の灯りごときでは隅々までは計り知れないが、おそらく狭い。戸棚や積み上がった木箱。ガラクタが雑然と置かれているようだ。その中に、小さなテーブルを挟んで古びた長椅子が一対あった。
そこへアルを下ろした。ボンはアルに毛布をかけ、テーブルの上にあったランプに灯をともした。
一度、一階まで戻り、ボンが器用に俺の傷の手当てをしてくれた。手袋も袖も血がべったりと付き、固まり始めていた。ボンが言うとおり、確かに衣裳は使い物にならないな。
だが、よくこれだけで済んだものだと、あの状況を思い起こしてゾッとする。
馬術に、戦いの回避。どれもこれも、騎士だった親父に昔、嫌々ながらも教わった。日常生活に何ら恩恵はなかったが、思わぬところで役に立った。
ボンの意見を呑んだ後、逃走経路を下見したり、夜中に馬に乗らされたりした。行き当たりばったりな策なのかと思いきや、意外にも練り上げられていた。ボンに、そういう才はあるのかもしれない。
が、突入の時は、周囲の建物からロープに掴まって飛び降りるんだと言われた時、ボンは馬鹿なのか?と思った。他にチャンスはあるだろ、と提言したが、強く却下された。
まあ、結果的に、意外と意表を突いて良かったのかも知れない。けっこう高くて、着地で足をやられそうだったが。
ついでに言うと、こっちは戦うのに不馴れなのに、あの視界の悪い出で立ちは何だ。仮面と帽子のせいで危うく死にかけたぞ。完全に機能性は無視だろ。
薄々感づいていることだが、この男はタダでは起きない奴だ。この騒ぎに便乗して、人目に晒される一番目立つ形で俺を投入し、いつかこれを舞台の題材として使おうと思っているんだろう。その為に人に危険なことを平気でさせるとは。
しかも、自分の劇団の衣裳が勝手に使われた、とか被害者ヅラする気だろう。
まったく、いつもとんでもない目に遭わされる。もう、こいつに関わりたくはない。絶縁して帰ろうか。
「ところで、君は今、エアリアルの所についていてあげなくちゃダメだよ」
ジェンスは笑顔で小首をかしげながら言った。
眠っているんだから、別に放置しておいても大丈夫じゃないのか、と思いながらジェンスの顔を見返す。小首をかしげたまま、ニコニコ笑っている。何を考えているのか分からない。
「考えてもみなよ。あんな状況で、暗い部屋で目が覚めて誰もいなかったら怖がらないかい?」
そうジェンスは言うが、そういうことなら何も俺じゃなくても、誰でもイイだろ。それに、これ以上、アルに関わりたいとは思えない。
「何で俺が」
「そりゃあ、あの子が一番安心できるからだよ」
ねっ、と言ってジェンスはボンに同意を求めるように振り返る。傍らのボンと顔を見合わせ、互いに意味ありげな笑顔を見せる。感じが悪い。
「そうさ!そーゆーことサ!早く行ってやんなよ」
と、ボンが言いながら俺の両腕を後ろから掴む。傷を平気で掴みやがる。本人はそれにまったく気がついていないようだ。くそっ、無神経なヤツめ。
嬉しそうを通り越して、もはや企みしか感じられない二人の顔を不快に思いながら、再び地下へと向かう。薄気味悪い笑いの意味は量りかねた。
「密室に乗じて変なことしちゃあダメだよ」
背後でジェンスが言った。
「するか!」
ニタニタ声のジェンスに怒りを覚えながら、そう返す。
そういう意味か。先ほどからの含み笑いの意味が解った。
強く拒否する理由も思い当たらず、釈然としないまま地下室へと向かう。
階段を下りると、次第に空気の流通が乏しい地下室の澱んだにおいが感じられた。
アルの眠っている長椅子の向かいへ座る。
古い物じゃないと信じて、テーブルの上にあったビンの水だか茶だかをついで飲む。
なんとなく、慌ただしさから解放された気がする。
アルを見ると、少しやつれているように見えるが、見た目は以前とあまり変わってはいない。怪我も無さそうだ。
ただ、長かった髪が肩辺りでバッサリと切り落とされて拡がっている。おそらく根元から乱雑に切り落としたのだろう。決して見栄えの良い髪形とは言い難い。
白い顔。毛布からは細い手足が出ている。そこに残る縄の残骸が痛々しい。傍の戸棚をさぐり、うまい具合に引き出しに入っていたナイフで縄を切って外してやった。
今まで意識して見たことがなかったが、こんなに甲の薄い、細い手足をしていたのか。
素足に目の遣り場に困り、毛布を掛け直す。
どっと疲労感が増したように思える。
どこからともなく隙間風が吹く。
近くにあった大きな柱時計を無意識に見るが、よく見ると振り子も針も止まっていた。
寒い。こういう場所はあまり好きではないが、長椅子のすみに八つ足の巣がないかを警戒したあと、毛布をかぶり横になる。アルが起きた時に、ここなら嫌でも目につくだろう。
こうしてアルを助け出したものの、本当の意味で助け出されてはいない。皇帝が裏切者を赦すわけがない。何も解決していない。
アルに問いただしたい恨めしいことがあった。だが、それ以上に、整理のつかない思いもあった。
これから先、俺はアルにどう接し、どんな態度をとれば良いのか分からなかった。
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