再会
多発したゲートの出現にも片がつき、生徒たちには帰宅許可が出された。
しかし時刻はすでに夕暮れ時、どこかへ出かけるには少々、機を逸してしまっている。なので、予定は先送りとなり、また後日改めてマルスと行き先を決めることになった。
なかなかどうして、ままならないものだ。
「帰ったらどうしよっかなー」
狭苦しい空を見上げ、口をついて思いが漏れる。
いつもならバイトがある時間だが、アライブの一件で休職中の身だ。
幸いなことに、一ヶ月くらいなら喰うに困らない程度の蓄えはある。けれど、いざ収入源が断たれたとなると、気軽に金が使えなくなるのが難点だ。
せいぜい、誰かと遊びにいくときくらいしか、気兼ねなく使えない。使う気になれない。
金を使わないと時間を潰せなくなったのは、いつからだったっけ。
もう随分と昔だったように思う。
昔もなにも、まだ十数年しか生きてはいないのだけれど。
「――ん?」
上ばかり見ていると首が痛くなるので、そっと視線を正面へと移す。
すると、視線の先に決して見ていて気持ちの良いものではないモノが映る。
「また趣味の悪い」
道の先には、死体が転がっていた。
よほど深手を負っていたのか、血の池に浮かんでいる。
よくよく見てみると、その先にも何体かの死体が血だまりに浮いていた。
もともと人通りがすくない道だったけれど。通行人を一人も見かけなかったのは、これの所為か。
こういう光景を見るたびに、日本は心底平和だったのだと思い知らされる。日常生活で死体をみることなど、ほぼほぼない。あっても轢き殺された犬猫くらいのものだ。
だと言うのに、この街では見かけない日がないくらいだ。
この街の辞書に、治安維持とか生命の尊さとか、そう言う類いの言葉も意味も載っていない。
「どうするか……行くか、戻るか」
凄惨な殺人現場をまえに、思案する。
この道は自宅まで直通している。このまま進めば、すぐに自宅にたどり着いて熱いシャワーと柔らかいベッドにありつける。
特に今日は一騒動あって、はやく家に帰りたい気持ちがある。
けれど、やはり、この道を突っ切るのは得策じゃあない。
本来なら悩むようなことじゃあないんだけれどな。
俺も随分と、この街に染まったものだ。
そう心の中で苦笑しつつ、踵を返して殺人現場に背を向ける。
「――まだ生き残りがいたようね」
不意に耳に届く、女の声。
血だまりを歩く水音が、ゆっくりと近づいてくる。
ぴしゃり、ぴしゃり、途切れることなく。
「見逃してほしいんだけど」
その言い回しからして、背後にいるのはこれをやった犯人だろう。
なんて間の悪い。出来れば、見なかったことにして、会わなかったことにして、早々に立ち去りたい。
二時間ほどまえの俺は人助けに走って危険に首を突っ込んだが、この場に助けるべき人物はもうただの肉塊になっている。
命を張る理由が、一つもない。
「無理ね。仕掛けたのは貴方たちでしょう?」
仕掛けたのは? 貴方たち?
なにを言っている? まさか、そこで横たわっている死体の仲間だと思われているのか?
冗談じゃあない。
この短時間で二度も騒動に巻き込まれるなんて御免だ。
「まてまて。俺はそいつらの仲間じゃない。たまたま通りかかっただけだ」
「あら、そう。じゃあ、殺すわね」
聞く耳も持たないか。
「あぁ、もう」
悪態をついて、振り返る。
その刹那、ひときわ激しい水音が鳴る。
それは女が地面を蹴った音。加速した音。戦闘の開幕を告げる音。
「――起源武装」
右手に刀を握り、肉薄する女に対して刃を振るう。
深く抉るように放った振り返りざまの一撃。
それは、だが甲高い音を鳴らして受け止められる。刀身を介して手に伝わる衝撃と、たしかな抵抗に、戦況は鍔迫り合いの拮抗状態に陥った。
「なんだ、同郷か」
鍔迫り合いとなって初めて、女の容姿を正確に知った。
黒く艶のある長髪が靡き、それと同調するように桜色の着物が揺れている。
目は鋭く、表情は冷酷で、だからこそ口元を彩る薄紅が映えて見えた。
「さて、どうかしらね」
抑揚も感情もない返事を合図に、俺たちは互いを弾き合う。
そうすることで生まれた僅かな距離を、今度は互いに詰めに掛かった。
すでに両者ともに間合いの中、刃を伸ばせば届く距離にある。
一刀が、一振りが、一閃が、死線となる太刀筋の応酬。
極限を突き詰めたかのような時の中で、幾百幾千の剣戟を斬り結ぶ。
「――」
これだけ打ち込んで、まだ倒せない。
手加減している訳でも、手を抜いている訳でもない。
戦況は、こちらが押している。技量の上では優勢だ。
だが、彼女はこの剣技に食らいついてくる。
このままでは埒があかない。
「なら――」
一息に勝負を決めるため、刀身は焔を身に纏う。
「――その焔は」
瞬間、彼女の目が見開かれた。
驚愕したように、戸惑うように。
だから、そこに付け入り、焔刀を振るう。
燃えさかる太刀筋は、虚空を焼いて刃を断つ。
刀身の半ばで断ち切られ、鋒が宙を舞う。
それが地に落ちる前に、追撃の二の太刀を打ち込んだ。
「……外したか」
いや、正確には斬っている。
その桜色の着物ごと腹部を浅く。
だが、その程度では致命には至らない。
戦闘続行は十分に可能だ。
「……そう、そう言うこと」
大きく後退した彼女は、一人そう呟いた。
要領を得ない言葉だったけれど、それが妙に気になった。
「見ない間に、随分と軽くなったのね」
軽くなった?
「気がつかなかったわ。あまりにも剣が軽くて。その焔をみるまで、貴方だと思わなかった」
「なにを言って――」
「以前の――」
遮るように、彼女は言葉を紡いだ。
「以前の貴方が相手なら、私の首はすでに繋がっていなかった。貴方が私を仕留めきれなかったのは、それだけ剣が軽くなっていたから」
以前の、俺。
「嘆かわしいことね。今の貴方が放つ剣閃は、軽くて、空虚で、中身がない。いえ、負け惜しみかしらね。そんな貴方にすら、私は未だ及ばないのだから」
目まぐるしく、思考が巡る。
彼女の言葉を理解しようと、必死に脳は働いた。
そして、問うべきことを見つけ出し、口に出す。
「知って、いるのか? 俺がなにを失ったのか」
その喪失感の理由を、彼女は知っているかも知れない。
「教えてくれ。俺は、俺はいったい、なにを失ったんだ」
そう問うと、彼女は一瞬だけ目を逸らした。
そして、言葉を口にする。
「……失ったのなら、求めないほうがいいわ。貴方から無くなったものは、そう言う類いのものよ」
言葉の意味を、すこしも理解できなかった。
納得できない。
そんな言葉だけで片付けられるなら、とっくに整理は付けられている。
この耐えがたい喪失感の正体を突き止めたい。
突き止めなくてはならない。
「――残念、もう時間みたい」
そう彼女が言った直後、鮮血が舞い散った。
周囲の死体から、血の池から、桜の花弁のごとく舞う。
それは視界を覆い、彼女を隠し、見えなくさせる。
「まてッ!」
すぐに焔刀で焼き払った。
けれど、その時にはすでに彼女の姿は影も形もありはしなかった。
「……逃げられたか」
彼女は、たしかに知っていた。
俺の身になにが起こり、そしてなにが失われたのかを。
問わなければならない。彼女を見つけ出し、問い質さねばならない。
「次は、かならず。かならずだ」
見上げた空は相変わらず狭苦しい。
その狭い空に手を伸ばし、空を掴む。
決意を固めたように。
「あれ? コクト? 奇遇だな、こんなところで」
ふと声がして、そちらに視線を向ける。
その先にいたのは、以前に一度だけ会ったことのある少女。
ミズキだった。




