二人だけの秘密
「――あそこか」
駆け抜けた廊下の先には図書室があった。
扉は無残にも破壊され、踏み砕かれている。
この学校は街の性質上、魔物が入り込んでもある程度、耐えられるように造られているはずだ。建築技術や魔術によって。
なのに、ああやって打ち破られている。
それはつまり、先ほどの小物など比ではない強力な魔物が、図書室にいることになる。
そして、恐らくは逃げ遅れた生徒も。
「血のにおい。どっちのだ」
近づくほどに血がにおう。
それに焦りを憶えながら、図書室へと足を踏み入れる。
そこには激しい戦闘の痕跡が辺り一面に広がっていた。
倒された本棚。床に散らばった書籍。それを紅く汚す血だまりに、魔物の死体。どうやら踏み入ってきた魔物と、逃げ遅れた生徒は戦ったらしい。
そして、恐らくは善戦した。
だが、死体の数があまりに多い。
瞬時に状況把握を済ませ、視線は逃げ遅れた生徒を捜して彷徨う。
そのとき、派手な音が鳴った。
「そこか」
視線の先に捉えたのは、舞い上がる書籍だった。
まだ戦っている。
そのことを知り、生存を知り、安堵する暇もなく、駆けだした。
壁を蹴って倒れていない本棚に乗り、障害物をすべて排除して最短距離をいく。
そうして視界に捕らえた魔物は、二足で立ち、丸太のような腕を振り回している。姿はまるで熊のそれだ。周囲の本棚に爪痕を刻み、なぎ倒している。
その視線の先、標的となっているのは、傷だらけの女子生徒だった。
「間一髪だな」
本棚を足場に跳躍し、魔物と女子生徒の間に介入する。
「――え?」
困惑する女子生徒を後方に配し、迫りくる魔物に集中する。
魔物は介入者の存在などに戸惑わない。もろとも斬り裂こうと、その鋭利な獣爪を鎌のように薙ぎ払う。豪快にして大胆な腕力にモノを言わせた一撃に対して、こちらは緻密で正確な一刀をもって対抗する。
獣爪と剣閃。
二つが衝突し、軍配は当然のようにこちらに上がる。
「――aAAaAAAaaaaaaAAAaaaAaaAAaaA!」
刎ね上がった腕が宙を舞い、怯んだ魔物ははね除けられたように後退する。
その様子を眺めながら天井へと手を伸ばし、落ちてくる腕を掴み取る。そして捕食能力を発動し、その血肉と骨にいたるまでのすべてを食らい尽くす。
「よかった。再生能力は持ってないみたいだな」
刎ねた腕はもうこの世にはない。
隻腕となったあの魔物は、もう両手で狩りをすることは叶わない。
「よう、助けにきたぜ」
魔物から視線は外さず、背後の女子生徒に声をかける。
「え? え?」
どうやらまだ状況が飲み込めていないらしく、戸惑った声が耳に届いた。
「そこで大人しくしててくれ。あいつは俺がどうにかする」
聞こえているのか。意味を理解したのか。この状況では判断が付かないが、とにかく彼女にかけられる気遣いはここまでだ。魔物から怯みが抜けた。片腕を失った憎しみを、そのまま力に変えて奴は襲ってくる。
手負いの獣ほど厄介ともいう。油断は禁物だ。
「aAAaaaAAaAAaaaaaaAAAAaaaaaaAAAaaaaaaaAAAaaaaa!」
咆吼。
圧倒的な声量とともに、口から火炎が溢れ出す。
それは次なる攻撃の予兆であり、携えた刀を握り直した。
繰り出されるは、数多の炎弾だ。
燃えさかる炎の塊が、いくつも飛来する。
「生温いんだよ」
短く息を吐き、一息に剣閃を振るう。
繰り返すこと七度。描いた太刀筋は、いずれも炎弾を捉えて断ち切った。
雲散霧消し、炎弾による攻撃は無為に終わる。
大丈夫だ。倒せる。
あの時ほど、あのアライブほど、奴は強くない。
「終いだ」
床木を蹴って加速する。
魔物までの距離を一瞬で詰め、反撃として繰り出された獣爪が迫る。
だが、遅い。それがこの身を裂くまえに、この一刀はその身に届く。
焔を引いて煌めいた一閃は、虚空も、肉体も、世界も、一切の区別なく軌道過程を焼却する。あとに残るのは灰と、断ち切ったという事実のみ。
剣閃の果て、刀身が静止するとともに、魔物の半身は崩れ落ちるように伏した。
今度こそ、分かたれた半身が接着されることはない。
「す、すごい……」
やっと言語らしい言葉が聞こえて、背後を振り向いた。
彼女は心底驚いたような顔をして、口を開けている。
その頭に生えた獣耳も、忙しなくぴくぴくと動いていた。
「無事か? 傷だらけだけど」
「は、はい。大丈夫です、けど……生徒会の人、ですか?」
「あぁ、いや。俺はただの通り掛かりだ。たまたま襲われてるのが見えたから、助けに入っただけだよ。幸い、うまくことが運んでなによりだ」
あのとき、走り出していたよかった。
助けを呼びに行くことを選んでいたら、彼女は助からなかったかも知れない。
「あぁ、そうだ」
生徒会で思い出した。
俺はもう一度振り返って魔物の死体に手を触れる。
そして、そのすべてを捕食した。
「証拠隠滅っと」
この魔物を倒したのが俺だと知られると、いろいろと不都合が起こる。
俺自身にも答えが出せないことを、ほかの誰かに説明できる気がしない。
だから、ここには強力な魔物はいなかった。そう言うことにしておいたほうが、気が楽でいい。
その旨を彼女にも――獣人である女子生徒にも伝えようとしたところ。
「――コクト! ここにいるのか!?」
タイミング悪く、マルスがたどり着いてしまった。
いや、そう言ってしまうのはマルスに悪いか。
「あぁ、ここにいる。逃げ遅れた生徒も一緒だ」
「よかった。よく生きてやがったな、この野郎!」
そう返事が返ってきて、本棚を迂回したマルスと生徒会の何人かが現れた。
そのうち一人が俺のまえで立ち止まり、残りは後ろの女子生徒へと向かう。
「状況を説明してくれ。ここで何があった」
彼は、周囲の惨状を見渡して、そう問う。
だから、嘘をついた。
「俺がここに来たときは、小物が数匹だけだった。彼女は傷だらけで戦えそうもなかったから、代わりに俺が始末を付けたんだ」
「小物が数匹だけ? それで、この有様かい?」
薙ぎ倒された本棚。それに刻まれた深い爪痕。
現場の情報は、それは違うと訴えている。
だが、それでも平然とした顔で嘘を重ねた。
「あぁ、そうだ。ここには小物しかいなかった」
「――あの」
しかし、その嘘は、真実を目にした者には奇妙に映ったことだろう。
獣人の女子生徒は、困惑したように言葉を漏らした。
「どうかしたのかい?」
「えーっと」
言っていることが事実と違う。
彼女はそう言おうとした。
だから、彼女にだけ見えるように、俺はそっと口元に人差し指を立てた。
このことは秘密だと。
「……やっぱり、なんでもないです」
「なにか言いたそうだったが――」
更に追求しようと、生徒会は口を開く。
だが、これ以上の引き延ばしは勘弁願う。
「質問大会は後にしようぜ。いまは避難が最優先だろ? せっかく、助かったんだ。命は大事にしたほうがいい」
「そうだぜ。コクトが助けに入って、その子が助かった。それでいいだろ。はやいところ避難しようぜ。ゲートはまだまだ開くんだろ?」
「……そうだな。そうしよう、みんな訓練場に急ぐんだ」
マルスの意図しない手伝いもあって、この場の追求は避けられた。
俺たちは生徒会のメンバーに護られるように移動する。その過程で何度か魔物の襲撃にあったが、なんとか無事に訓練場にたどり着くことが出来た。
「では、僕たちは校舎に戻る」
「あぁ、ご苦労さん。頑張ってくれ」
「当然だ。それが生徒会の仕事だからな」
そう言い残して、生徒会のメンバーは訓練場を去って行った。
仕事熱心なことで何より、また質問大会が始まっていたら気が滅入るところだった。
「それにしも、大手柄だぜ。コクト。いつの間に戦えるようになったんだ?」
「たまたま上手くいっただけだって」
「本当か? 隠れて修行でもしてたんじゃあないのか?」
「そんな暇があると思うか?」
「ないな。ないない。ずっと遊ぶがバイトだもんな、コクト」
「だろ? まぐれだって」
そう言うことにして置こう。
実技はからっきしだったが、ぜんぜんまったく戦えなかった訳じゃあない。
調子がいい日くらいある。それは不自然なことじゃあない。
この身に宿った剣技と魔術のように不自然には映らない。
「あの」
そうマルスと話していると、服の袖を軽くひっぱられる。
振り向くと、助け出した獣人の女子生徒がいた。
「ありがとう御座いました。助けてくれて」
「あぁ、うん。どう致しまして」
お礼を言われるのは、どこか違うと思った。
俺の行動は独善で、成し遂げたのは降って湧いた剣技と魔術だ。
素直には受け取れない。
けれど、お礼を言ってくれた彼女のためにも、ここはその気持ちを押し込めることにした。
「それと」
そう言って彼女は背伸びをして、耳元でこう囁く。
「秘密にしておきますね」
どうやら俺の意図を汲んでくれたらしい。
彼女はそうとだけ言って、離れていった。
向かう先には友達と思われる数人の女子グループがある。彼女は迎え入れられ、どこかへと移動していった。恐らく、治療を受けにいくのだろう。
「なんだ? なんだ?」
「お礼を言われただけだ」
「うっそだー。絶対、なにかあっただろ」
「その根拠のない自信はどこから湧いてくるんだ? まったく」
そして、ことは終息へと向かっていく。
生徒会の活躍によって被害は最小限にとどめられた。
怪我人は出たが、死人は出ていない。
多発していたゲートの出現も、世界の修正力により空間が安定化することで鳴りを潜めた。
それまでが約二時間弱ほどの出来事。
放課後の波乱は、こうして幕を下ろしたのだった。




