魔境
太平洋の公海に浮かぶ孤島に形成された見えざる社会。
インビジブル・ソサエティーの街並みは、人間社会の尺度で言えば、常軌を逸している。
耐震基準法の存在意義を、真っ向から否定するような奇怪な構造をしたもの。
材質がとても地球産とは思えない不気味な質感と彩色をしたもの。
ナメクジのごとく移動するもの。
そもそも宙に浮いているもの、などなど。
数え切れないほど、沢山の奇妙奇天烈な建物が並んでいる。
中でもひときわ異彩を放つのが、我らが組織のボスが所有する日本屋敷である。
そこは、まとも過ぎて逆に浮いていた。
「仕事だ、コクト」
その周囲の景観から浮いた日本屋敷の一角にて、俺は新しい仕事を与えられていた。
「今度はどんな仕事なんだ?」
出された緑茶を啜りつつ、そう対面のミズキに問う。
「内容は大きく分けて二つ。一つ、とある令嬢をこの孤島の端までたどり着かせること。二つ、無事に家まで帰してやること」
「護衛の仕事ってわけか。ちなみにその令嬢はなんの目的でそんな辺鄙な場所に?」
この孤島の端と言えば、異界と繋がった影響で魔境と化している場所だ。
獰猛な動植物が、独自のいびつな生態系を築いている。とても危険な場所とされていて、好んで近づくのは、生物学者や命知らずの物好きくらいだろう。
「なんでも、そこにしか生えていない薬草を取りにいきたいんだってさ」
薬草?
「なら、仕事の内容は護衛じゃなくて採取なんじゃないのか?」
「私もそう思ったよ。でも、たしかに仕事の内容は護衛なんだ。依頼主――その令嬢によれば、とても他人任せにすることは出来ない、だそうだ」
「なんともまぁ。余程、手に入れたいんだろうな、その薬草って奴を」
そうまでして、確実に手に入れたい薬草がある。
その情報だけでも、その令嬢の考えは見えてくる。
誰かを助けたい。もしくは何らかの薬を完成させたい、だ。
「なんにせよ、仕事は仕事だ。受けた以上は完遂する。依頼人とは明日、ここで会うことになってるが」
「あぁ、問題ない。ちょうど明日は学校も休みだしな」
「よし。時刻についてだが――」
そのあとは詳しい打ち合わせと、魔境への対策会議を行った。
具体的な案が幾つか出そろい、会議が談笑へと移り変わろうとしていたころ。
「仕事には慣れてきたみたいだな」
ミズキは、そう言った。
「あぁ、お陰様で。初仕事以来、結構な頻度でお呼びが掛かるからな」
「それだけ価値があるって証拠だ。その剣技にはな」
そう。
この剣技には、それだけの価値がある。
「そう言えば薄紅について、なにかわかったことはあるか?」
「薄紅か。いや、残念ながら有力な情報は何一つだ。時折、目撃されるには、されているんだけれどな。件の金持ちやら、バウンティハンターやらが追い回すせいで、あと一歩が届かない」
「そうか」
すくなくとも、まだ生きてはいるらしい。
よくもまぁ、そんな連中に追いかけ回されて生きていられるものだ。
まぁ、彼女も彼女で、この剣技に食らいつけるほどの剣豪だ。
そう簡単にやられたりはしないか。
この分だと、彼女の身の心配はしなくても良さそうだな。
「心配するな。いつになるか保証はできないけど。必ず、コクトを薄紅のまえまで連れて行ってやるよ。約束だ」
「なら、その時を心待ちにしておくよ」
そう言葉を交わして、今日のところはお開きとなる。
それから明くる日の朝になって、俺は依頼主である令嬢と顔を合わせた。
「どうした? そんな妙な顔して」
困惑した。
とてもとても、困惑した。
端から見たミズキにもはっきりと伝わるくらい、表情に出るほどに。
「なに……してるんですか?」
令嬢――彼女には、とても見覚えがあったからだ。
美しい金髪に、絢爛なドレス。
凜とした顔立ちに、風貌に相応しい立ち居振る舞い。
名を、イリーナ・シッフルカフト。
「――生徒会長」
我が校の生徒会長である。
「それはこちらの台詞です」
でしょうね。
「なんだ? 知り合いか? コクト」
「知り合いって言うか。今後一切の関わりを断った相手って言うか」
なんというか、非常に気まずいことになった。
出来ることなら、今すぐにでもこの場から逃げ出したい。
「ふーん? まぁ、なんにせよ。仕事は仕事だ。遺恨は捨てて、ことに当たれよな」
「あぁ、それはもちろん」
先ほどからずっと、生徒会長の視線が痛い。
あれだけ白を切り続け、さんざんただの凡人だと偽った末のこの状況だ。
メッキが剥がれたというか。瓦解したというか。
よもや、こんな形で嘘がバレるとは、思いもしなかった。
「さて、それじゃあ仕事の話をしよう。いいか?」
「はい。少々気になることはありますが、構いません」
その気になることと言うのは、俺の存在なのだろうけれど。
いま優先するべきは仕事の打ち合わせだと彼女はわかっている。
ゆえに頭に浮かぶ疑問を胸に止めたまま、打ち合わせへと移行した。
「――と、言った感じだ。そちらの私兵を合わせた四人組での行動になる。まぁ、魔境に踏み入るんだ。迅速に行動するなら、このあたりの人数が適切だろう」
俺とミズキ、生徒会長。それに加えてシッフルカフト家の私兵が一人。
白い髪の彼女は、生徒会長の側で先ほどからずっと佇んでいる。
身じろぎ一つせず、意見も挟まず、ただ黙して事の成り行きを見守っていた。
「なにか質問は?」
「そうですね。疑うわけではありませんが」
そう言って、生徒会長はこちらをちらりと見る。
「貴方たちの実力のほどを把握しておきたいですね」
それは、俺を追い詰めるための言葉のように聞こえた。
実際、追い詰められている訳だけれど。
「ここにいる私兵のリフーと一度、刃を交わす、というのはどうでしょうか。互いの実力を推し量るという意味では、とても有意義かと」
「なるほど、良い案だ。それでいいだろ? コクト」
「あ、あぁ」
これでもう、完全に誤魔化すことは出来なくなった。
こうなった時点で、その望みは儚げなものだったけれど。
とうとう最後の望みも断たれたようだ。
しようがない。
組織の仕事に手は抜けないことだし、この仕事が終わるまでは嘘をつくのを諦めよう。
幸い、今回の件に学校や生徒会は関わっていない。
あくまでも生徒会長個人の依頼から発生した仕事だ。
不都合は、恐らく起こらないだろう。




