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処刑回避を目指して未来の私と共に清楚系令嬢の仮面を剥ぎとります  作者: 宗像 凪


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第26話

【大陸暦一二二六年十二月】


 冬の冷たい風が、王宮の庭園を吹き抜けていく。舞い散る落葉が、厳かな冬の訪れを告げていた。


 王妃アデライーデの失脚から一ヶ月。その衝撃は今もなお宮廷に大きな波紋を広げ続けている。グレンヴィル公爵は爵位を嫡男に譲って表舞台から姿を消し、かつて権勢を誇った王妃派閥は完全に崩壊した。離宮に幽閉された王妃には、もはや政治的な影響力など微塵も残されていない。


 私はヴィクトール殿下と、図書室の奥にある小部屋で密談を交わしていた。人目がなく、込み入った状況を整理するには最適な場所だ。


「状況を整理しよう」


 殿下がテーブルに資料を広げた。その表情は、かつてないほど真剣だ。


「フェリックス・バーネットは実家で謹慎中。ダミアン・クロウは収監。そして母上は……離宮に幽閉された」


「振り返ってみると、この一年で王宮内の勢力図は劇的に塗り替えられましたね」


 私が資料に目を落とすと、そこにはこの一年余りの出来事が時系列でまとめられていた。


「ああ。興味深いのは、失脚した者たちがことごとく、セシリアと深い接点を持っていたことだ」


 殿下が資料の一点を指でなぞる。


「フェリックスは彼女に心酔し、ダミアンはコンプレックスを巧みに利用された。そして母上は、彼女を自身の懐――執務の補佐として受け入れていた」


『全員、セシリアの便利な駒だったってわけね』


 アナの声が響く。


『で、駒はすべて盤上から消えた。なのに、セシリアだけが無傷で残っている』

(ええ。今のところ、彼女の立ち回りは完璧だわ)


「セシリアは今、完全に孤立しています」

「表面的にはそう見える。手駒をすべて失ったのだからな。しかし……」


 殿下が眉をひそめた。


「現実は、彼女は未だ『王太子の婚約者』として不動の地位にいる。兄上の信頼も揺らいでいない」

「むしろ、王太子殿下の彼女への依存は深まっているように見えますわね」


 先日見かけた二人の様子を思い出す。

 セシリアは王太子の隣に静かに寄り添い、柔らかな笑顔を浮かべていた。だがその光景は、王太子のほうが彼女に寄生している付属物のようにさえ見えたのだ。


「以前も話したが、やはり腑に落ちない点がある」


 殿下が資料の別のページをめくった。


「セシリアは王太子派にも王妃派にも、深く入り込んでいた」

「ええ、不自然なほどに」


「フェリックスとダミアンは王太子派の急先鋒。対して母上は、私を支持する第二王子派の長だ。本来、この両陣営は激しく対立する関係にある」


「普通ならどちらか一方に付くか、あるいは中立を保つはずですわ。両方の懐に飛び込むなど……」

「不自然極まりない。まるで、どちらが勝っても構わない――あるいは、両方を潰したいとでも言うような動きだ」


 その言葉に、私は息を呑んだ。


『その通りよ。あいつは最初から、両陣営を手のひらで転がしていたのよ』


 アナが鋭く断じる。


『どっちが勝っても良かった。いや、むしろ――』

(むしろ……両陣営を共倒れにさせ、弱らせたかった?)

『その可能性が高いわね』


 殿下は深く考え込んでいた。その瞳には、強い警戒と疑念が渦巻いている。


「しかし、それでは目的が見えない。セシリアは何を目指している? 王太子妃の座が目的なら、王太子派だけを磐石にすればいい。なぜわざわざ、対立する王妃派にまで接触したのだ」


「分かりませんわ……」


『駄目だわ。未来でのあいつを思い出してみても、分からない』


 アナの声が、悔しそうに響く。


『そもそも私は、セシリアが王太子妃という地位を狙っていると思い込んでいたのよね。でも、それは単なる手段に過ぎなかったのかもしれない』


(まさか、彼女が狙っているのは、この国そのもの……?)


 脳裏をよぎった不吉な推測を、私はまだ言葉にできなかった。確証がない。すべては霧の中だ。


「もっと調査が必要だ」


 ヴィクトール様が立ち上がり、窓の外を仰いだ。


「セシリアの過去を、徹底的に洗う。彼女の生い立ち、ローゼンタール伯爵に引き取られた経緯。そのすべてだ」


 振り返った彼の瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。


「あなたも疑問に感じたことはないか? セシリアは、単なる伯爵家の令嬢としては教養が深すぎる。……父上がふと漏らされたのを聞いて、私もようやく気づいたのだが」


「いえ、でも……私もセシリアと同じくらいには務まると思います。特段、疑問を抱くほどでは……」


「……何というか、あなたは自分の評価基準を一度見直したほうがいい」


 ヴィクトール様が呆れたように溜息をついた。


『リリィ、あなたねえ! 幼い頃から帝王学に近い教育を受けてきた私たちと、田舎から出てきた伯爵令嬢が対等に渡り合えるなんて、異常だと思わないの!?』


 アナの怒鳴り声が頭に響く。


(ねえ、私はいま馬鹿にされたの? それとも優秀だと言われたの?)

『どっちもよ! まったく……。でも言われてみれば、あの女は怪しすぎるわ』


「とにかく、セシリアには必ず人目に触れさせたくない秘密がある。諜報機関を動かし、すべてを暴き出すつもりだ」


「承知いたしました。よろしくお願いいたします」


    ◇


 その頃、王太子エドワードは執務室で頭を抱えていた。机の上には、処理すべき書類が山を成している。


「くそっ、なぜこんなに複雑なんだ!」


 苛立ちを隠さず、外交文書を叩きつける。隣国との通商協定――並ぶ専門用語の羅列は、彼の理解力を遥かに超えていた。

 そこへ、淡いピンクのドレスを纏ったセシリアが、柔らかな微笑みを湛えて入ってきた。


「エドワード様、お疲れのご様子ですわね」

「セシリア!」


 王太子の顔が、目に見えて緩んだ。彼女が傍に来るだけで、彼の硬直した心は解きほぐされていく。


「この書類、さっぱり分からなくてな。頭が痛い」

「お見せください」


 セシリアは書類を手に取ると、淀みなく要点を説明し始めた。


「これは隣国との関税率に関する提案ですわ。現在の税率を五パーセント引き下げることで、長期的な貿易量の増加を見込んでおります」

「ふむ……」


 生返事をする王太子は、内容の半分も理解していなかった。セシリアはそれを見抜きながらも、慈しみ深い微笑みを崩さない。


「私の考えを申し上げるなら、この提案は受け入れてもよろしいかと。商人たちからの支持も固まるでしょう」

「そうか。ならば、そうしよう」


 王太子は考えることを放棄し、彼女が示した場所に承認の印を押した。


「やはりセシリアの説明はわかりやすい。リリアナに聞くと、小難しいことが返ってくるばかりでな。幼い頃は、それも可愛らしかったのだが」

「ふふ、お褒めいただき光栄ですわ」


 その光景は、美しき令嬢が王太子を支えているように見えたが――彼女の翠緑の瞳の奥には、王太子の無能さに対する、微かな焦燥が滲んでいた。


    ◇


 翌日、王宮では定例の政務会議が開かれていた。

 病床から這い出した国王ルドルフを筆頭に、王太子、第二王子ヴィクトール、そして重鎮たちが居並ぶ。


「では、東方国境の警備強化について報告を」


 軍事担当の貴族が立ち上がった。

「陛下、国境地帯での小競り合いが増加しております。隣国ノルヴェリアの動きが活発化しており……」

「ノルヴェリア?」


 王太子が鼻で笑って口を挟んだ。

「あんな辺境の蛮族、放っておけばいいではないか」


 会議室が、一瞬で凍りついた。


「エドワード……」

 国王の低い声が響く。

「ノルヴェリアは武勇に長けた軍事国家だ。侮ってはならん」

「ですが父上、我が国の国力は彼らを遥かに凌駕しております。野蛮な連中など、我が国が本気を出せば……」

「お前は何も分かっていない!」


 国王が厳しい叱責で遮った。

「戦争は国力だけで決まるものではない。戦略、外交、補給……。そのすべてを軽視する者に、国を率いる資格はない!」


 屈辱に顔を歪ませ、王太子は沈黙した。


「ヴィクトール、お前はどう考える」

「はい、陛下。警備の強化は不可避です。しかし同時に、外交ルートによる対話も継続すべきかと。本格的な武力衝突を避けつつ備えを固める、それが最善と考えます」

「……ふむ。妥当な判断だ」


 国王が頷く。王太子は、弟が称賛されるたびに、憎々しげに拳を握りしめていた。

 その後も会議は続いたが、王太子は議論にまったくついていけず、的外れな発言をしては国王の失望を買うばかりだった。


「お前は何度同じ失敗を繰り返すのだ……」


 国王の言葉に、王太子は顔を真っ赤にして会議室を飛び出していった。その背中は貴族たちの目にはあまりに幼く、小さく見えた。


    ◇


 数日後、冬の社交シーズンが幕を開けた。

 王宮の茶会では、貴族令嬢たちの噂話が絶え間なく飛び交っている。


「セシリア様も大変ですわね。あのように王太子殿下を支えておられるのに」

「ええ。でも正直、やはりヴィクトール殿下の方が、王としての器をお持ちですわ」

「リリアナ様とヴィクトール殿下こそ、この国の理想の象徴に見えますもの」


 かつてのセシリア称賛の声は影を潜め、今や社交界の風向きは完全に変わっていた。


『面白いほど順調ね。王太子派は形骸化し、王妃派は消滅。残ったのは、あなたたちの支持派だけよ』


(ええ。でもセシリアは、まだあの笑顔を崩していないわ)


 私は視線を巡らせた。部屋の隅で数人の令嬢と談笑するセシリア。優雅な立ち振る舞いは変わらないが、その微笑みは、以前よりもどこか仮面めいた硬さを帯びているように感じられた。


 手駒をすべて失い、孤立したセシリア。しかし、彼女にはまだ「王太子の信頼」という最強の盾が残っている。それが、彼女の最後の拠り所のはずだ。


「リリアナ様、ヴィクトール殿下との婚約、本当におめでとうございます」

「本当にお似合いのお二人で」


 次々と掛けられる祝福の言葉に、私は微笑みで応えながら、静かに闘志を燃やしていた。


    ◇


 その夜、ヴィクトールは執務室で、一通の報告書に目を通していた。


「ローゼンタール伯爵の養女、セシリア……」


 記された内容は、一般に知られているセシリアの経歴と矛盾はない。だが、彼の直感は何かがおかしいと警告していた。


「セシリア・ローゼンタールについて、さらなる深層調査を命ずる。伯爵邸に入る以前の彼女の過去を、どんな些細なものでも残らず洗い出せ」


 冷徹な命令が、静かな室内に響いた。


    ◇


 十二月も末、窓の外では初雪が舞い始めていた。


『私がリリィの中に入って、もう一年四ヶ月になるのね』


 アナが感慨深げに呟く。


(ええ。長かったような、あっという間だったような)

『確実に前進したわ。フェリックス、ダミアン、王妃……復讐は順調に進んでる』

(次は、とうとうセシリアよね?)

『そう。あいつの正体を暴き、引きずり下ろしてやりましょう』


 雪が静かに世界を白く染めていく。

 セシリアの孤立は深まり、包囲網は着実に、その首元へと迫っていた。

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