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処刑回避を目指して未来の私と共に清楚系令嬢の仮面を剥ぎとります  作者: 宗像 凪


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第1話

【大陸暦一二二五年八月十五日・朝】


 朝の光がカーテンの隙間から差し込んで、私は目を覚ました。


 いつもと変わらない、穏やかな朝だ。窓の外からは小鳥のさえずりが微かに聞こえる。今日もまた、絵に描いたような良い天気になりそうだ。


 ベッドから体を起こすと、絶妙なタイミングで部屋の扉がノックされた。


「お嬢様、おはようございます」


 侍女のマリアが入ってきて、恭しく一礼する。

 茶色の髪を後ろで綺麗にまとめた、優しげな女性。五年も私に仕えてくれている、もっとも信頼できる侍女の一人だ。


「おはよう、マリア」

「本日のお召し物をご用意いたしました。こちらへどうぞ」


 マリアの手際よい動作に身を任せ、私は寝間着から淡い色彩のドレスへと着替える。

 鏡の前に立つと、輝く金色の髪と高貴な紫色の瞳を持つ自分の姿が映った。エスターク公爵家の特徴である、誇り高き血統の証。


 着替えを終えると、マリアが慣れた手つきで髪を梳きながら今日の予定を確認してくれる。


「午前中は家庭教師のレッスン、午後三時からはロゼンガルテン伯爵邸でのお茶会でございます」

「そうね。今日はセシリア・ローゼンタール様と初めてお会いする日ですもの。とても楽しみだわ。素敵なお友達になれると良いのだけれど」


 セシリア様は最近社交界にデビューした令嬢で、その教養と慈愛に満ちた振る舞いは、早くも貴族たちの間で評判になっていた。

 プラチナブロンドの髪に翠緑の瞳を持つ美しい方だと聞いている。新しい友人ができるかもしれないことに、私の胸は期待で踊っていた。


「お嬢様がお喜びで何よりです」


 マリアが鏡越しに微笑む。

 すべては順調。今日も、いつもと変わらない平和な一日になる――そう信じて疑わなかった、その時だった。


『――何やってんのよ、リリアナ』


 突然、頭の中に直接響くような声がした。

 女性の声だ。けれど、マリアの声ではない。もっと低くて、どこか投げやりで、それでいて鋭い響き。


「え?」


 私は思わず振り返った。けれど、部屋にはマリアしかいない。


『今日セシリアに会うの? 気をつけなさいよ』


 また声が聞こえた。今度は、鼓膜を通さず脳に直接刻まれるようにはっきりと。

 マリアは何事もなかったように、ドレッサーの上を整理している。


「マリア、今……何か、聞こえなかった?」

「は? 何がでございますか、お嬢様」


 不思議そうに首を傾げるマリア。どうやら彼女には聞こえていないようだ。

 でも、確かに聞こえた。女性の声が、私の頭の中から。


「い、いえ、何でもないわ。少し耳鳴りがしただけみたい」


 私は動揺を押し隠し、早々にマリアを退室させた。

 一人になった部屋で、私は深く息を吐く。

 幻聴? まさか、私はどこか体が悪いのだろうか。


『失礼ね、いきなり病気扱い?』

「きゃっ!」


 また声がした。今度は、まるで私の思考に返事をするように。


「誰なの!? どこに隠れているのよ!」


 私は半狂乱で部屋中を見回した。クローゼットの中も、厚手のカーテンの裏も。

 けれど、誰もいない。


『そりゃあいないわよ。私、あなたの「中」にいるんだから』

「頭の中……!?」


 私はパニックになり、自分の頭を両手で強く押さえた。


『痛い痛い! 押さえても私は消えないわよ。無駄な抵抗はやめなさい』

「あなたは一体……! 何が目的なの!」


『私はあなたよ、リリアナ』


 声が、ほんの少しだけ震えた。


『三年後のあなた。十八歳になった、リリアナ・フォン・エスタークよ』


 時が止まったように、私はその場で固まった。


 三年後の、私? 十八歳の?


「そんな馬鹿な話があるわけないでしょ! これは幻聴よ! すぐにお医者様を呼ばないと、大変なことに……!」

『幻聴じゃないわよ。それに、頭の病気でもないわ』


 声は落ち着いているように聞こえたが、その奥には悲痛なほどの必死さが滲んでいる。


『まあ、信じられないのは分かるけど……私だって、この状況が信じられないんだから』


 混乱する私を余所に、他人事のような、けれど諦観に満ちた口調。

 その声の響きに、私は抗いがたい「真実味」を感じていた。


「で、でも、未来の自分だなんて、そんな荒唐無稽なこと……!」

『証明してあげるわ。ベッドの下を見てみなさい』

「ベッドの下……?」


 私は半信半疑で、豪華な天蓋付きベッドの下を覗き込んだ。

 そこには、小さな木箱がひとつ。埃を被り、ずっと忘れていたものだ。


『その箱、開けてみなさい』


 言われるまま、私は箱を取り出して蓋を開けた。

 中には、一冊の日記帳。表紙には、見覚えのある繊細な刺繍が施されている。


「お母様の日記……」


 母は三年前、私が十二歳の時に病で亡くなった。

 この日記は形見として遺されたものだったが、目にするのが辛くて、私は誰にも言わずにベッドの奥底へ隠したはずだった。そして今まで、記憶の底で忘れかけていた。


『三ページ目を開けてみて』


 私は震える指先で、紙を捲った。

 そこには、母の丁寧な筆致で特別な何かが記されている。

 母秘伝の紅茶のブレンド方法。特別な祝祭日にだけ淹れてくれた、あの優しく温かな香りの紅茶。レシピは母しか知らなかったはずだ。


『アールグレイが二、ダージリンが三。それに、ジャスミン茶を少々』


 声が、わずかに詰まった。


『あなたの、一番好きな配合よね。お母様が、よく淹れてくれた』

「どうして……これを知っているの?」


 私は日記を、壊れ物を扱うように胸に抱きしめた。


『だから言ったでしょ。私はあなたなの。未来の、あなた』

「そんな……」


 否定できなかった。この隠し場所も、母のレシピも、私以外の誰一人として知るはずがないのだから。

 私はふらふらとドレッサーの椅子に座り込んだ。鏡に映る自分の顔は、幽霊のように真っ青だ。


『まあ、落ち着きなさいよ』


 声の主が、小さく溜息を吐く音が聞こえた気がした。


『説明してあげるから。ちゃんと、最初から』


 少しだけ声が柔らかくなった。私は、鏡の中の自分を見つめ返した。


「……説明を、お願いするわ」


 覚悟を決めて、私は呟いた。


『私は三年後――大陸暦一二二八年八月十五日に処刑されたの』

「処刑……!?」

『ええ。国家反逆罪という濡れ衣を着せられてね』


 声が一瞬、途切れた。


『断頭台で、首を刎ねられたわ』


 淡々とした、まるで他人の悲劇を語るような口調。

 けれど、私の背筋には凍り付くような寒気が走った。


「そんな。私が、処刑なんて。何かの間違いよ!」


『信じられないでしょうね。私も最初はそう思ったわ』


 声が、わずかに震えた。


『でも、刃が落ちる瞬間のあの冷たさは、本物だった。痛かったわよ、一瞬だけど……って、何言ってんのよ私。もう終わったことじゃない』


 自嘲的な笑い。けれどその響きは、血を流しているかのように痛々しかった。

 喉が、砂を噛んだように乾いていく。処刑。断頭台。自分の死。


『そして気づいたら、ここにいたの。今日は一二二五年八月十五日でしょ?』

「ええ……」


 壁のカレンダーを仰ぎ見る。確かに、今日は八月十五日だ。


『私が処刑されたのは、三年前の一二二八年八月十五日。つまり、ちょうど三年前の同じ日に戻ったわけ』

「三年前に……回帰したというの?」

『よく分からないけど、とにかく私の意識があなたの中に現れた。一つの体に、二つの人格ってわけ。まさかこんな展開、三流小説でも読まないわ』


 私は自分の両手を見つめた。白く柔らかなこの手が、三年後に処刑台で縛られるというのか。


「でも、どうして処刑なんて……私は何も悪いことをしていないし、するつもりもないわ!」

『だから、濡れ衣よ。全部、セシリアって女の仕業』

「セシリア……って、まさか」


 その名を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。


『今日の午後、あなたはお茶会でセシリア・ローゼンタールに会う。違う?』

「ええ……初めてお目にかかる予定よ」


『この女が――』


 声が、地を這うような低さで響いた。抑えきれない怒りと、煮え繰り返るような憎悪が滲んでいる。


『すべての、元凶よ』


「そんな、まさか。彼女は……」

『セシリアは清楚で優しい完璧な令嬢を演じて、王太子を誘惑したのよ。エドワード殿下、あなたの婚約者をね』

「殿下を……奪われるというの?」


 私は息を呑んだ。確かに私は、エドワード殿下の婚約者だ。

 けれど、殿下が他の女性に心を奪われ、私を裏切るなんて想像もできない。


『そうよ。私という婚約者がいながら、エドワードはあの女に骨抜きにされた』


 声が苦しげに、絞り出すように続ける。


『そして最後には、私をゴミのように捨ててセシリアを選んだ。婚約破棄され、ありもしない罪を被せられ……そして私は殺された』

「そんな……っ」


 頭が混乱する。殿下が、私を捨てる? 公爵家の誇りを踏みにじり、私を殺すというのか。


『セシリアの完璧な演技に、誰もが騙されたわ』


 声が、ふっと弱くなった。


『私も投獄されるまで、あの女を友人だと信じてた。本当に、馬鹿な女だったわ、私』

「でも……セシリア様は、素晴らしい評判の令嬢だと聞いているわ。そんな方が、そこまで酷いことをするなんて、とても信じられないわ」


『全部、演技なのよ』


 声が鋭く、空気を切り裂く。


『あの女は、稀代の女優よ。慈愛に満ちた笑顔も、謙虚な態度も、すべては目的のための計算』


 私は首を横に振った。信じたくなかった。

 今日の午後、新しい友人に出会えると、あんなに楽しみにしていたのに。


『信じないなら勝手にしなさい』


 声が、投げやりな響きに変わる。


『でも午後、セシリアに会ったらその眼でよく観察しなさい。あの女の邪悪な本性を、いずれ思い知ることになるんだから』


 私は何も言い返せなかった。

 母の日記の件は、動かしがたい事実だ。この声が未来の私だという確信は、恐怖と共に私の内に根付いてしまった。


『まあ、今は信じなくてもいいわ』


 声が、どこか自嘲的に笑った。


『そのうち分かる。嫌というほどね。私が、そうだったように』

「あなたは……未来の私は、これからどうしたいの?」


『決まってるでしょ』


 声は、冷たく澄んだ、確固たる意志を込めて答えた。


『復讐よ』

「復讐……」

『セシリアの化けの皮を剥いで、私を陥れた奴ら全員を地獄に叩き落としてやる』


 声が震えている。燃え盛るような怒りか、それとも堪えきれない涙か。


『それが、私がここにいる理由。……多分ね』


 私は深く、長く息を吐き出した。

 未来の、処刑された私。そして、血を吐くような思いで復讐を誓った私。


「……私、どうすればいいの?」

『とりあえず、今日のお茶会ではセシリアをよく観察しなさい』


 声が少しだけ落ち着きを取り戻した。


『様子を見て、私の言うことが真実か確かめればいい。まだ受け入れられないでしょうしね』

「わかったわ」


 私は立ち上がり、鏡を凝視した。

 金色の髪と紫色の瞳。見た目は何も変わっていない。

 けれど、この体の中には、もう一人の凄絶な過去を持つ「私」が同居している。


『まあ、心配しないで』


 声が、先ほどよりも少しだけ優しく響いた。


『私がついているわ。今度こそ、あんな惨めな結末にはさせない』

「……ありがとう」

『礼なんていいわ。私はあなたで、あなたは私なんだから』


 声が、ふっと微かに笑った。


『一緒に、運命を変えましょう。今度こそ、あいつらを許さない』


 私は鏡の中の自分に向け、小さく頷いた。

 すべてが現実味を欠いた出来事だ。けれど、母の日記が教えてくれた。この声は、偽らざる自分自身なのだと。


 午後のお茶会。

 セシリア・ローゼンタール。

 破滅への入り口となる、運命の出会い。


 私は、そこで何を目にすることになるのだろう。


 窓の外では、残酷なほどに眩しい夏の太陽が、世界を照らし続けていた。

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