15-3 暴徒は人に非ず
かつてスィーニーは期待を込めて、南方調査に臨んだ。スィーニーは生まれも育ちも西方大陸だ。しかし人種的には、スィーニーのルーツはこの地方にある。
貧困に喘ぎ、道端に転がる餓死者も珍しくない。不衛生で、街のあちこちにゴミが散乱し、どこもかしこも汚物の匂いが漂う。笑顔の子供達は、汚い家屋の壁に口をつけ、壁をつたう汚水をすすっている。
為政者達は至福を肥やし、独裁政治を続けている。利権構造が第一次産業を死滅させている。そもそもこの土地の多くの人間は非常に怠惰な性質を持ち、建設的な方法で現状を打破しようとしない。
落胆し、失望し、消沈しながらスィーニーは、調査を続けていた。表向きは行商人であるスィーニーであるが、その正体はア・ドウモの海外調査員であり、時として工作員の役割もこなす。
スィーニーはただの歯車ではない。ア・ドウモにおいては管理局と呼ばれる組織に所属し、管理者と呼ばれる人物直属の、エリート幼年工作員である。
南方の調査中、スィーニーは一人の少女と仲良くなった。スィーニーが泊っている宿の娘だった。こんな環境でも、子供達は元気で明るい。スィーニーともすぐ打ち解けた。
やがてその国に革命が起きた。独裁体制を打破すると訴える暴徒達が何をしたかと言えば、店を襲い、女子供を襲い、手あたり次第の略奪だ。
『革命の騒ぎに巻き込まれないよう気をつけてください。決して関与しないように。貴女の使命はただ見届けるだけです』
「わかりました……。メープルC」
ア・ドウモの大いなる管理者でもある人物の命令に、スィーニーは自分の感情を殺す努力を行い、頷く。
宿の外からは悲鳴が聞こえた。その声の主をスィーニーは、知っていた。仲良くなった宿屋の娘だ。しかしスィーニーは心を殺して、何もせずにいた。自分にとって絶対者とも言える人物の命令を守った。
革命騒ぎが終わり、陰から傍観に徹していたスィーニーは、宿屋の前であの少女を見つけた。
少女は原形を留めていない肉塊となっていた。しかしかろうじて顔の半分が残っていたので、あの少女だとわかる。残った片目が大きく見開き、恨めしげに虚空を睨みつけているかのように、スィーニーには見えた。
「うげーっ! げえェーっ!」
スィーニーは少女の屍を見て嘔吐する。
「何であんたが……こんな目に……? 何で私は……知ってて……げぇぇっ!」
少女が襲われていることを知っていて、知らぬ振りをしていたことを意識し、猛烈な罪悪感がこみ上げ、再び嘔吐する。
「こんなにすることないじゃない……」
(こんなになっても放っておいたくせに)
少女だった肉塊に手を伸ばして泣くスィーニーに、嘲りと蔑みの声がかかる。
「痛かったでしょ……怖かったでしょ……」
(何なん? その台詞。あんたが助けなかったからこうなったんじゃない。この偽善者)
肉塊に向かって声をかけるスィーニーの頭の中で、もう一人のスィーニーの声が響き続ける。
***
一日が経過した。
旧鉱山区下層部区部長ランドは朝早くから、山頂平野を訪れた。馴染みの先輩から呼び出されたのだ。
「はあ……何でこんな朝早くから……つーか、ここにはもう来たくなかったな」
上流階級の住宅街に入ったランドは、街の風景を見てぼやく。若い頃はここに勤務していた。
豪奢な邸宅の一つに入る。
「よく来てくれた、ランド」
もう初老になろうかというかつての上司が、笑顔でランドを出迎えた。
応接室に通され、高価な茶を出される。ランドは居心地が悪かった。昔は当たり前の風景であったが、今は場違いだと感じてしまう。
かつて上司だった彼は、現在は騎士ではなく、連盟議員の一人となっている。
「君は下層市民と仲良くやっているそうだね」
にこにこ微笑みながら、議員が用件を切り出す。
「現在、市民と貴族が一触即発の間柄になっている。君と馴染みのある者を集めて、話し合いの場を作ってくれないかね。市民の不満を現場の騎士が聞くための場というコンセプトだ。その様子を公開することで、市民の不満を抑えたい」
「そんなの上手くいきますかねえ……。つーか、やるにしても遅すぎでしょう」
馬鹿馬鹿しいと思いながら、思ったことを遠慮無く口にする。ランドのこうした性格も、この議員は織り込み済みだ。
「上手くいくかどうかはわからん。遅いのもわかっている。しかし何もしないよりはマシだろう」
「そりゃそうですがね。判断と決定の遅れた上のフォローを、下がやらなくちゃいけないという構図。そう、まさに尻ぬぐいという言葉がぴったりですな」
「尻は下についているから仕方ないな。我々は耄碌して自分の尻も拭けない有様だから、若者に頑張ってもらわなくては」
皮肉るランドに、議員は笑顔のまま自虐的な冗談を返した。
「俺はもう若くありませんぜ」
「私よりは若い。そして私は君には期待している」
そんな期待はかけてほしくないと思ったランドだが、流石にそこまでは言えなかった。何のかんの言って、かつての上司であるこの議員は、自分によく目をかけてくれるし、お偉いさんの中では数少ない理解者であったから。
***
チャバックは朝早くから宅配の仕事で、山頂平野を訪れた。昨日と来た場所と同じ住宅街へと向かう。
道を歩くチャバックが、数多くの足音を耳にして振り返る。
怒れる群衆が、木槌、金槌、棍棒、スパナ、鉈、鎌、鍬、鋸、鋤といったものを手にして、緩やかな坂道を怒涛の勢いで駆けあがってくる。
「貴族共の居住区まであと少しだぞーっ!」
「俺達から奪ったものを全て取り返してやれーっ!」
「おいそこの餓鬼! 邪魔だどけーっ!」
「わわっ……」
怒声をあげて迫る群衆を見て、チャバックは慌てて道を開けた。
(一揆……?)
チャバックも以前、一揆を一度だけ見たことがある。平民達が武器を取って集まって暴れようとしていたが、あっさりと黒騎士団に取り押さえられてしまった。
(でも今回黒騎士団は? 町にいる人達が襲われちゃうよう)
顔馴染みの貴族の婦人達が危ないと思い、急いで後を追う。
チャバックが住宅街に着くと、すでに平民達が怒号をあげながら暴れていた。
「俺達から搾り取った税金で贅沢しやがってー!」
「おい、この彫像、俺の五ヶ月分くらいの給料はありそうだぞっ。糞がっ!」
「エニャルギーも潤沢に使ってやがるなあ! こっちはお前等のせいでエニャルギー不足だってのに、泥棒野郎が!」
「アダヂ、キゾグのイケメンをずっこんぱっこんジダイ! ズズズ……。キゾグのイケメンドゴ!?」
貴族の家宅に押し入ってものを盗む者もいれば、暴行を働いている者もいる。それを見てチャバックは震えあがる一方で、見境無しの暴力に対し、おぞましいと感じていた。
知り合いの婦人達が井戸端会議をしている場所へと移動するチャバック。そこで婦人達が、暴徒達を相手に応戦している場面を見かけた。
婦人達は列を作って、襲い来る暴徒を投げ飛ばし、あるいは短剣を振り回している。実は彼女達は元黒騎士や白騎士の所属であり、実戦経験も豊富であったが、いかんせん暴徒達は数が多い。
「やめなさい! か弱い女性相手に数人がかりで、恥ずかしくないのですか!」
婦人の一人が一喝する。
「俺達から搾取して贅沢こいている恥ずかしい奴等に言われたくねーっ!」
「そうだそうだ! 俺達は奪われたものを取り返しに来ただけだ!」
「ワダジはキゾクのイケメンとぱこぱこシニキタダケーッ!」
「悪因悪果! 因果応報ーッ!」
ひるむことなく婦人達に襲いかからんとする暴徒達。
「やめろーっ!」
チャバックが大声で叫び、そのあまりの声の大きさに、暴徒は立ち止まって振り返った。
「何だこのキモいガキは」
「ブサイクだねえ。正義の味方ごっこか? 悪党はこいつらなんだよっ。引っ込んでろ。さもないと餓鬼だろうと容赦しねーぞ」
「ゆにーくで可愛イ。アアイウ子も悪グナイ。イタダキマーズ!」
チャバックを見て暴徒がせせら笑い、恫喝し、小太りの女が涎を垂らして襲いかかる。
「チャバック君、逃げて!」
「逃げない……」
婦人の一人が小太りの女を転ばせて叫んだが、チャバックは覚悟を決めた顔で、呪文を唱える。
チャバックが胸の前で掌をかざすと、掌から赤い炎の塊が出現する。
「何だこいつ、魔術師か?」
「ヤバくないか?」
「火球の魔術くるーっ!?」
暴徒達がざわめく。チャバックに襲いかかろうとした小太りの女も立ち止まる。
「でーいっ!」
気合いと共に、赤い炎塊を暴徒たちに向かって放つチャバック。
炎の塊が暴徒達の前で弾け、道のあちこちに火が飛び散る。
「うわっ。この餓鬼、魔術師だ」
「あの目つき、ヤバいぞ……。俺は逃げるっ」
「うわっ、確かに殺す気満々だーっ」
暴徒達が喚き、一目散に逃げて行く。
(覚えたばかりの二つ目の魔術、うまくいった……。スィーニーおねーちゃんの言う通りにしてよかった)
スィーニーに、護身のために戦闘用の魔術も覚えておいた方がいいと言われていたチャバックである。二つ目に覚えた火炎球の魔術は、チャバックととても相性がよかったため、すぐに習得することが出来た。
「お姉さん達、町の外に逃げようっ」
チャバックが婦人達を促す。
「待ってっ。私の娘がまだ家の中にいるのっ」
「亭主もいやがらねーから、家の中にあげさせまいとして、私達で頑張ってたのよっ。はい、解説終わりっ」
「他の人達も避難させた方がいいわね」
婦人達が口々に喋っている間に、さらに何倍もの暴徒がやってくる。
「早く逃げないと……オイラ、あの魔術は一回使うとしばらく次が使えない……」
「わかったわ。チャバック君、私におぶさって」
「ええ……」
婦人の一人の提案に、嫌そうな顔になるチャバック。この歳になって女性のおんぶする自分という構図を想像して、非常に恥ずかしく感じられた。
「チャバック君の足では速く走れないでしょ」
「ママ、あれがあるよ」
貴族の娘の一人が何やら提案した。
「そっか、あれがあるわねっ」
婦人の一人が邸宅の敷地内に入ると、リヤカーを引いて戻ってきた。
リヤカーにチャバックを乗せて走り出す貴族の婦人。他の婦人や、その子供達、召使い達も一緒に走り、殺到する暴徒達から逃げていく。
***
昨日は街のあちこちで街頭演説が起こった。現状のア・ハイの体制への不満、K&Mアゲインへの期待、逆に平民を貶める選民派貴族の主張など、首都ソッスカーはかつてないほど混沌としていたように、スィーニーには見えた。
一触即発の状況で、いつ暴動が発生するかと注視していたスィーニーだが、結局昨日は何も起こらなかった。
しかし今朝――
「うるさい……んよ」
ベッドに寝ていたスィーニーが呟き、気怠そうに寝返りをうつ。
大勢の人の声。怒号。悲鳴。何故こんなにうるさいのかとそこまで頭を働かせたところで、スィーニーの意識が一気に覚醒する。
カーテンを勢いよく開け、宿屋の二階から窓の外を見たスィーニーは、大きく目を見開いた。
「貴族共をぶっ殺せ!」
「あいつらこそ俺達を苦しめている害虫だ!」
「革命じゃーっ! 革命を起こすんじゃあぁーっ!」
暴徒達が押し寄せ、叫びながら、上流階級の住人達の邸宅を襲っていた。そして中から金目の物を運び出している。
忌まわしき記憶がスィーニーの脳裏に蘇る。南方の貧しい国で起きた、あの革命騒動。革命と喚きながら、暴徒達のしていることは、見境の無い略奪と暴行と破壊だった。人間が理性の無い獣と成り果てた、おぞましい光景だった。
「動揺……しなくていい。今回も、任務……任務を……果たさないと……。観察して、報告する……それだけでいい……」
スィーニーは呆然とした顔で震えながら、自身の混乱を落ち着かせるために、必死に自分に言い聞かせる。
「任務……任務を優先させて……。あの時のように……」
青ざめた顔で呟いた直後――
(あの時……)
肉の塊となった少女の顔がフラッシュバックする。
「ぐっ……」
吐き気を催すスィーニーであったが、口に手を当てて、何とか堪えた。
再度、窓の外を見て、スィーニーは大きく目を見開いた。
そこに見知った顔があった。貴族の中年女性が、チャバックを乗せたリヤカーを走らせている。その周囲には何人もの貴族の女性や子供達が、一緒に走っている。
(何でここにチャバックが……。私が泊ってた宿のすぐ外に……何でいるん? 何でよりによってそんな所で暴徒に襲われて……)
口に手を当て、その場にへたりこむスィーニー。
(これは運命の悪戯? 運命の悪意? 神様が私を試してるん?)
再び肉塊となった少女の顔がフラッシュバックする。少女の顔が、チャバックの顔と重なる。
(義父さん……私……義父さんのように、自分が正しいと思った方に進んでいいの? でも、そうしたら、私も義父さんのように……)
心の中で問いかけるスィーニーだが、もちろん答えは返ってこない。
「任務……命令……メープルCの命令は絶対……」
うわごとのように呟きながら、スィーニーは立ち上がると、窓の外を見た。
次の瞬間、スィーニーは勢いよく窓から飛び降りて、俊足で駆ける。
すぐに追いついたスィーニーが、逃げるチャバック達と、それを追う暴徒の間に立つ。
「スィーニーおねーちゃん!」
チャバックが驚きの声をあげ、リヤカーが身を乗り出し、その弾みでリヤカーから落ちてしまった。
「チャバック君!」
リヤカーを引いていた婦人が足を止める。他の貴族達もつられて足を止める。暴徒達も立ちはだかるスィーニーの姿を見て、足を止めた。
スィーニーは普段から露出度の高い服装であるが、寝起きそのままで飛び出してきたため、現在は完全に下着だけの扇情的な格好だ。しかしその両手には、それぞれ鎌剣が握られている。
「な、何だこの娘?」
「貴族の情婦か?」
「俺達のお相手もしてくれよ。なあ」
仁王立ちのスィーニーを前にして、ある者は不審がり、ある者は下卑た笑みを広げている。
「私のサファイアの瞳に……もう、あんなもん、見せんな」
ハルパー二刀流のスィーニーが、瞋恚に燃える瞳で暴徒達を見ながら言い放つと、早口で呪文を唱える。
二振りのハルパーの刀身から、青い光が放たれた。光はハルパーと同じ形状で留まる。ただし、刃は人より大きい。
スィーニーが交互に鎌剣を振るう。青い光の刃が暴徒の体を通り過ぎる。
暴徒二人の首が飛び、一人は肩から脇腹にかけて斜めに体を両断されていた。
一瞬にして三人が殺害されて、暴徒達がひるむ。
「あんた達……お前等……怒りと勢いに任せて、他人を傷つけ、奪い、壊す――暴徒になったその瞬間から、お前達は人じゃないんよ。人の皮を被った、人じゃない別物だ。人に害を無す害獣だ。悪魔だ。人ではないおぞましく醜悪な、呼吸する汚物だ。そういうのはさァ、もう人じゃないから、殺していいんだよ!」
スィーニーが憤怒の形相で言い放つと、さらに剣を振るう。さらに二人の暴徒が切断される。
暴徒達はここにきて、恐怖に駆られて逃げ出したが、スィーニーは逃がすまいと追撃した。
「お前達があの子を殺しやがった! あの子を……あんなに酷い姿にする必要あったん!? ふざけんな! 死ね! 地獄に堕ちろ! 地獄で永遠に苦しめ! 永遠に救われることなく地獄で藻掻き苦しめ!」
叫びながら、スィーニーは剣を振り続ける。逃げる者達よりはるかに足が速い。後ろから斬りつけ、ハルパーから伸びる青い光の刃で、暴徒達の体がさくさくと切られていく。
やがて一人残らず暴徒を切り捨てると、スィーニーは、今度は死体めがけて剣を振り始めた。
「スィーニーおねーちゃんっ、もう死んでるよっ! 皆死んでる!」
チャバックが叫ぶと、スィーニーははっとした、動きを止めた。そして自分が死体の山を築いたことを意識し、慄然とする。
「あの子どうしたのかしら?」
「何か嫌な思い出があるのよ、きっと……」
「可哀想に」
貴族の婦人達がスィーニーを見て囁く。
「ママー、あのおねーちゃん怖い」
「私達を助けてくれたのよ。そんなこと言っちゃいけません」
脅える幼い娘を抱きしめながら、母親が柔らかな口調で叱る。
「ママー、あのおねーちゃんのおっぱい、ママのおっぱいよりおっきい」
「私達を助けてくれたのよ。そんなこと言っちゃいけません」
「痛い痛いっ。ごめんなさあいっ」
へらへらと笑う幼い息子の頬をつねりあげて、母親が悪鬼の形相となって叱る。
「はははは……」
スィーニーが空を仰ぎ、乾いた声で笑う。
「はは……あはははは……何やってんだろ……私……あはは……うっ……ううう……」
乾いた笑い声は、途中から嗚咽に変わった。




