15-1 温められていくナニカ
首都ソッスカー山頂平野。貴族達が住む高級住宅街に、医師のケープは朝早くから往診に訪れた。
貴族であるベルカ家の当主カイン・ベルカは、貴族連盟の議員も務める、選民派の大貴族だ。かつては正道派であったが、平民の暴動によって妻を殺されて以来、選民派になってしまった。そのうえ精神を病み、奇行が激しい。
「来る! もうすぐ来るぞ! 平民共に裁きの時が来る! カナカナカナカナカカナッ!」
ケープの前で、寝間着姿のカインが血走った目で柱にしがみつき、蝉の真似をしながら喚いている。
「今日は特に酷くて、早朝からずっとあの様子です」
カインの息子で、黒騎士を務めるアベルが悲しげな顔で言った。
(この子は……未だに父親のことを諦めていないのね。他の三人の身内はもう……)
ケープはカインの様子を見て思う。似たような症状が続く者達を他にも診ているケープであるが、それらの身内は、もう患者に回復の見込みは無いとして、諦めている気配があった。あるいは日常として受け入れている。そうするしか無いので、自然とそうなったのだ。
「コミュニケーションをとれる時間も少なくなっています。それに加えて、平民への憎悪と怒りが、どんどん強くなっていて……。父上は、ずっと心の迷宮に囚われてしまい、抜け出せないかのようです」
アベルが口にした、心の迷宮に囚われるという表現は言い得て妙だと、ケープは思う。
「穢れに満ちた魂を浄化してやるのだ! 平民共は全て奴隷化だーっ! 我々貴族にただ奉仕するためだけに生きろ! 貴様等はただ存在するだけで罪! その罪を贖いながら生きるのだー! カナカナカナカナ!」
「今日はカウンセリングも無理そうですね。取り敢えずお薬を処方しておきますね」
涎を垂らし、小水も垂らしながら喚き続けるカインを見て、ケープが言った。
「いつもありがとうございます」
深々と頭を下げるアベルを見て、ケープは激しく胸が痛む。
(これは必要なことよ。この国のために必要な犠牲)
黒い棘のようなものを無理矢理飲み込むかのような感触を覚えながら、ケープは自分に言い聞かせる。
「次は……マイアー家とアンヘル家とグランジェ家ね」
ベルカ家の敷地を出ながら、今日往診する予定の貴族の名を呟くケープ。全て選民派の貴族達だった。
***
旧鉱山区下層黒騎士団詰め所。
黒騎士団の旧鉱山区下層部区部長ランドは、一つ残った目でぼんやりと室内を見渡す。あまり清潔とは言い難い薄汚れた部屋。ここに配属された騎士は、部下も少々不真面目だ。過去に問題を起こした者や、性格に難のある者ばかり送られてくる部署であるが故、そうなってしまう。仕事の内容もお察しだ。
ランドはそんな中でもましな方だった。積極的とは言い難いが、問題が発生すればきちんと対処する。
部下の中には、ランドが命じないと、民の訴えを無視するような者もいる。そんな部下を見ても、ランドは特に苛立つ事も無い。彼等の気持ちもわかる。出世コースから外れた掃き溜めであるうえに、周囲の環境もよろしくない。様々な悪条件が重なり、仕事への意欲は低下してしまう。
鏡を見るランド。覇気の無い顔の男が映り、さらに気持ちが沈む。この顔を見て、部下達もやる気を失くし、あるいは敬遠しているのだと意識し、さらに憂鬱になる。
(あの時、あれが無ければ……)
ランドは過去の失態を振り返る。
過去、ソッスカーでは小規模な一揆が度々あった。それらの蜂起で、平民はもちろんのこと、貴族側に犠牲が出る事も珍しくない。
正道派の貴族であるランドは平民寄りであるが故に、暴動時も平民側について説得に当たる。しかし平民達は、普段こそ正道派の貴族を頼りはするものの、一揆の際には興奮しすぎで、選民派も正道派も区別せずにまとめて貴族を敵視してしまう。
説得しきれない時は、暴徒と化した平民相手に剣を抜かねばならない場合もある。しかしランドはその見極めを失敗した。説得できないと判断して、剣を抜かねばならない時に抜かなかった。
『頼むから退いてくれ! 俺達に剣を抜かせないでくれ!』
自分の声を思い出す。
『隊長! もう無理です!』
『これ以上説得は通じません! 攻撃命令を!』
部下達の悲痛な叫びを思い出す。
『黒騎士団も同じ貴族だ! 俺達の味方面していやがるが、俺達の暮らしはちっともよくならねえ!』
『そうだそうだ! どうせこいつらも俺達から搾り取った税金で、いい暮らししていやがるんだ!』
『貴族は皆殺しだ!』
『うおおおーっ! やっちまえーっ!』
平民達の怒号を思い出す。そして次の瞬間、ランドは片目を失った。
混乱して倒れている間に、部下達の悲鳴が聞こえてきた。平民達の悲鳴も聞こえてきた。
ランドが判断を見誤ったがために、騎士四名の命が失われた責を負う事となり、現在に至る。
独り身であれば諦めもつくが、ランドには家族がいる。自分が落ちぶれた事で家族にまで肩身の狭い想いをさせている事で、余計に気が重い。
同期の騎士達はランドの経緯に同情し、今の区部長の座を外れて、人喰い絵本の対処部隊に入ってみてはどうかと言ってくれている。そのために口利きもすると言われている。しかしランドはそこまで踏み切れない。もうその意欲が無い。
「ランド隊長、街のあちこちで該当演説が行われています」
出勤してきた年配の騎士が、ランドに報告した。年齢もランドと同じ程の、隻腕の騎士だ。
「演説?」
「K&Mアゲイン絡みの演説です。一揆を促すような危険な代物ですよ」
「またか……」
ランドがうんざりした顔で立ち上がる。旧鉱山区下層部に赴任してからも、暴動や一揆は何度か経験してきた。
「今度は危険な気配がしますよ……。例の少年の事件で、民の心に火がついてしまいました」
「あれか……」
先日、K&Mアゲインに蜂起しろと促す張り紙が、ソッスカーの至る場所に貼られた。犯行に及んだのは十四歳の少年で、事情聴取中に死亡。死因は過労からくる病ということだ。その話はア・ハイ群島全域に知れ渡った。
報告してきた騎士と共に、ランドは表に出る。
***
スィーニーは宿で寝泊まりをしているが、宿の場所に頓着はしない。下層の安宿に泊ることもあれば、山頂平野のお高めの宿に泊まる事もある。その日の気分次第だ。
「スィーニーおねーちゃん、おはよー」
その日は、旧鉱山区下層で一夜を過ごした。宿を出てしばらく歩いた所で、チャバックに声をかけられる。
「おはよ。今日は仕事ある?」
「うん。配達の仕事があるよー」
「そっかー……ここんとこ、物騒な雰囲気だから気を付けてよ。今日もここに来るまでに、変な街頭演説とかしていたしさあ。うるさくて迷惑だし、胡散臭くて気持ち悪くてたまんないんよ」
後方を意識しながら、不快を滲ませた口調で言うスィーニー。後方で正にその街頭演説が行われている。内容は現在のア・ハイの貴族の支配体制への不満の呼びかけだ。エニャルギー高騰問題にも触れている。
「何かあったら猫婆とユーリとノアにお助けコールするよ~」
「にゃんこ師匠達は地方に出かけてるでしょ。忘れた?」
「あ、そうだったー」
スィーニーに言われて、チャバックは笑顔で舌を出す。
(何だろう……。凄い胸騒ぎがするんよ)
チャバックと別れてから、スィーニーは陰鬱な面持ちになる。
(あの国で起こったような……革命という名の馬鹿げた暴動が発生したら……嫌だな)
過去、ア・ハイでは幾度となく一揆が起こり、犠牲者も出ていると聞くので、その可能性はあるのだろうと、スィーニーは見ている。
***
首都ソッスカー全域を覆う不穏な空気。その話を聞いて、魔法使いアザミ・タマレイはほくそ笑んだ。
「ちゃんとあったまってるな。あたしのいない間にしっかりと準備しておいてくれたんだな。偉いぞ、ジャン・アンリ。褒めてやるぁ」
テーブルに足を投げ出して座ったアザミが上機嫌で言う。向かいにはジャン・アンリが腰かけている。室内にいるのは二人だけだ。
「明日には火が付くだろう。あるいは、早ければ今日かもしれないとしておこう。それでよいか?」
「ケッ、いつも思うけどよぉ、神様の運命設計の話でもしてるのかよ、それは」
ジャン・アンリのいつものおかしな言い回しを聞いて、アザミがからかう。
「いよいよ我等の大願成就というわけだ」
「お前とあたしじゃ、いよいよの重みが違うぜ。こっちは三十年分の蓄積がある」
アザミが笑みを消して、重苦しい表情になって語る。
「もう三十年も経ったってのによォ、あたしは恨みも怒りも悲しみも、全然忘れられねーんだ。あの時のこと、昨日のように覚えてる。意識するたびに、腹がねじきれそうになりやがる」
「アザミ、君は自分の恨みを晴らしたいのか、それとも魔術師と魔法使いの権限を復活させたいのか、どちらなのかと勘繰ってしまうことがあるのだが、どうなのだろう?」
「はっ。どっちでもいいだろ。あたしの動機がどーだろうとよォ、やるこたあ変わんねーんだ。K&Mアゲインの趣旨に悪影響はねーぜ」
「復讐だけが動機では悲しいな。復讐は魂の中の光を濁らせる。時間を浪費させ、心に毒物を発生させる」
ジャン・アンリの台詞を聞き、アザミの表情が怒りに歪む。
「おい、あたしに説教すんじゃねーよ。ナリはともかく、一応あたしの方が年上だぞ」
「年齢で説教という行為の是非が決まるのか? ではそれは違うと断言しておこう。そして私は説教をしているつもりでもないと、そういう事にしてよいかな?」
アザミは無言で立ち上がり、ジャン・アンリの頭部に正面から蹴りを放った。
ジャン・アンリはアザミの蹴りを避けなかった。巨大な甲虫がジャン・アンリの顔の前に出現し、代わりにアザミの蹴りを受けていた。
「そっち方面に話題振られると、ムカついてくるんだ。それにお前のウゼー喋りを上乗せされたら、同志だろうと刺したくなるぞ?」
「気を付けよう。しかし君のその憤怒の顔は、いつ見ても魅力的だな。だからついつい反応を探りたくなる」
ドスの利いた声で言い放つアザミに、ジャン・アンリはいつもの事務的な口調で称賛する。
「あたしをからかって……いや、あたしを怒らせるのが楽しいのか? そういう趣味の変態か? 刺されてーのか? つかこの虫どこから出てきた? 呪文も唱えてねーのによ。アデリーナの魔法か」
自分で問うて、答えも口にするアザミ。
「アデリーナは私の意思で動き、魔法も使うからな。虫も即座に呼び出してくれる。そしてからかっているわけではないと言っておく。君の怒りは魂の光そのものとも映る。私は復讐など無益であるとして、是とはしないが、怒りもまた魂の中で輝く光。それは人の力になり得ることもあり、人の足元をすくうものともなり得る」
「そんなこと聞いてねーんだよ。あたしを怒らせて楽しいのかって聞いてんだ」
「人の顔を見るのが好きだと答えている。絵を描くのもな。何度も言っているが、私は感情を表に出すのが苦手なので、他人の表情に強く惹かれるのだ。理解してもらえたか?」
ジャン・アンリの話を聞いていて、アザミの怒りはあっさりと晴れた。瞬間湯沸かし器のように怒りが爆発するアザミだが、怒りが覚めるのもわりと早い。
「君が私に手を上げたのは何度目かな?」
「しっかりと殴り飛ばせたのは六度だ。防がれたのはこれで十三度目か。それだけお前の発言はデリカシーに欠けるんだよ。馬鹿野郎が」
愛嬌に満ちた笑顔に戻って、吐き捨てるアザミ。
「ところで君が持ってきた例のブツだが、本当に使う気かね?」
「使うかもな。場合による。使いたくはねーけど」
問いかけるジャン・アンリに、アザミは微妙な表情になって答える。
「それも復讐のためか? 理想のためか?」
さらにぶつけられた質問に対し、アザミはテーブルから足を下ろし、前かがみの格好になって数秒思案する。
「復讐のため……ではない。ケッ、馬鹿言ってんじゃねーよ。誰が好き好んで、あたしみてーな不幸な奴増やしてんーだ。あれを街中で使うのは無しだ」
「そうか。それを聞いて少し安心したという事にしておきたい」
アザミが神妙な口振りで答えると、ジャン・アンリはいつも通りの淡々とした口調で言った。




